228 大森林での死闘⑱ ~留まる七星と戦いの火蓋~
大森林に巣食う昆虫軍との戦いは、人類と白狼たちの合同軍の主力部隊が攻撃予定地の目前まで進み、いよいよ本格的な戦いがはじまろうとしていた。
主力部隊が攻撃する前線は敵がいるとされている洞窟からおよそ4キロ離れた場所で、広さは左右がおよそ700メートル、前後がおよそ200メートルほどの森を切り開いた草原であった。
もともと、そこそこの大きさの草原であった場所の周囲の木々を切って作られた拠点には北西から森に入った3部隊9000人のうちのおよそ5000人がテントを張るなどして常駐していた。まあ、常駐といっても今は広範囲索敵陣形によって各地に散らばっているので、現在そこにいるのは2000人程度である。
ダスティンとグスタフが率いる部隊を先頭にした主力部隊が拠点を視野に収めて、後方部隊へと伝え、目的地が見えたことで速度を上げていく。
部隊全体のスピードが上がり、俺もようやく着くかという思いとなんとか無事にここまで来られたという思いで足を早めようとしたのだが、前を行くラウラとゴドルフの歩みは逆に遅くなっていた。ゴドルフはラウラに合わせているだけだろうから後方部隊のスピードを落としているのはラウラである。
主力部隊の先頭や中段の部隊と俺たち後方部隊の差が広がっていくことに疑問を感じた俺は、自然と前を進んでいた幸介のすぐ後ろまで来てしまっていたので声をかけてみる。
「おい。前の部隊との差が開いているぞ」
「ああ、わかっているさ。でもなラウラさんたちがスピードを落としているし、隊列を乱すわけにはいかねーだろ」
「ねえ。どうしたの?」
「ああ。ほたる。ラウラさんが速度を落としているみたいだ」
後ろの蛍も俺のすぐ後ろに来ていて、部隊のスピードが落ちたことに対する疑問を口にしたので、振り返って応える。蛍は「そう」とだけ言って、黙り込む。
そのままほぼ3人が固まって、しばらく歩くことになる。蛍の後ろにいたキャサリンやレイラは、俺たち3人の様子に視線を寄こしながら顔を見合わせて首を傾げたりしていた。
「いぁっ!」
「うん?」
「どした?」
傍を歩いていた蛍が急に小さな悲鳴をあげたので、驚いて立ち止まり視線を向けると目をつぶって身構えた蛍の傍を小さな蛾のような虫が飛んでいた。
「ほら。あっちいけ」
すぐに幸介が悲鳴の理由に気がついて、手を振って追い払うと蛾のような虫はひらひらと空へと逃げていく。
「ふう」
「ハハ」
ため息をつき胸を撫で下ろす蛍と苦笑いするしかない幸介。そんな光景を見て、俺は元の世界で中学のころだったか、蛍が電車に迷い込んできた虫に驚いて同じように悲鳴をあげたのを思い出していた。
あのときの蛍は、俺の手をひっぱり速攻で隣の車両に逃げていた。俺が「もう大丈夫だろ」と言っても「こっちにくるかもしれない」と言って、俺の手を離さず切羽詰まった状態というか怯えた顔というか、とにかく蛍は俺の手を引き、次から次へと車両を移った。仕方がないなと俺も蛍の好きなようにさせておいたが。
今、たまたま近くにきた蛾のような虫に驚き、蛍は同じ悲鳴を上げた。そういう意味では、昔から何も変わっていないんだな。俺はそんな昔のことを思い出しながら前と歩調を合わせて歩みを遅くしたのであった。
しばらく進むとラウラが急に振り返って立ち止まり、ゴドルフはラウラの背後に回り傅いた。
ラウラが立ち止まったために前の部隊との距離はどんどん開いていき、後ろから追いついた七星を含む12名の部隊は目的地を目前にして集まることとなる。拠点といえる草原まではおよそ100メートルといったところだ。周囲には背の高い木々が乱立しているためレイラやキャサリンは木にもたれかかっている。
「どうしたんですか? あそこが拠点ですよね?」
軍人ラウラの表情のまま、下を向き何かを考えていたラウラに対して、俺は拠点を指差しながら疑問の声をあげる。
「いよいよ、我ら合同軍は全方位からの攻撃を開始する。まずは内部への爆弾攻撃なので指揮はグスタフとダスティンが執る」
俺の問いには答えず、顔を挙げたラウラは真剣な表情でこれからの合同軍の攻撃手順を伝えた。すぐに俺たちも参加しなくていいのか、なんでこんなところに留まるのかとの疑問が浮かんだが、俺を抑えるようにレウが口を出した。
「包囲してある内部に攻撃をしかければ、敵さんも動くやろ。そこからがうちらの出番やな」
なるほど。そういうことか。いやいやしかし……待てよ。レウの言っていることは理解できるのだが、すでにここまで来ているのだから蛍の一撃で殲滅したほうが速いし被害が少ないんじゃないか。そう考えた俺が喋ろうとすると、今度は当人である黒髪の美少女が口を開いた。
「あと少しなのに、あたしが先に攻撃しない理由があるんですか?」
「それはな。敵さんが影も形も見せんからやな」
「周囲4キロまでの勢力を所持していない…………。あっ、もしかして」
「ああ。あまり考えたくないけどな」
「もどかしいですね」
「ああ。そやけどそれが戦いや。手順を間違えば勝敗が逆になることは歴史が証明しているやろ。うちらは間違えられん」
「ええ。そうですね。分かりました」
蛍とレウの会話が一気に進み、俺たちは完全に置いていかれた。ラウラはわかっているのだろうが、幸介やキャサリンはもちろん、俺もレイラもただ見ているだけであった。
話し声は聞こえる距離にいるので、たしかに耳に届いているのだが、頭に入ってこない。理解できない。納得できない。どこが疑問なのかさえわからない。そんな状態であった。
「歴史にたらればは禁物」とはよく言われることなのだが、たとえば桶狭間の戦いでも信長が出陣する時間を間違えれば……。もっと前なら、もっと後なら、どちらも大軍を要する今川軍に敗れていただろう。だから手順を間違えれば勝敗が変わるという意味もわかるのだが、今回の戦いで何が手順となるのか、どういった順番があるのかまで頭が回らなかった。そして、更に俺たちが参加しない理由が。
「はじまるぞ!」
ラウラの一声が混乱した俺の思考を途切れさせて、前方へと注意と視線を向けさせた。目を凝らして見れば光が差し込む草原の奥に櫓があり、さらにその奥には異様な銀のカーテンが薄らと見える。いや光が反射しているのか光輝くカーテンと言ったほうが見た目に近い。
まだ光輝くカーテンまでは遠くて、間には兵士たちがいるのではっきりとは見えないのだが、それは森を切り裂くような左右に伸びる鉄の楔のようであった。
上空に目を向ければ何本かの狼煙が挙がっているのが見え、草原には攻撃態勢に入るのか、蠢く兵士たちと長い黒髪が風に靡いたのが見えた。
『囮を使うのか』
先の戦いでも使った蛍の影武者を今回も使うのかと思い、注意深く黒髪の兵士を視線で追う。
おそらく長弓を装備し矢筒を背負っている黒髪の兵士は、盾をもった屈強な兵士と傭兵に守られて真っ直ぐに櫓を目指し、梯子を登り、櫓の上に立った。
ここからではよく見えないのだが、狙撃用の櫓はレウが言ったように10メートルほどの高さで、3人の兵士が登っても問題ない広さのようだった。
やがて……。
轟音、爆音、破壊音、亀裂音、破裂音など、およそ大きな音と思われる音が次々と俺たちの鼓膜を襲ってきた。それには遠くで雷が鳴っているような音や協和音も混じっている。
さらに音が鉄板に反射して共鳴しているのか、まさに森を劈く凄まじい攻撃音が、それまで静かだった森に響き渡った。
こうして、長い準備期間を終え、いよいよ昆虫軍との本格的な戦いの火蓋が切られたのであった。