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S31 命

 最初に魔物を殺した時のことを、俺は一生忘れないだろう。


 スキルがあってステータスがあって、おまけに魔物を殺せばレベルが上がる。

 そんなゲームみたいな世界に生まれ変わって、俺はどこかゲーム感覚で生きていた。

 それが間違いなのだと知ったのは、夏目に殺されかけた時。

 そして、この手で命を奪った時。


 あれは学園に入学してからのことだ。

 魔物と戦う実習があり、俺は生まれて初めて魔物と相対した。

 学園の実習で未熟な生徒が戦う相手とあって、その時の魔物はかなり弱いものだった。

 大人であれば戦闘を普段しない人間でも撃退できるような、小動物と言っていいようなもの。

 それでも魔物は魔物。

 魔物は人を積極的に襲ってくる害獣であり、弱い魔物であろうと殺さなければ被害が出る。

 いくら弱かろうと、魔物である以上危険が全くないわけではない。

 大人であれば撃退できると言っても、それは言い換えれば子供では危ないということだ。

 そして、大人であっても怪我なく撃退できるとは限らず、下手をすれば命だって危ない。

 現に、そんな弱い魔物でも少ないながら被害が毎年出ていた。

 実習には生徒に魔物との戦いを経験させるのと同時に、魔物を間引く意味もあった。

 だから、魔物を殺すことにためらってはいけない。

 だが……。


 俺のことを本気で殺そうとしてくる魔物。

 生きた意思がそこにはあった。

 ゲームのプログラムなんかとは違う、考えて行動する意思が。

 俺は魔物と戦う、もっと言えば、生物と戦うということを甘く見ていた。

 彼我の戦力差という意味ではない。

 それで言えば、俺のステータスは同年代の中で高く、弱い魔物であれば簡単に勝てた。

 そういうことじゃない。

 あの感覚を言葉にするのは難しい。

 けど、魔物と対峙した俺は、戦うということが想像の中のどれよりもリアルで、恐ろしいものだったのだということを、その時に実感した。


 そう、恐ろしかった。

 迫りくる魔物が、俺を殺そうとしてくる存在が、そして、それを俺が殺さなければならないということが。

 結局、俺は初戦で魔物を殺すことができず、魔物の攻撃を避け続けることしかできなかった。

 そして、それを見かねた同じ班のパルトンが止めを刺した。

 あっさりと。


「どうして……」


 俺はパルトンに、そう聞いていた。

 自分でも何に対してそう聞いたのか、よくわからなかった。

 ただ、頭に浮かんだ言葉をそのまま呟いただけ。


「あ、すみません。てこずっておられるようでしたので、つい」


 俺の問いかけに対するパルトンの答えは、俺から獲物を横取りしたことを謝るようなものだった。


「出過ぎたまねをいたしました。考えてみればシュレイン様がこの程度の魔物にてこずるはずもありませんでした。なるほど! 魔物の動きを見ていたのですね! 弱い魔物でも油断せずに観察に徹する。勉強になります」


 違う。

 そうじゃない。

 俺が聞きたかったことも、俺が魔物を倒せなかった理由も、そんなことじゃない。

 だが、わかる。

 わかってしまう。

 これが、これがこの世界と日本との違いなのだと。


 こちらの世界では命が軽い。

 あまりにも軽い。

 魔物は殺して当たり前。

 魔族は敵だから殺して当たり前。

 人同士でさえ、簡単に殺し合いになる。

 そして奪った命に対して、この世界の人間はあまりにも無頓着だ。

 まるで作業のように命を奪っていく。

 パルトンにも、魔物を殺したことに対する特別な感情は感じられなかった。


 俺だって聖人君子じゃない。

 日本にいた頃だって肉は食っていたし、虫を殺したことだってある。

 命の価値は虫だろうが動物だろうが人だろうが平等だなんて言えない。

 魔物は人を襲う害獣で、殺さなければ逆に殺されるということもわかる。

 けど、虫を殺すかのように魔物を殺すことに、抵抗を感じた。


 それでも、結局俺はその日、人生で初めて魔物をこの手で殺した。

 パルトンの尊敬の眼差しを裏切ることが怖くて。

 そして何よりも、夏目に襲われ、死にそうになった時のことを思い出して。

 自分の身は自分で守れるようにならなければならないという、その想いから、俺はレベルを上げるために魔物の命を奪った。

 俺の勝手な都合で、一つの命を奪った。


 忘れもしない。

 剣が皮を裂き、肉を切り、骨を断つ感触を。

 飛び散る血の臭いを。

 断末魔の鳴き声を。

 目に焼き付いた、命の消えていく瞬間を。

 ゲームの画面の中のCGとは違う、リアルな死がそこにはあった。


 日本でだって、害獣を駆除することはある。

 もっと言えば、店頭に並んでいる肉も、元は生きていた牛や豚だったのだ。

 人が生きていくには、命を奪わないといけない。

 間接的にせよ、俺たち人間は生きていくうえで無数の命を奪っている。

 けど、直接命を奪うことが、これほど重いことだというのは、知らなかった。

 そして、考えてしまうのだ。

 魔物でこれなのだとしたら、人を殺したらどれだけ重いのだろうかと。


 怖い。

 考えるだけで、怖い。


 夏目は、どうしてあんなことができたのか?

 俺と同じような想いを味わったのであれば、ここが夢のような世界だなんて思わないはずだ。

 ここはゲームのような世界でも、ゲームではない。

 命が軽く見られていても、地球とその重さは変わっていない。

 それを、人々がわかっていないだけで。


 わかっている。

 争いが絶えないこの世界で、相対的に命を軽く見なければやっていけないことくらい。

 彼らだって自分の生活のため、魔物や魔族を殺しているのだって。

 それをやめろだなんて俺には言えない。

 俺だって、自分のために魔物を殺してきた。

 その十字架は一生背負っていくことになる。

 その重さを少しでも軽くするために、命の重さを軽く考えたい気持ちも、わかる。

 けど、しょうがないと言って、俺まで考えを変えることはできない。

 だって、できないとわかっていながら、それでもなお、死ぬまで理想を追い求めていた勇者を知っているのだから。


「夢だっていい。実現不可能な戯言だと笑われてもいい。けど、目指すことだけはしていいはずだ。平和でみんなが笑って暮らせる世界。僕はその理想を追い続ける。死ぬ時までね」


 ユリウス兄様は、そう言って戦い続けていた。

 平和を目指すために戦うという矛盾。

 それに苦しみながら、それでも俺にはその苦悩を見せず、戦い続けていた。

 俺は、そんなユリウス兄様の理想の後を継ぎたいと思った。

 俺は戦うことが怖い。

 命を奪うことが怖い。

 命を奪われることも怖い。

 覚悟を持って戦い続けたユリウス兄様のような、立派な勇者なんかにはなれない。

 志だって、ユリウス兄様の受け売り、模倣でしかない。

 中途半端な、ないないづくしのなんちゃって勇者だ。


 けど、そんな俺だからこそ、できることがあるんじゃないかという思いもあった。

 命の重さを知っていることが、その第一歩なのではないかと。

 平和な日本で生まれ育った倫理観が、少しでも役に立つんじゃないかと。

 争いをなくすことはできなくても、少しでも争いを減らすことはできるんじゃないかと。

 みっともない勇者失格の俺だけど、そんな俺でもできることを探したい。

 俺ができることを、精一杯していきたい。

 そう、夏目に王国を追われる前まで思っていたし、その後も目の前のできることからやってきていた。






 そんな俺の考えも、ユリウス兄様の意志も、まるで嘲笑うかのようにこの世界の真実を告げられ、感情的になってしまっていた。

 失言したと気付いたのは、京也の表情からすぐにわかった。

 京也は、何かをこらえるかのような苦し気な表情をしていたから。

 その表情から、京也だってやりたくて夏目を殺したんじゃないということが伝わってきて、どこかホッとした。

 けど、胸の内で渦巻く感情がそれで治まるわけではなく、さりとて追い打ちをかけるように言葉を重ねることもできず、俺はただ京也の顔を眺めた。


「……すまん。ちょっと感情的になって、言いすぎた」


 そうしてどれだけの時間が過ぎたのか、ようやく幾分か落ち着きを取り戻した俺は、京也に謝った。

 ここで京也を責めるのは筋違いだと、なんとなく思ったからだ。


「いや。謝る必要はないよ。俊は正しい」


 京也が、力なく首を振る。


「羨ましいよ。正しさを貫ける、俊が」


 その力のない、弱々しい表情が、夏目を容赦なく殺したのと同一人物のものなのか、俺はにわかには信じられなかった。

 京也にも、いろいろとあったのだろうことが、それで伝わってくる。

 京也はそんな弱さを一瞬だけ見せ、しかし、いったん目を閉じて再び開いた時には、力強い目つきに戻っていた。


「俊は正しい。けど、僕は僕の進む道を変える気はない。やったことを後悔することもしない」


 そこには、絶対に譲ることのない、信念を宿した男がいた。

 決して俺とは相容れない、信念を宿した。

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― 新着の感想 ―
白は“殺して”“食った”ぞ と思ってしまう
[気になる点] この時点でシュンは、『システム』内で魂が輪廻し、魂が得たもの?を『世界』に還元する事で『世界』が修復されていくみたいなメカニズムを、禁忌カンストでも知らされていないのかな? もし知って…
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