14 通じ合う言葉とバベルの塔
「それにしても、みなさんは英語が上手いですわね。わたくし感心してしまいますわ。きっと有名な進学校だったんですね」
「えっ!」
「はぁ? 何、言ってるんだ、キャサリン?」
「ち、ちょっと待って、キャサリン! 私たち英語なんて使ってないわよ。こっちこそ、あなたは日本語が上手いなぁと思ってたんだけど」
「えーーーー。そうなんですの!? それって……」
キャサリンの言葉に、ただ、ただ、驚いただけの俺と幸介だったが、蛍がすぐさま確認をはじめた。
「ねぇ、今、しゃべっているのが英語に聞こえているの?」
「ええ、そうですわよ」
「幸介と達也は? 英語に聞こえる?」
「そんな訳ないだろ。英語だったら、俺、理解できねぇーよ。達也もそうだろ?」
「ああ、俺も無理だな」
幸介の英語の成績は、それこそ残念なもので、成績優秀な蛍だけならまだしも、俺も英会話ができるなどと思ったことは、これまでに一度もなかった。
「つまりこうね。誰もが元の世界で使ってた言葉でしゃべっている。それで、脳内変換なのか、何なのかは別として、とにかくそれで理解し合えている。みんながそう思っているなら、どんなに不思議でも、これも事実として受け止めるしかないわね」
「あっ、そういえば……」
「うん? 達也、どうしたの?」
「俺たちを取り囲んだゴブリンたちが、浚うだの、食うだの言うから、ふざけるなって言ったら、お前言葉がしゃべるのか、と驚いていやがった」
「アハハハハハハ。お前、あんなやつらに、そんなこと言われてたのか!」
「笑うな、幸介! 俺も腹が立ったさ」
「アハハ、っと、悪い、悪い。ついな」
「そう、そいつらまで……」
ゴブリンたちとのことを思い出し、それを説明すると、蛍は再び考え込んでしまった。
蛍の真剣な眼差しを見て、俺はこの言葉の問題については、あることを思い出していた。暦のときとは違って、しっかりと。
「も、もしかして、これって……。関係するのかな? でもまさかな?」
「まさかって何? 達也、何か気が付いたの? 言ってみて。正解なんて、誰も分からないし、どんなにつまらないことでも、話しているうちに、糸口になることもあるわ」
蛍に促されて、内容をできるだけ正確に思い出そうとしていた神話、そう旧約聖書に書かれた物語について話しはじめる。
「ああ、俺が気が付いたのは、人類の言葉が、英語や日本語などの言語に分かれた原因とされている『バベルの塔』の話さ」
「バベルの塔? それってどんな話?」
キャサリンと幸介も首を傾げ、さすがの蛍も旧約聖書の神話までは知らないようで、内容を聞いてきた。
ファンタジーや神話系の本を読み漁ったオタク趣味が、こんな所で活きたと思った俺は、心のどこかで『えっへん』という声を上げ、バベルの塔について、話しはじめる。
バベルの塔。
旧約聖書の『ノアの箱舟』の次あたりに登場する物語で、まだ人類が共通言語を使っていたころのこと。人々は石の変わりに煉瓦を、漆喰の変わりにアスファルトを用いて、街を造り、天まで届くほどの塔を造りはじめた。
それを天上から見ていた神様が、天に届く塔を造るなどという業は、同じ言葉をしゃべっているからだと見定め、それなら言葉を乱してやろうと、街にいた人々を世界に分散させて、言葉を通じなくした。
残された造り掛けの塔や街が壊されたとは、実際には書かれていないらしいが、神の怒りに触れて、街と塔は破壊され、言葉を乱されたという説もある。
ちなみに、比喩的にだが、無謀な計画を指して『そんなバベルの塔のような企画はNGだ』などと使われることもある。
俺が、知っていたバベルの塔の話を一通り終えると、神をも恐れぬ(?)幸介が笑いながら、声を上げた。
「アハハハ、なんだそれ。神様って、ちぃっちぇーな! もっと、ドンと来い、みたいなのができないのかよ」
「幸介さん、そんなこと言ってると、天罰が下りますわよ」
「おう、やれるもんなら、やってみろってんだ。ガハハハハハハ」
『まったく、もう』という表情をしたキャサリンは、蛍の言葉を待っているのか、幸介のことは放っておいて、視線を蛍に向けた。
話し終わった俺も、幸介の言葉にも一理あるかも? と思いつつ、バベルの塔が本当に関係しているのかどうかは、半信半疑だったので、蛍の反応を見守っていた。
蛍は、腕を組んで、目を瞑り、『うーん』と唸っていたが、やがて整理がついたのか、何度も頷いてから、話しはじめる。
「それは……、こういうことになるのね。いい、これは仮定の話として聞いて。ふたつのパターンを考えてみたから。それで、まず大切なのは、この中央世界を、そもそも誰が創ったのか? これだけのことができるのって、私たちが常識的に考えたら、神様しかいないわよね。もう、ここではそう思うの。これが大前提となるわね」
「ああ、分かった。続けてくれ」
俺だけが声に出し、幸介とキャサリンは、ひとつ頷いて黙ったまま視線を送る。
「この世界にはゴブリン、ドラゴン、それに古代生物・アノロマカリスなどもいて、人類も存在してるでしょ。それで、確認はしてないけど、まだ誰も神の元へ向かう塔なんて造ってないでしょ? つまり、神が世界を創った初期に、言語のルールが戻っている。だから、皆共通の言葉をしゃべり理解しあっている。簡単に言うと、ノアの方舟のあと、塔を造り始めるまでの世界がここ、ってこと。これがひとつ目ね」
「なるほど。元の世界がおよそ46億年、人類だけとしても700万年として、この世界が、その初期のほうの4871年だとしたら、ありえないことではないな」
俺が口を挟むと、蛍は頷きながらも、もうひとつの可能性について話しはじめる。
「ええ、そういうこと。それでね、もうひとつが、さっきの幸介の言葉じゃないけど、神様が反省したってこと……」
「おぉぉぉ、そうか。うんうん。反省したなら許す」
「幸介さんは、大人しくしてなさい。ほたる、続けて」
幸介が喜んで声を上げたため、蛍の解説が中断したが、キャサリンに怒られて、幸介は口を強く閉じ苦虫を潰したような顔で、肩を竦める。
「うん。でね。ふたつ目も内容は同じようなことなんだけど、初期に戻ったのではなく、新しく創った場合。どんな目的かは分からないけど、新しい世界を創らなければならなくなった。それで、昔、言葉を乱したのは失敗だったと思ったのか、小さいと思われたくないのかは知らないけれど、言葉を乱すのとは逆に、どんな言葉を話しても通じるようにした。これがふたつ目ね」
「なるほどな。新しい世界のルールだな」
神によって、新しく創られた世界が、初期状態に戻したものなのか? 今までの世界を維持しつつ、反省して(?)ルールを変えたのか?
どちらにしても、どんな言葉でも通じ合えるのがこの世界の決まりなのだなと、俺は納得することにした。
まあ、神が創る世界のルールを、人が詮索することこそ、業なのかもしれないしな。
「この問題は、この世界の成り立ちと大きく関係するでしょうね。明日にでも、さっきの暦の問題と一緒に、エドワードさんに聞いてみましょう」
蛍が、湯上りの情報収集と分析会に一区切りつけたところで、キャサリンが、夜も更けてきたことを告げて、お開きの合図を蛍に投げ掛ける。
「ほたる。今日は、もうかなり遅くなりましたわ。そろそろ休みましょう。ほたるは、わたくしの部屋、達也は、幸介さんの部屋に床の用意をさせましたから」
「ええ、そうね。ありがとう。じゃあ、みんな明日ね! おやすみなさい」
「「ああ、おやすみ」」
食堂を出て、それぞれの部屋に向かう途中、ひとつのため息とともに蛍の呟きが漏れてきていた。
「私たちには、ルールというよりカオスよね……。追いつけるのかしら?」