13 4871年の未来!?
風呂を終えて食堂に戻ると、まだ蛍たちは上がっていないようで、しばらく幸介とふたりで待っていると、突然、ふんわりとした風とともにジャスミンの香りが部屋に入ってきた。
香りにつられて、俺たちはドアの方へ顔を向けた。
そこには、ランプの光が反射して幻想的に輝く黒髪と華奢だがその身に優艶さを漂わせた蛍と、洗い立ての金髪を高めのポニーテールにまとめ、丸みを帯びた柔かな肢体と豊満な胸を強調し、エレガントさを身に纏うキャサリンがいた。
湯上りで、ほんのりと赤く染まった柔肌とその張り、ため息が出る色っぽさ。ジャスミンの香りと薄明りの中でさえ輝く黒と金、幼さが残る妖艶さが、美のシンフォニーを奏でる。
服装は白のシャツと、蛍は薄紫のワンピース、キャサリンは薄緑のワンピースというシンプルなものであったが、ふたりの美しさを映えさせるには十分なものであった。
特にキャサリンのワンピースは胸元が広く開いていて、そこから覗く谷間は直視できるものではなく、チラ見しては俺たちは顔を赤らめていた。
湯上りの美少女たちの姿、刺激の強さに、どう対処していいかわからずに、俺と幸介は、挙動不審とさえ取れる、落ち着かない姿をさらけ出していたが、蛍の声がそれをリアルに戻してくれた。
「みんなどうしたの? 座ろうよ」
「「はい」」
普段なら、「おお」とか「ああ」とか言うのだが、ここでは「はい」としか答えられず、蛍は訝った。
「変なのっ?」
「ふーーーーーん。ほたるっ! おふたりは、わたくしたちのあまりの色っぽさに、言葉を失っていますわね。特にわたくしの胸に…………」
「「「キャサリン!」」」
「あらあら、お仲がお良ろしいことで。おほほほほほほほ」
3人がそれぞれの理由で頬を赤らめ、言葉を重ねて叫んだが、キャサリンは半目になって、右手の甲を口に当てて、どこぞの御令嬢かという笑い声を上げた。
◆◇◆◇◆◇
ふたりの香りが、しばらくは動揺を誘っていたが、呼吸を整えて落ち着き、食事のときと同じように、俺とキャサリン、幸介と蛍が隣り合ってテーブルを挟んで話しはじめる。
いつものように蛍が話を切り出し、それにキャサリンが答えたのだが、あまりの内容で、しばらく蛍と俺は絶句することになる。
「ねぇ、まず聞いていいかしら? 今日の日付を教えてくれる?」
「えーっとですね。今日は、4871年3月1日ですわ」
「「えっ!!」」
「そうなんだよ、天文学的数字だろ。最初に聞いたときは、俺も驚いたよ……」
お前はどこからが天文学なんだというのはさておき、4871年だと! ここは未来なのか? なんだその年号は? ……第三次世界大戦で世界が滅びたあととかか? それと夏だったのに、3月だって?
訳がわからず、蛍の次の説明を聞くまでは、ただひたすら狼狽し、幸介の最後のほうの言葉は、まったく頭には入らなかった。
しばらく黙考していた蛍は湯上りだからか、いつもよりは赤めの唇を一度強く結んだかと思うと、ゆっくりと話しはじめた。
「4871年が、元の世界の時間軸を進めた未来というのは考えにくいわよね。元の世界が、第六世界と言われてて、この世界には番号はないんだから、いくつまであるかは知らないけど、複数の世界と、この中央世界があるってことになるでしょ。そう考えれば、おそらく4871年というのは、この中央世界での年号ね」
3人は黙って、蛍が話す推理に耳を傾け、そして、聞き続けた。
「つまりね。元の世界では2019年でも、こっちには別の歴史があって、それが1年ずつ積み重なって4871年になった。そう考えるのが自然だわ。それに4871年という数字自体は、天文学ではもちろんないし、驚くことでもないでしょ。西暦に慣れ親しんでいる私たちだから違和感があるだけで、元の世界だって、誕生からなら46億年なんだし。どの時点を1年目とするかで、年号が大きく変わるのは当然よね。……ねぇ、ところで、1年って何か月あるのか知ってる? あるいは何日かな?」
俺と幸介は、蛍の頭の回転の速さ、理路整然とした思考と解説する力を目の当りにしても、それほど驚くことはないが、キャサリンだけは目を丸くしていた。
「す、すごいですわね、ほたる。まるで博士か、名探偵みたい……。あっ、失礼。1年が何か月かですわね。暦については、わたくしも、最近ですが養父様に確認しましたわ。確か、1か月はどの月でも30日で、1年は12か月だそうです。あ、あと、1日が24時間なのは、元の世界と同じですわ」
「そうそう、全部30日でさ、7月31日とか12月31日がなくて、夏休みとか、冬休みが短くて損するんだよな! そんなの納得いかないよな。ガハハハハハ」
「幸介、お願い。少し黙っててくれない?」
「ああ、悪い。そうするよ」
思考の邪魔にしかならない幸介の言葉を遮り、蛍は眉間に皺を寄せ、両手で頭を抱えて、30日、12か月と呟いている。
ふたりの様子を見ながら、おそらく幸介はキャサリンを思いやる心、あの不幸な時期を思い出させないために、道化師を演じているんじゃないか? と俺は考えていた。
まあ、ただのお気楽者という可能性も捨て切れないが……。
キャサリンに目を向ければ、どちらにしても成功しているようで、幸介の様子を見て、やれやれと肩を竦めていた。
「分かったわ。とにかくここでは、1年は12か月あって360日、1日は24時間ってことね。ねぇ、それとさ、3月ってのは? そんなに寒くないわよね。まるで元の世界と同じような気候だし。今って、夏じゃないの?」
蛍は暦については自分のなかでは消化したようで、俺も疑問に思っていた3月にしては暖かすぎる気候について問い掛けた。
それに対してキャサリンと幸介は、また、意外なことを話しはじめた。
「ええ。夏とか冬とか、この世界には四季はないそうですわ。いつも同じ気候で、わたくしが、ここに来た1月も同じような感じでしたから」
「俺が来たときもそうだな。初夏というか初秋というか、過ごしやすいな。ここは」
「なるほどね。まあ、それは元の世界でも、日本には四季があったけど、四季がなく常夏とかの地域もあるし。年中、初夏のような気候。これが、この世界の決まりということね。今はそう理解しましょう。達也もいい?」
「ああ、分かった」
確かに、蛍が言うように驚いたり、戸惑ったり、理由を詮索するよりも、そこにあるものをある、と認識することが、前へ進むための第一歩だ。
蛍に念を押されて、そのことに気が付いた俺は、ふと、何かが降りてくるような錯覚に落ちいった。
『360日? 1か月違い? 7月1日? ………………』
しかし、『それにしても』で始まる次のキャサリンの驚くべき言葉が、あと少しで分かりそうだった何かを、どこかへ消し去ってしまうのだった。