234 大森林での死闘㉔ ~英雄たちの戦い~
大森林での昆虫軍対合同軍(人類と白狼たち)の戦いは、七星を含む主力部隊が最前線へと足を踏み入れたあとしばらくしてはじまった昆虫軍の総攻撃で、合同軍は大混乱に陥るという次の段階に進んでいた。
次々と大地を削り落とす容赦のない落とし穴攻撃で、兵士たちは戦うことさえもままならない穴底へと落とされ、一方的な殺戮ともいえるような攻撃に晒されていた。
そんななかで、合同軍の攻撃の要ともいえるアルテミスの聖弓の使い手、入来院蛍は間一髪のところで落とし穴から救い出された。彼女の幼馴染であり七星のひとりである紅達也が、誰よりも早く昆虫軍の攻撃を察知し、体当たりというそれしか間に合わない手段を用いて蛍の危機を救った。
達也によって穴底には落下せずに放り投げられたような形になった蛍の体は、そのまま陽光のなかを進み、拠点の縁に張り出していた茂みのなかにバサッバサッという音とともに消えていく。
木の枝などによって衝撃が少しは和らいだ格好だが、落とし穴から猛烈な勢いで十数メートルも飛ばされたのでは、蛍の意識を刈り取るには十分であった。
蛍の護衛であるルークとニコラスは、いきなり目の前の草原が崩れて沈みゆく蛍の姿を前に何もできずに動きを止めていたが、達也が体当たりした瞬間からその責務を思い出したかのように、宙を舞う蛍を追った。
「がはっ!」
「ニコラス!」
蛍を追いかけて走り出したルークとニコラスの足元を一片の容赦もない落とし穴が襲う。ルークは間一髪で落とし穴を避けたが、ニコラスは穴の縁にしがみつこうとしてその手が草ですべり暗い穴の奥底へと飲み込まれていく。
「行けっ。ルーク。聖母様を守れ!」
「くそっ!」
自分を助ける選択肢を取らせないように大声で叫ぶニコラス。ルークの吐き捨てた言葉は周囲の喧騒のなかへと消えていく。すぐさま意を決して、自分の任務を遂行するため、聖母様の護衛としての役割を果たすためにルークは走る。
「うぉぉぉぉぉぉ」
周囲で仲間の兵士や傭兵たちが次々と落とし穴に落ちていく絶望的な状況のなか、グッと奥歯を噛みしめて、ついさっき蛍が飛びこんだ茂みに突入するルーク。
ルーク自らが叫んだ声と茂みに突入したときのガサッ、バキッなどという音、兵士たちが上げる驚愕と悔しさが混じった声がごちゃごちゃになって、周囲の喧騒をより一層深いものへと変えていった。
それでも茂みのなかで必死に蛍を探し、やがて上を向いたルークの青い瞳に陽光が差し込み、おもわず手を翳した先に蛍がいた。
危機一髪で落とし穴から救い出されはしたが気を失った蛍の両腕は木の枝に絡め取られて左右に伸びていた。そして、頭をがくりと落として項垂れた姿勢のまま足をだらんと垂らした状態で1メートルくらい宙に浮いていた。
ルークが見つけたとき、聖母様は背中から陽光を浴びていたため、後光を纏っているかのように見えた。それは、まるでゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストのようであった。
◆◇◆◇◆◇
一方、蛍と達也の後ろにいた部隊、つまりは七星のレウ、キャサリン、レイラとダスティンたちにも昆虫軍は情け容赦のない攻撃を仕掛けていた。
周囲を警戒し、これほど心を砕いて作戦を遂行してきたのに、目の前で蛍とラウラへの落とし穴攻撃を成功させられたレウは一瞬で自分の敗北を悟った。その原因と結果まですべてを理解した。
レウにとっては、それは世界が終わるかのような衝撃であり、小さな体に上からいきなり何トンもある金槌で撃たれて押し潰されるようなあってはならない、起こしてはいけない出来事だった。
驚愕と深い落胆が入り交じった表情のまま固まり、自然と涙が溢れ出す。レウは目を見開いたまま、ゆっくりとくずおれて、その場にしゃがみ込んでしまいそうになる。
『なにが超大天才や。なにが人類最高峰の頭脳や』
レウの頭のなかでは第七世界でのレウの功績を称える式典で胸を張ったときのシーンが流れる。心地よい拍手と歓声の嵐のなか、そこに入り込む耳障りな笑い声。大笑いする声は次第に大きくなり、そちらを見ると「アホね。笑い死ぬほどのアホ」という冷笑とともに抱腹絶倒している蜂の怪人がいた。
吐き気がするほどの不快感を覚え、栄光のシーンはもろくも崩れ去り、レウは暗闇のなかに放り出された。
『あんたの頭は虫ケラ以下や』
何度も、何度も、何度も、同じ言葉がリフレインし、レウの精神を、戦う気力を、知覧の誇りをずたずたにしていく。
「レウ様!」
「早く、早く森へ。くそっ」
打ちのめされた状態で膝をついたレウにも、当然のように昆虫軍の落とし穴攻撃は襲いかかる。くずおれたレウをジャックとライアンが立たせようとしたときに足元の大地が奈落へと崩れ落ちた。このままでは3人揃って穴底へ落下してしまう状況だ。
「上だ。穴の外に投げろ!」
大声で指示を出したジャックはライアンと顔を見合わせ、頷いたライアンとの阿吽の呼吸でレウを穴の外に放り投げる。ふたりの護衛の一瞬の判断と一瞬の行動により宙を舞うレウの体。しかし、投げられたレウの体と精神は無抵抗で完全に死に体になっていて穴の外までは届かない。
「レウたん!」
「レウさん!」
「はっ」という掛け声とともに穴に落ちるか、穴の縁に激突しそうなレウを救うためにキャサリンとレイラが飛んだ。
キャサリン・オールコックとレイラ・イワノフ。彼女たちへの攻撃も当然あったのだが、ふたりは持ち前の跳躍力で難を逃れていた。
そして自分たちの近くでジャックとライアンに連れられて森へ逃げる途中のレウが襲われているのを見て、間に合うと判断したふたりは大地を蹴った。
ジャックとライアンが上へと投げたレウを穴の真上付近でキャッチしたのはキャサリンで、そのわずかに上を跳躍していたレイラがキャサリンを掴む。
「行けっ。キャサリン!」
「了解でござる!」
レイラは空中で掴んだキャサリンを前方へと押し出し、キャサリンはその力を推進力にかえて穴を飛び越えて、レウを抱えたまま穴の縁に着地した。
同時に振り向くキャサリンの碧眼には、このままでは穴の縁を越えられないレイラがいた。
「くそっ」
「おい。ここに乗れ!」
跳躍中のレイラが着地地点がないことに吐きだした言葉にすぐさま反応したのが、助けに来ていたダスティンであった。ダスティンは持っていたウォー・ハンマーの刃を横に向けて穴の縁から丁度レイラが落ちそうな場所に差し伸べた。
落ちてくるレイラはすぐさま反応して、止まり木で羽を休める鳥のような格好でそこに足を乗せた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
ダスティンは、レイラが乗ったタイミングを見計らい、ウォー・ハンマーを担ぐようにして振り上げた。ウォー・ハンマーから勢いをもらったレイラはそのまま森までの跳躍に成功し、穴には落ちずに逃げ切ったのであった。
ちなみにキャサリンもレイラも達也が蛍を助けて穴に落ちたのも見てはいたが、自分への攻撃から逃れるだけで精一杯で、ふたりは達也が落ちた穴よりも森側に動いてきていた。つまり、達也やその前にいる幸介、ラウラたちとは距離が離れていたのである。
こうして草原で行われた昆虫軍の攻撃から、蛍、レウ、レイラ、キャサリンは一時的にせよなんとか森へと逃れたのだが、まだ各地に新しい穴が誕生していた草原には、蛍を助け穴底へ落下した達也とその前にいた幸介、ラウラが取り残されていた。
さらに蛍とレウの護衛のなかで、この時点で森まで避難できたのは、蛍を追って茂みに突入し、そのまま皆が待避しているところまで蛍を担いできたルークだけであった。