235 大森林での死闘㉕ ~特異な激闘~
【念のためのご注意書き】
作中の蛍のように、極度に虫が嫌いな方はご注意ください。
この戦いでは、ムカデ、毒蜘蛛、サソリ、スズメバチ、軍隊アリ、イナゴ(ワタリバッタ)などが登場します。
レウがキャサリンとレイラに助けられて草原から森へと退避したところから時間は少し戻るが、前方にいた幸介たちはとても戦っているとはいえない戦いを強いられていた。防衛といえばいいのか、防御といえばいいのか、逃げるための戦いといえばいいのか……。何といえばいいかわからない戦いを続けていた。
昆虫たちとの戦いはいつのときでも、戦術も、常識も、セオリーも使えず、それどころか通常の武器さえ役に立たない戦いになる。
虫という小さい個体の信じられないほどの大群と戦うというのは、数だけを考えるなら、1人の強者がいくらいわゆる無双をできたとしても戦局に大きな影響を与えない、そんな特異な戦いなのである。
さて、蛍とともに最初の攻撃を受けたラウラは、短い声を発して落とし穴に飲み込まれた。驚く瞬間さえ与えられないような勢いで足元を崩され、大地を失い、冷静さを失わせられた。
金魚のフンのようにラウラに張り付いて草原を進んでいたゴドルフも当然、巻き添えになって一緒に穴に落ちていく。
「ラウラ様!」
足元が完全に崩れた瞬間。ゴドルフのゴルフボール大の瞳には態勢を崩して落下する狂おしいほどに愛しいラウラの肢体がしっかりと映し出された。
『このまま落ちればラウラ様が危ない』という危機を察したゴドルフは、叫び声とともに咄嗟に動き、ラウラの肢体を手繰り寄せて、大事に、本当に大切なものとして抱き抱える。
そして、ゴドルフは自分が下になってそのまま穴底へと落下していった。
「あっ。ゴド……、逃げな……、うっ」
ゴドルフが下になった状態で落ちたラウラであったが、声にならない声だけを宙にいたときに残して、そのあとは落下の衝撃で気を失ってしまう。
ゴドルフが聞いたのはドスンという音なのだろうか。落ちていく間も自分の体よりも抱き抱えたラウラの様子を注視していたゴドルフには、ラウラの声以外は聞こえているのか聞こえていないのかわからない状態であった。
周囲では『それ、かかったぞ』とばかりに溢れだしてきた黒いやつらが蠢く音や忌まわしい羽音が鳴り出していた。
「ぐっ。ラ、ラウラ様」
気絶してぐったりしたラウラを巨体の上に抱いたまま穴から差し込む光と青空の遠さを感じたゴドルフ。背中には猛烈な痛みが走っていた。
襲来する敵。軍隊アリを筆頭にスズメバチ、ムカデ、毒蜘蛛、サソリなどが流れ出る水のように穴から噴き出て、愛おしい人の体にも次々と落下してくる。
ラウラの白い防護服に斑点のような黒い染みが次々とできていく。
「き、貴様らーーーー!」
ゴドルフの瞳がカッと見開いた。
自分が受けた痛みよりも怒りが勝ったゴドルフはラウラを重量挙げの選手のように両手で大切に抱え上げて、立ちあがった。
もし敵がゴブリンであったなら震えあがって失禁するレベルの怒号が穴底に響いたが、もちろん昆虫たちはおかまいなしに横穴から落下して立ちあがったゴドルフの足元で蠢き、増水するかのように穴底を、ゴドルフの足元の地面を少しずつ埋めていく。
「虫ケラども。許さん! 許さんぞ!」
怒りにまかせて足元の虫たちを踏みつけるゴドルフ。昆虫たちがぐちゃり、ぐちゃりという音を残して潰れていく。それでも増水は止まることはなく、全体から見ればわずかだが、潰れた昆虫の死骸の分の深さを増していった。
噴出していた敵のなかでは、唯一羽を持ったスズメバチだけが空中にあるラウラの体への攻撃を仕掛けるが、ゴドルフはラウラを気遣うというか上だけを見て腕を揺らして振り落としたりして、接触させないようにしている。
めいっぱい両手を伸ばしラウラの体を抱え上げながら、地団太を踏んでいるかのような格好で敵を踏みつけている状態だ。
ラウラに纏わりつくスズメバチを振り落としながらも、ゴドルフは周囲の状況を確認し、一方向に移動して横穴からでてくる噴出口のいくつかを背中で押さえた。
それによって数か所の出口が塞がり、縦穴が昆虫たちで埋まる速度がわずかに遅れるのだが、それでも全方位に横穴がある状態では縦穴が昆虫たちですべて埋まるのは時間の問題であった。
しかもゴドルフが押さえた穴部分では軍隊アリが背中の防護服を破こうと、休むことなく攻撃を加えている。
そして、ひっきりなしに横穴から出てくる昆虫たちの勢いは止まることなく、次第に穴底に積み上がっていき、踏みつけても踏みつけても、ゴドルフの足元は埋め尽くされていった。
ここまでわずか数分だったのだが、すでにゴドルフの膝近くまで昆虫たちは異様に蠢く群れというおぞましい水位を上げてきていた。
『くそっ。だれかラウラ様を!』
足元の昆虫を踏みつけつつ、スズメバチにラウラの体を攻撃させないように注意しながら動いていたゴドルフは、助けが来るのを、最悪でもラウラだけでも助けてくれるように願った。こんなときにグンターさえ生きていたならとも思ったゴドルフであったが、それは叶わない願いであった。
「ラウラさん! ゴドルフ!」
そのとき、上を見続けていたゴドルフの瞳に穴底を覗きこんでいる幸介の姿が映ったのであった。
◆◇◆◇◆◇
前のラウラたちと後ろの蛍たちの大穴に挟まれた位置にいた幸介は無事であった。両方の大穴の間はわずか5メートル程度であるが、そこに新しい穴が誕生することはなかった。
幸介は、攻撃を受けた瞬間は達也のように事前には気配を察知できていなかった。蛍とラウラへの攻撃がはじまり、最初は何が起こったのかわからず周囲を警戒して身構えただけであった。
そして達也が蛍に体当たりをして穴底へ落ちるのを見て、すぐさま達也を助けようと動き、達也が落ちた穴の縁から中を覗き込んで噴出する昆虫たちを目撃した。
敵の攻撃のすべてを理解した幸介は何度も、何度も、何度も達也へと声をかけたが、穴底で横たわってかすかに動いている達也からの返事はなかった。達也には容赦ない昆虫たちが横穴から溢れ出てきて群がっていく。
「達也! 達也! さっさと起きやがれ! くそっ!」
穴の深さは見た感じでは5メートル近くあり、円ではなくいびつではあるが直径もそのくらいあった。
達也が自ら動かない限り打つ手は少なかったが叫び続けながら、昆虫の噴出口をアレスの剛槌で攻撃した。小火力を使っての攻撃であり、一瞬は昆虫たちを焦がしたが、それもわずかな数、わずかな時間、敵の攻撃を止めただけですぐに次の昆虫たちが噴出口から溢れでてきていた。
それでも少しの間、手当たり次第に各噴出口への攻撃を加え続けたが、埒が明かないと判断し、他に何か助ける手立てはないのかと考えた幸介は応援を呼ぼうとして周囲を見渡した。
そこでラウラとゴドルフが落ちた大穴に注意を向けて、覗き込んでラウラを担ぎながら穴底で昆虫たちと戦っているゴドルフを見つけたのであった。
◆◇◆◇◆◇
「ラウラ様を!」
切羽詰まった表情のゴドルフが叫んだことで何をすべきかを理解した幸介は穴の縁に腹ばいになり、アレスの剛槌を伸ばした。
しかし、ラウラまでは届かなかった。ラウラの意識があれば、手を伸ばして武器を掴んでくれれば、ひとりでも救出できる確信はあったが、ラウラは微動だにしなかった。
「ラウラさん!」
叫んでは見たがダメであった。その間も昆虫たちは横穴から次々と姿を現し、穴底を上げていく。まさに時間との戦いである。
「くそっ!」
このままでは達也もラウラも助けられないと考えた幸介は、再び周囲を見回し、森まで逃げようとして次々と穴に飲み込まれていく兵士たちと森に退避しているキャサリンたちを視界に収めた。
「キャサリン! 縄だ、縄を持ってきてくれ!!」
これ以上はないと思われる幸介の助けを呼ぶ大声は、キャサリンとレイラの耳に届き、一旦は退避を完了していたふたりは、このあとまた落とし穴が各所にあり、次々と増えていく特異な戦場へと舞い戻るのであった。