230 大森林での死闘⑳ ~駆け引き~
大森林での昆虫軍との戦いは、人類と白狼たちの合同軍による第二次攻撃、継続した弓矢による爆弾攻撃へと移っていた。
鳴り止まぬ轟音、爆音、破裂音が再び大森林に響き渡っている。攻撃音に混じり兵士たちの大声などで周囲が騒然とするなか、俺たち七星は拠点からはおよそ100メートルの位置で足止めを食らっているような形で待機を命じられていた。
七星と一緒にいるのは蛍の護衛のルークとニコラス、レウの護衛のジャックとライアン、ラウラの忠犬ゴドルフの5人を含めて全部で12名となる。
全方位からの合同軍の苛烈な攻撃が続いているのだが、戦力的にも破壊力的にも最も秀でている部隊である俺たちがまるまる攻撃には参加していない、つまりは温存されている状態である。
最大戦力を温存している理由は、未来の予言者がこの戦いを示すものとして『茨の道』という言葉を残したためだった。これまでの戦いでは、合同軍は予定通りに包囲を進め、被害がゼロだったので『茨の道』の『い』の字さえ経験していない。
それどころか昆虫軍の『こ』の字にさえ遭遇せずというか、この戦いで合同軍は一切昆虫軍を目にしていなかったのであった。もちろん森にいる普通の昆虫たちは数多く出会っているのだが、それはあくまでも森で暮らしている昆虫であって、人類を滅ぼそうと攻撃してくる虫ではなかった。
そんな戦況のなかで包囲網の内部への攻撃を続けているのだが、暖簾に腕押し、糠に釘がごとく、事態は一向に前に進む気配さえなく、ただ、いたずらに森を破壊し、時間を消費しているだけに見えた。
まさに埒が明かないという現況のなかで、俺たち自身は何もせずに轟音を聞き、前方の太陽の光が差し込む草原で動きまわる兵士たちを眺めている。
鳴り響く轟音を聞き、強い日差しのなかを動きまわる白い防護服を着た兵士たちを目で追いながら、俺は未来の預言者が残したとされる『茨の道』について考えていた。
『茨の道』が本当に今回の戦いのことを示しているのかどうかは、俺にはわからないのだが、レウとラウラがこれほどまでに慎重に事を進めている理由を考えれば、結論はひとつしかなかった。そう。俺がいくら考えても、もしかして違うのではないかと思っても、結局は、それならばレウとラウラの行動の理由は、と戻ってしまうのである。レウとラウラが間違うはずはないと。
第二次攻撃がはじまってから腕を組んだままじっと前方を睨みつけている知覧姉妹に視線を送ってみたが、ふたりはこちらを振り向くどころか、一点だけを見つめて真剣な表情を崩すことはなかった。
◆◇◆◇◆◇
達也からの視線を受けていながらというか、そろそろ動かないことに大きな疑問を持ちはじめていることには気がついていたのだが、知覧姉妹には口を真一文字に結び戦況を見守るしかできなかった。
知覧姉妹、ラウラとレウには確信があった。この戦いがこのまま蛍の矢で終わるわけがないと。そして、ここまできていておかしな話なのだが、やはり自分たちは間違った道を歩んできてしまった、最初からなんとしてでも森すべてを焼く方法を取るべきだったという後悔もどこかにあった。
それでも戦いは進めなければならないし、今が攻撃か、退避か、どのタイミングなのかもわからず、かなりまずい状況に知らず知らずに追い込まれていることだけは肌で感じていた。一番の焦りは、次に何が起こるのか見当がつかなかったことである。一切動かずにただただ不気味さを漂わせる敵に打つ手がなかったのである。
レウとラウラも姿を見せない昆虫軍は包囲網の中心部分に固まっているのかもしれないとの考えが頭を過ることもあったが、そこへ考えが向かうと大きく首を振り、きれいさっぱり否定した。後には、何か手を打たなければならない使命感だけが強く残った。知覧姉妹は程度の差こそあれ、この繰り返しをしていたのである。
もっとも彼女たちにとっては、『茨の道』はひとつのピースであり、それだけであったなら、ここまで悩むことはなかった。それよりももっと根本的な流れのような、運命ともいえる大きな渦に巻き込まれそうな気配に胸がつかえていたのである。
逆に言うなら、彼女たちがどうしても無視できないそれが、『茨の道』という言葉によってさらに彼女たちの精神を圧迫していたということになる。
冷や汗が出るほど、逃げ出したくなるほど、所かわまず叫びたくなるほど、決して表には出さない彼女たちであったが、かなり大きな動揺を内面に抱えていた。
彼女たちには本当に珍しい『焦り』もそこにはあった。確かにあった。第七世界という人類最高峰の知識と頭脳を誇る集団のトップともいえる知覧姉妹をここまで追い込んだものが厳然と存在していた。
それは……。
ブラッド・リメンバーに保管されていたと嘘をつき、英雄たちにさえ知らせなかった、いや知らせないほうがいいと判断したもの。永遠に、永久に、常しえに、未来永劫、誰に対しても口にすることはないと決意し、最も実現させてはいけないものとして、彼女たちが全知全能を使い、真剣に、確実に、最悪でもこれだけは阻止しようと誓い行動していたこと。
そう。それこそが未来の預言者が残し、アンカー・フォートに厳重に保管されていた消えたはずの7つめの預言であった。
◆◇◆◇◆◇
「おかしいわね。やつら、どうして動かないのよ……」
合同軍が第二次攻撃を開始したとき。クイーン将軍は、標的である黒髪の女こと蛍と茶髪の司令官ことラウラが森に隠れていて攻撃地点へと出てこないことに疑問を持ちはじめていた。さんざん笑い転げていた反動というわけでもないが、冷静になっておとがいに手をあて首を傾けて思案に暮れる。
「ねえ、ブラウン。どうすればいいの……」
誰も応えるわけもない洞窟の地下深くで、クイーン将軍はボソリと呟いて目をつぶる。しばらく目をつぶっていたクイーン将軍の頭のなかでは、前の戦いのシーンが次々と浮かんでは消えていく。
「あっ。…………ふふっ。そういうことね」
何かに気がついたクイーン将軍は、不敵な笑みとともに再び誰も聞いていない洞窟で喋りだす。それはさもそこにブラウン将軍がいるかのように。
「あんたもトンボちゃんたちを温存してたものね。そうよね。それが戦い、駆け引きなのね。ふふふふふっ。ありがとう。わかったわ。ブラウン」
そう言うとクイーン将軍は、さらに笑みを深めてから「よしっ。それなら……」と気合いを入れて、およそ100億匹は従えていたイナゴ隊の一部である30億匹に命令を下す。
「行きなさい。バッタちゃん! エサどもを蹂躙しまくるのよ!」
クイーン将軍が命令を下すとイナゴ隊の南方部隊が一斉に休めていた羽根を羽ばたかせて空を真っ黒に染め上げたのであった。
ちなみにクイーン将軍が率いている昆虫軍は、前の戦いほどではないにしろ、すでに350億匹というとんでもない数に膨れ上がっていた。
◆◇◆◇◆◇
「南に敵影!」
「赤の狼煙です。敵が南方面を攻めています!」
「南東からも赤の狼煙!」
「敵の大群、一斉に南へ向かっています!」
「南西も攻められています!」
「南の空に敵出現。空を黒く染めています!」
第一報のあと次々と届く緊急を伝える兵士の大声。櫓の上から見た光景というか、弓兵の護衛として櫓の上にいた兵士たちの声も混ざる。
轟音の合間に遠くから聞こえてきたざわめきともとれる兵士たちの声をラウラは聞き逃さなかった。視線を前方に残したまま俺たちも驚くくらいの大声を発する。
「ゴドルフ!」
「はっ! 畏まりました!」
ラウラが命じるや否や巨体を揺らした猛犬が、一気に森を抜け櫓へと向かう。
ついに敵が動いたのか。ゴドルフと入れ替えにこちらに向かって走ってくる兵士もいて、あわただしさを感じた俺たちは、いよいよかという緊張感に襲われながらゴドルフが走っていく後ろ姿をじっと見つめたのであった。