226 大森林での死闘⑯ ~動く主力部隊~
「レウ。時間切れだ」
勢いよく開いた扉の音とともに、上下ともに白で統一して武装したラウラの声が部屋に響いた。2日前にレウと蛍が話をした部屋で 椅子に座りツインテールを『くいっ、くいっ』とひっぱりながら、時間一杯、人類最高峰の頭脳を回していたレウが姉に強い視線を送る。
「そのようやな。たとえ何が待っていようとも、うちらは前に進まんとあかんしな。そやけど、まだまだあいつの好きなようにはさせんつもりや」
「ああ。行くぞ!」
側に立てかけていたアテナの智杖と2本の小型の杖を持ちレウがすくっと立ち上がる。アテナの智杖はレウの背丈よりも少し大きく1メートル50センチくらいであるが、小型の杖は50センチほどしかない。
小型の杖は使い捨てるつもりなのか、レウにしては外見もただの棒の先にドーナツ型の円盤をつけたような粗末なものであった。
素材もすべて木で出来ていて、即席で作ったことがうかがわれるレベルだ。それでも、ドーナツ状の円盤の中央には極星珠が埋め込まれ、その武器には似合わない虹色の光を放っている。
レウはこの小型の2本の杖を剣士のように左腰に差し、出発の準備を整えた。これから進軍する経路に見落としはないか、そして敵に急襲された場合の対応策をイメージしながら真剣な眼差しを同じように強い力を放つ瞳をもった姉へと向けた。
時は中央世界歴4871年10月7日、朝8時。
レウたちが七星にエネルギーの関係で遅れると言った翌々日である。延ばしに延ばした出陣時刻も北の司令部からの相次ぐ出陣要請に応える形で、ついに主力部隊の出陣が決まったのであった。予定より1日遅れの出陣、つまりは、まる1日、出陣を遅らせたところで時間切れというか、限界が来たのである。
今日も快晴の中央世界の朝は、静かに、そして穏やかな日差しのなかではじまったのであった。
◆◇◆◇◆◇
「主力部隊行軍路の異常ありません」
「行軍路の東1キロ異常なし」
「西1キロ異常なし」
朝ベック・ハウンド城を出立した俺たち主力部隊は、おそよ2時間の行軍を終えて大森林の北にある司令部へと到着していた。
森のすぐ側に日よけなのかテントのように布を張り、机を並べただけの司令部へは、次々とこれから進む行軍路の情報が飛び込んできていた。
主力部隊が攻撃を開始する拠点まで進む行軍路は、森の入口から直線距離で最も近い場所とされている。つまりはここから少し西に向かい、決められた入口からおよそ6キロの距離を一気に走破して拠点に進む計画である。
森への入口から敵が潜む洞窟まではおよそ10キロという距離で、ある意味ではもうすでに敵の目と鼻の先まで来ている状態であった。
北の司令部で進軍路と現在の状況を地図で確認し、説明を受けた俺たちは、すぐに出発の準備を整える。
「おいおい。ちょっと過保護すぎないか? あんなに狼煙が挙がっているぞ」
傍にいたダスティンがこれから進む行軍路方面に挙がる無数の狼煙を見て、驚いたように肩を竦めた。
緑色の無数の狼煙の意味するところは、進軍路の確保であり、敵の姿を見た部隊や襲われた部隊がないことを意味している。もし、1本でも赤い狼煙が挙がれば、本隊は前進せずに別の作戦へと移行することになっていた。
「いや。俺たちは負けられないんだ。なんとしても拠点まで進み、ほたるに矢を撃たせなければならない」
「そうでござる。気を抜いていては、やられるでござる」
ダスティンの疑問に俺とキャサリンが狼煙を見上げながら答え、気が抜けているのか防護服を着崩し、防護帽をくるくると回して弄んでいるダスティンを一瞥する。
「そうなのか? 前はもちろん左右にもたくさんの味方がいるなかを進むなんてのは、俺は今まで経験したことがないけどな……」
「おっさん。油断していると足元を掬われるぜ。ちゃんと防護服を着ろよ」
「そう。戦う準備を怠れば、死が待っている」
俺とキャサリンの言葉を聞いてもなお首を傾げるダスティンに対して、幸介とレイラが続けざまに注意を促した。何も言わなかったが蛍は緊張した面持ちで、天に昇っていく狼煙をまるで敵を睨むかのように見上げている。
「そうか……。お前らに何があったのかは知らないが、そこまでいうなら俺も気合いを入れていくか」
幸介の『おっさん』発言はスルーして、蛍の様子を確認したダスティンは、そう言うと顔をパンパンと叩いたあと、体を揺すって防護服を直したのであった。
◆◇◆◇◆◇
ダスティンが首を傾げた俺たちの態度が変った理由。俺たちが警戒心を強くし、神経を尖らせ、張りつめた態度を取ったのは、昨日の蛍の説明。つまりは未来の預言者のこの戦いへの見立てである『茨の道』の話を聞いたからであった。
昨日、蛍から説明を受けた俺たちは、直後は少なからず驚き、戸惑っていた。未来の預言者が本当にいて、そいつの言葉を聞いた? 『茨の道』というのがこの戦いの人類が進んだ道のことを言っている? などというのは、俺たちにとってはあまりにも現実感のない話であった。
事実、最初のうちは幸介とキャサリンは「それはなんだ。わけがわからねーぞ」「わたくしもさっぱりですわ」などと言い、俺とレイラも首を傾げて「うーん」と唸るしかなかった。
本当にそんなことがあったのかという疑問と、『茨の道』を昆虫軍との戦いの預言としてとらえることへの疑問、今、未来の預言者はどこにいるんだという疑問などが、次々と襲ってきては頭の中でぐるぐると回り、ひとつも解決できずに俺を混乱させた。
それでも、レウがこれから起こる可能性の高い危機に対して、とてつもない破壊力のあるアテナの智杖以外に、予備の杖を2本も用意しているという事実を蛍の口から聞いて、俺は『茨の道』の話とともに、ずっと胸に仕えていた謎が解けたような気がした。
今回の戦いはかなり前からレウとラウラがずっと最大限の注意を払いながら進めてきていて、ラウラは事あるごとに『人類の存亡がかかった戦い』だと繰り返していた。その理由が分かった気がしたのである。
いつ彼女たちが未来の預言者から『茨の道』という言葉を手に入れたのかは分からなかったが、きっとかなり前からなのだろう。
そう理解した俺は、蛍と一緒に皆に説明する側に回り、今まで何度も助けられ、凄さを見せつけられていた第七世界出身の彼女たちの言動は信じるに値する、俺たちの指針になるはずだと力説した。
すぐにレイラが頷き、幸介とキャサリンも「それもそうだな」「そうですわね」と言って納得し、レウたちがこれほどまでに危険を察知して注意を払っているならば、それに従うべきだという方向で話はまとまっていたのであった。
◆◇◆◇◆◇
一方、主力部隊が北の司令部からいよいよ森へと進もうとしていたとき。大森林の東の端からおよそ200キロ離れた海岸沿いにひとつの船団が停泊しようとしていた。
海上で陸の様子を伺い、進むべき道、泊るべき入り江を見つけてようやく上陸を果たした獣帝国軍である。敵である竜王国軍とは戦いになることなくここまで南下してきていた。
「北2キロ。敵影ありません」
「南1キロ。異常ありません」
「西2キロ。敵影なし」
次々と入る空からの偵察隊の報告を受けた、この船団の隊長であり獣帝国軍第一軍の将軍カリグ・アイドウランは、1キロ先に見える自軍の船団を見据えて命令を下す。
「進めー。我らも上陸するぞ!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」」」
人類との同盟を締結するために海路を使って、北の本拠地からここまでやってきた獣帝国軍。
しかし彼らは上陸したおよそ350キロ西で、旧帝国軍の昆虫軍と同盟すべき相手である人類が一大決戦をはじめるとは夢にも思っていなかったのである。
そして、人類、いやレウとラウラも、白狼軍の姫フレイムも、昆虫軍のクイーン将軍も、獣帝国軍が近くまで来ているとは夢にも思っていなかったのであった。