212 大森林での死闘② ~戦いの難しさ~
大森林を舞台とした昆虫軍との戦いはすでにはじまっていた。
北西に位置する標的までは距離があり、かなり進軍しないと目的地に到着しない南側と東側の部隊は、森のなかを進軍中だ。
大森林は、俺がはじめてこの世界に来たときの場所だが、そのときは南側のほんの一部、大森林の縁部であり広大な大森林からすればほんの端っこであった。そして、それ以降大森林には行ったことはない。だから、そもそも奥に入れる道があるのか、どうやって部隊が進んでいるのかさえ分かっていない。
元々はゴブリン軍と獣帝国の領地であり、俺たちが南側でゴブリンと遭遇したのだから、やつらや獣帝国が整備した道とかはあるのかもしれないが。いや、それがあってもきっと途中で行き止まりとかだろうな。
そんなことを考えていたら、思いつめたような顔をした銀髪の美少女が声を上げた。
「あたしたちが各部隊の護衛につけばよかったのではないで……」
レイラの言葉が最後まで聞こえないうちに、眉を吊り上げたレウがそれでも落ち着いた声で強く否定する。
「アホ抜かせ! なにゆうてんのや。それで犠牲が減るとでも思っとるのか? そんなところにあんたらがいてたところで、無駄に森林を焼くだけやろ」
レイラが言ったこと。それはまとまることも、口にすることもなかったが、俺も頭の片隅で、心のどこかで感じていたことであった。
死と隣合わせになりながら進む部隊に、俺たちが別れて、護衛というか一員として進めば犠牲は少なくなるのかもしれない。皆が逃げるだけの時間を稼げるかもしれないと。
でも、きっと現実は違う。レウが言った通りになる。俺たちが相手をしている敵は、昆虫どもがやっかいなのは捨て身の突撃でも、強靭な顎でも、毒針でもない。数の暴力だ。
敵との遭遇戦で、ボスと1対1とか1対20程度ザコどもなら、俺たちでもなんとかなる。特にそれがオークやゴブリンならば楽勝だろう。ゴブリンみたいな兵士が予想される敵なら、俺たちが部隊の護衛として就けば犠牲者を0にできるだろう。
しかしやつら違う。桁が違う。2桁どころか3桁も4桁も、下手をすれば5桁以上違うのだ。200万匹の敵に襲われたら、もうボスとかザコとかなんて関係ない。
俺たちが護衛につき昆虫の大群と戦えばおそらく10万匹くらいの敵と引き換えに辺り一面を焼く。しかし大局的にみれば結果は同じになる。レウの言う通りなのである。
部屋の空気が重くなり、レウに叱られるように言われたレイラは俯いて目をつぶり小さく首を振る。レイラ自身も分かっているのだろう。それでも彼女のなかでは、犠牲を強いることを選んだ、いや選ばせてしまった負い目がある。だからこそ重い口を開いたのだろう。
レイラと同じように俯いているキャサリンも小さくため息をついている。レウはレイラが理解し、皆も同じ考えだと確認すると、胸の前で茶色の右テールを見つめて弄ぶ、いつものような態度に戻っている。何もなかったかのように。
少しの沈黙があったが、話を進める役目となっていたラウラが口を開く。
「レイラ。キャサリン。勘違いしているのかもしれないので、言っておこう。今回の作戦で、もし多数の犠牲者が出たとしても君たちが気に病む必要はない。我ら全員、七星が揃って決めたことだ。たとえそれが間違いであっても、茨の道であっても我らは前に進む。進まなければならないのだ。人類のためにな。それに大森林に進軍、いやこの戦いに望んでいる者は程度の大小はあるが死を覚悟している兵士たちだ。人類のためにできることを、それぞれが役割と誇りを持ってこの戦いに望んでいるのだ」
ラウラの話をじっと聞いていた蛍が大きく頷いた。グスタフだけはその場にいなかったが、ここにいる他のメンバー全員で決めたことだ。キャサリンたちが反対したのは事実であるが、最終的に決断したのは俺も含めて全員だ。ラウラはひとりずつ確認を取ったのだ。もう、俺たちのなかで、今回の作戦を間違いだと言える者はいないのだ。
まあ、兵士たちの心構えとしては、白狼軍やキャット・タウンの兵士たちまでが同じかというと違うだろうが、人類の兵士たちは昆虫軍との戦いと聞けば嫌でも犠牲となった人々を思い出す。あの惨劇とあの激戦を。だからこそ覚悟と誇りがなければ参戦などできないのだ。
そうか。白狼軍やキャット・タウン軍も惨劇という意味では同じか。フレイムの父であり、将軍であったレイダー・バレットを討たれたことは決して忘れていないだろうし、キャット・タウンでも惨劇はあったと聞いた。
あれっ? キャット・タウンの惨劇は偽フレイムから聞いたのか。あれは作り話か? いや、違うな。ブラッド・リメンバーでニャサブロウたちもそんなことを言っていたよな。
俺は、自分の頭のなかが脱線しているのに気が付き迷いを振り払うように威儀を正す。ラウラが話を進めていく。
「前半戦で敵と遭遇するかどうかは神のみぞ知ることで、無事でいてほしいとは思うが、もしものときを想定しながらも前に進む。我らが今そのことで気に悩むことはない。それでいいのだ」
ダメを押すラウラの言葉に皆、黙って頷いた。レウとラウラはすでにもしものときを想定しているようだし、もう他にできることはない。この話はこれで終わりでいい、終わるしかないのだ。
「では次に移ろう。後半戦のことだ。当たり前のことだが、前半戦の兵士たちの働きを無駄にするかどうかは後半戦にかかっている。後半戦の主力部隊は七星を含めたおよそ100だ。七星以外の中心は前回の戦いで敵本陣急襲部隊で戦い生き残った精鋭たちで編成する」
前回の戦いで生き残ったということはダスティンは俺たちと一緒に行動するということか。そうか、それですでに作戦がはじまっているのにブルーリバーにいるのか。ダスティンに視線を送ると口元を緩ませ不敵に笑う。
あれっ。ということはゴドルフもか。あいつも一緒に戦うのか、レイラは大丈夫なのか、いやもう大丈夫かなどと思っていたら、ラウラが聞き逃せないことを説明した。
「すでに先発隊は出ているが、我らはともに戦う兵士たちとともに明日出立し、ベック・ハウンド城へと向かう」
きたか。やっとだ。天使たちに会えるかもしれない。イーニャたちの笑顔が浮かんだが、もちろん口には出さずに、俺は我意を得たりと何度も頷いていた。
前の席にいて、俯いていたレイラも心なしか顔を上げている。キャサリンに至っては、俺を一瞥して視線が合ったら顔を赤らめてまた俯くという怪しげな態度を取っていた。
しかし、主力部隊と言われてもなにをするんだというか、俺たちはどう攻撃するのか? 内部にいる敵を周囲から火を放ってあぶり出すとかか? あるいは蛍やレウの大技をまた炸裂させるのか? いやレウの技は射程距離が短いか。
そう言えばと隣にいる蛍をじっと見つめる。忘れていたわけではないが、今回の蛍は前回の戦いのようには怯えていない。慣れてきたのか? いや違うか。
前回はあの子どものころのように「虫が攻めてきた!」だったが、今回は攻めてくるわではなく一所にいる虫を叩きつぶす戦いだからイメージが全然違うな。それも上手くいけば遠くにいる虫が焼かれているのを見ているだけとか、遠くにいる虫に矢を放つだけだからな。
どちらも虫と戦うことに違いはないが、寄ってくる虫と遠くで蠢いている虫ではぜんぜん違うしな。虫に襲われて戦うイメージがない戦いと言ってもいいかもしれない。
蛍がどんな風に今回の戦いを受け止めているのか、虫と戦うことを克服しているのかは想像の域を出ないが、それでも、俺は蛍が前回のようには怯えていないことに少し安堵する。ラウラが続ける。
「後半戦の攻撃方法は状況に応じて何パターンか用意してあるが、基本は一斉に外部から火矢を放ち、内部を焼き尽くす方法を取る。ただし戦況に応じて別の策を取ることもありうるのでそのつもりでいてほしい。とにかく敵に止めを刺すのは我ら主力部隊の任務であり、最も重要なこととなる」
当たり前のことというか、敵の親玉を消さない限り、昆虫どもをどれほど焼こうが人類に勝利はない。
ただ、周囲から火を放っても、敵が標的からどういう動きをするのかわからない。周囲を囲う前準備から、火矢を撃ちこむ後半戦の攻撃開始の合図。ここから先が重要なのだが、最も難しいというわけか。それを七星を中心とした主力部隊が成し遂げなければならないわけか。
「今回の作戦会議は以上だ。それと七英雄は残ってくれ。まだ少し伝えておくことがある」
ラウラが会議を締めるとエドワードはすっと立ち上がり「それでは明日の朝お迎えにあがります」とだけ言い、部屋を出ていく。
グスタフは緊張した面持ちのままレウとラウラに一礼してエドワードの後を追った。
そして、最後に立ち上がったダスティンは『また一緒に戦えるな』とは言わなかったが、そんな視線を俺に向けて出て行ったのだった。