209 静かに流れる戦前
任務の途中で『ウォンテッド』らしい人物を見つけて接近したが、結局は逃がしてしまったローサは、すぐさまレウの元に走った。
3度ノックするいつものやり取りのあと、部屋にいたレウとラウラの前に息を整えながらローサは傅いた。
「戻ったんか?」
いつものようにレウは短く質問する。ローサは大きめに息を吐き出して、自らを落ち着かせた。
「はっ。至急お伝えしたいことが起こりました」
「なんや?」
ローサの答えに再びレウは短く問うが、少しいらだった視線をローサに向けた。レウはまどろっこしい会話を嫌う。結果だけ、重要なことだけを伝えてほしかったのである。
つまりここでローサが語った「お伝えしたいことが起こりました」は、レウにとっては「そやからあんたは戻ってきたんやろ!」と突っ込みたくなるほど当たり前のことであり、レウは会話の無駄、時間の無駄だと思ってしまうのであった。
姉のラウラは辛抱強く情報を引き出せる力を持っているので、無駄な話が続いたりしてレウが嫌気がさすと替ってラウラが聞き出すというのが、レウ、ラウラの姉妹であった。
もちろんローサは辛抱強く聞かなければ言葉が出てこない者でもないし、レウが思う無駄な話を続けてしまうこともなく、レウの性格もこれまでの付き合いから理解しているので、さっそく核心に触れていく。
「任務の途中で林の中にウォンテッドを発見。気配を消して接近しましたが捕まえ損ねました」
「ほう。いてたか……。詳しく話してみ」
ようやくローサが戻った理由を理解して興味を持ったレウはラウラと視線を合わせて軽く頷き合う。
「はっ」
下を向いたまま、レウへの返事を、整える息とともに吐き出してからローサはゆっくりと順を追ってさきほど見て、聞いて、体験したことを話していった。もちろんローサの意見や感情は含まれない事実だけを忠実に伝えている。
ローサの話に興味をもったレウはそれまで座っていたベッドから移動し、傅くローサの正面に椅子を持っていき逆向きにまたがって座る。窓際に立つラウラは腕を組んで、時折、窓から見える北の空に視線を移しながらローサの話を聞いた。
ローサが話をしていくなかで、レウの相槌が止まったのはフードの人物が水晶珠を見たあとに呟いた言葉『茨の道、これこそ、わけか』を伝えたときであった。
ローサの言葉が部屋に響くと姉妹はふたり揃って眉間に皺を寄せ、レウは両手でツインテールを強く握りしめて左右から頭を押さえ、ラウラは組んでいた腕を解いて、右手を額に当てて目を瞑った。
ふたりの様子がおかしいことに気が付いたローサであったが、常人には計り知れないというか自分には分からないことだと思い直して、続きを話していく。事実、ローサにはとぎれとぎれの言葉の意味は皆目見当もつかなかった。
「……そこで、ヤツは煙のように消えました。申し訳ありません」
「あんたのせいやない。謝る必要はないわ」
話の最後にローサが取り逃したことを詫びるとレウは即座に否定する。そして、勢いよくツインテールをブルンと揺らしてラウラの方を向いた。
「姉さん!」
「ああ。より慎重に……。いや、もう一段ギアを上げる必要があるな」
レウから声を掛けられたラウラは、強い視線を妹に送り、妹はそれを受けてゆっくりと頷いたのであった。
ちなみに、このあとローサは荷馬車隊の護衛には戻らず、レウの指示で、アンカー・フォートを経由してコッテへと走ったのであった。
◆◇◆◇◆◇
白狼軍の参戦が決まってから数日後。
俺たちはいつもの朝練に精を出していた。今日も快晴の中央世界の穏やかな1日のはじまりである。
体を動かすことが好きな俺たちティーンエイジャーには、過ごしやすく、静かに流れる日々であったが、刻一刻と昆虫軍との戦いへ向けての時は刻まれていた。
相変わらずレウとラウラが俺たちと行動を共にするのは食事のときだけで、その食事の時間さえ忙しいからと参加しないときもあった。
彼女たちが何のために、何を目的に動いているのかは分かっていたが、何をしているのかまでは分からなかった。俺たちが聞かされていたのは、準備が整い次第、作戦に入るということだけであった。
そんな日々のなかで、ブルーリバーには変化があった。街にちらほらとだが白狼たちを見かけるようになっていたのだ。もちろんベック・ハウンド城からの避難民である。
聞いたところでは、避難民の多くはブラッド・リメンバーに行き、ブルーリバーで預かることになったのは1/10程度だということである。
避難してきた人々はオールコック邸がある内門の中の街ではなく外門と内門の間、つまりは兵士たちの宿舎や傭兵たちの塒がある場所に特別に造られた住居に誘導されてそこで暮らしているそうだ。
今までの生活を捨ててここまで逃げてきたようなものだから、不安もあるだろうが、エドワードの一声で集まった住人たちが中心になって、避難民たちの面倒を見ているということだった。まあ、それなら、ひどいことにはなっていないだろう。
「わたくしを拾ってくれた養父に任せておけば、なんの問題もありませんわ。おほほほほ」
訓練からオールコック邸に戻る途中で白狼たちを見かけ、みなでその話をしたときには、キャサリンが最後にそう言って自慢気に笑っていた。
俺は最初に白狼の獣人を見たときには、もしかしたら? と思い鼻息が荒くなりそうになったが、獣人たちのなかに猫族を見つけることはなかった。もちろんイーニャたちも。
そういえばキャサリンたちも、最初はキラーンと目を光らせていたが、猫族がいないと分かると死んだ魚のような目で遠くを見ていたな。
避難してきたのは白狼族のお母さんと子ども、あるいは子どもたちという組み合わせが多かったし、なかにはフレイムやスノウのような美人の獣人もいたが、俺には用はなかった。
こうして、街には変化があったが、俺たちは、戦いの準備が整うまではいつものように訓練に明け暮れる日々を過ごしていたのである。
◆◇◆◇◆◇
一方、北の本拠地から南へ向けての船旅を続けていたカリグ・アイドウラン率いる獣帝国の一団は未だ陸から離れた海上にいた。
竜王国軍が大陸の東に兵を割いていなかったので、敵に悟られるようなこともなかったが、内陸の様子までは確認できず、まだベック・ハウンド城が無事なのかどうかもわかっていない状態であった。
その南へ向かう獣帝国軍が警戒している竜王国軍は、将軍たちは本国に戻っていて南の情勢には一切目を向けず、本拠地の北にあるスカイ・フォークへの技術者の派遣や労働力としての兵士たちの派兵に精を出していた。ただひとり第七世界攻めを担当してるエキドナ将軍を残して……。
そして、エルフの精霊シキとサキが封印を解いてしまった漆黒の珠はゆっくりとだが確実に、一歩ずつ、主であるアンゴルモアが眠るドラゴン・パレスへと進んでいたのであった。
◆◇◆◇◆◇
のちの歴史家は言う。
中央世界暦4871年10月初旬。
7大陸中央の大森林で起こった白狼軍の援軍を得た人類と昆虫軍との戦いは、大方の戦前の予想を覆す稀有な戦いであったと。
そして、戦いののちに付けられた名称は『大森林での死闘』であった。