10 七星刻
食後の紅茶を飲みながら、蛍が、エドワードが答えてくれなかった質問を独り言のように皆に投げ掛ける。
「英雄と……聖母か。なんなんだろうね?」
「聖母というのは分かりませんが、英雄というのは知ってますわよ。ねぇ、幸介さん」
「「えっ!」」
「ああ、これだ。これがその証だそうだ」
驚く俺と蛍に対して、幸介とキャサリンがシャツをまくりあげて見せてくれた左腕の上腕部には、やけどした傷の治りかけのような、しかし、はっきりと形が分かる薄い赤色の☆型があった。
ふたりの☆型を見比べると、微妙に位置が違っている。よく見てみると、それは痣のようでも、刻印のようでもあった。
「これは? 痣か?」
「いえ、違いますわ。これが英雄の証、七星刻ですわ。セブンスターとも言われているそうです」
俺の問い掛けに応じたキャサリンの声を聞きながら、蛍と俺はそれぞれの左上腕部を確認してみるが、そんなものは、どこにもなかった。
「そうか、ないか。でも、俺が英雄で、お前らが違うとは考えられないよな。きっと、達也が言ってた、どっかに行ってて、ここに来たときには、まだ3時間くらいしか経ってないってのが原因だろうな。まあ、いやでも明日になれば分かるさ! 驚くぞー、自分でも信じられないほど、パワーアップするんだぜ。しかも、スーパーパワーアップする能力もあるからな」
「パワーアップ?」
「ねぇ、それって、まとめると、こういうことかな。英雄とは、この世界に来て、次の日を迎えると七星刻が左上腕に現れ、その時に持っている身体能力が大幅に向上する。そして、特に一部の能力の伸び方は飛躍的である、ってこと? それと幸介は随分前からいるみたいなのは分かるけど、いつここへ来たの?」
幸介の説明に、俺が疑問を投げ掛ると、蛍が要領よくまとめて、幸介たちに確認を取る。
キャサリンが『ええ、そういうことですわ』と言って頷き、幸介は『1か月前だ』と答えた。
「1か月前…………。それで、幸介は何がスーパーになったの?」
蛍の問い掛けは続き、それに応えて幸介は、驚くようなことを説明しはじめる。
「ああ、俺はたぶん腕力だろうな。お前らも知ってる通り空手には自信があったが、正拳突きの威力がハンパなく上がっている。この前な、試しにキャサリンと一緒に森に行って、木の幹に向けて気合を入れて放ったら、バキッって折れてたしな」
「えっ! なんだそれ。もしかして小枝のような木ってオチか?」
にわかには信じられず、ちゃちゃを入れた俺に対して、幸介はすぐさま少し怒った顔で否定する。
「ばかいえ、そんなもん、スーパー能力でなくても折れるわ! なめてんのか! なんの木かは知らないが、直径でこれくらいある木だ」
そう言いながら、幸介は、両手で30センチくらいの長さを示すジェスチャーをした。
そんな木を素手で倒せるのか。たしかに飛躍的な能力アップだなと、素直に謝る。
「悪い、悪い、ちょっと信じられなかったんだよ。それは、凄いな。でも、なるほどだな。キャサリンの技も凄かったもんな」
俺は、ゴブリンを一蹴したキャサリンの姿を思い出していた。
一緒にいた蛍は、ある事情があって見てなかったので、小首を傾げて微笑んでいる。
俺の言葉を繋ぐように、幸介が、キャサリンのパワーアップについて、説明しはじめる。
「キャサリンは元々は体操選手なんだよ。柔軟さとか身軽さに磨きがかかって、忍者みたいな動きができるようになったんだろうな。それで、スーパーの部分は脚力だよな」
「まあ、そうですわね。わたくしは、元の世界では、体操の代表選手でしたから。飛んだり跳ねたりの身体能力と、柔軟さには自信がありましたの。でも、確かに脚力だけは、飛躍的に伸びていると感じてますわ」
胸を張ってキャサリンが答える。
確かに体操選手は、どれというより、バランスよく全身の筋肉を強化し、さらに柔軟さを求められるため、その練習は過酷と言われているよな。
そう考えながら、キャサリンの動きや素早さ、着地を思い出し、俺はつい口が滑ってしまう……。
「そっか、なるほどなぁ。それで『100点満点でござる』なんだ…………あっ! あぅっ!!」
その瞬間、周囲が乾いた空気に包まれ、隣にいたキャサリンが、肘鉄砲と『このバカッ! 裏切り者! 秘伝破り!』と、俺だけに聞こえるドスの聞いた小声をぶつけてきた。
それまでは、満足そうな顔をしていた幸介だったが、『ござる』が、部屋に響いたとたんに、こめかみに怒りマークを浮かばせて、『キッ!』とキャサリンを睨みつけた。
怒りから次第に笑顔になる幸介の表情を見て、あれは……微笑みの悪魔。
あいついつの間に……。たしか、あいつも、トラウマってたはずなのに。
「キャサリーーーン。『ござる』したみたいだなぁ~。女の子らしくしないとダメって約束したよな。でも好きなんだから、仕方ないかぁー」
「な、な、な、なにを言ってますの? 幸介さん。わ、わたくしはそんな野蛮な言葉は使ってませんわ!」
『あとで天誅でござるよ!』と、小声で俺に呪いの言葉を投げ掛けながら、必死に否定するキャサリン。
ようやく肘鉄砲の痛みが和らいできた俺は、やってしまった感に、内心ビビリながらも、そっぽを向いて、知らぬ、存ぜぬ、我関せずと、『どうしたのかなぁ?』とふたりを見つめる蛍の様子に、視線を向けていた。
「アウトーーー! よしっ、お仕置きだ」
「や、や、や、やめてください……。どこがアウト……。いや、来ないで……。この変態! チカン! 拷問魔!! いやぁーーーーーーーーーー ギャハハハハハハハハ、ハッ、ハッ、ヒィ、ヒィ、ヒーーーーーーィ」
幸介は席を立って、キャサリンを部屋の隅に追いつめて組み伏せる。そして、キャサリンの腿の上に乗って足を封じて、脇腹をくすぐり倒した。
キャサリンは悲鳴を上げながら大笑いして、『こらっ、やめっ、てっ』と手で幸介を叩いたりしている。
もちろん、その程度では、幸介のお仕置きは止まらない。
「こらぁ、もういいかげ……アハハハハハハハハ……ハァ、ハァ、ウーン……イヤーーーーーーーー、ハハハハハハ」
大暴れをして、なんとかその窮地から脱したキャサリンは、さすが体操の代表選手といえる軽業で、クルリと態勢を立て直して、椅子の上に乗る。
そして、息を整えながら、猫のように爪を立てる仕草をして『シャー、シャー!』と幸介をけん制する。
その間、俺は蛍と顔を見合わせ、『はぁー』と嘆息し、同時にジト目になって『なにやってんだか……』と、ふたりのじゃれ合いを眺めていた。