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蜘蛛ですが、なにか? 作者:馬場翁
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308 成し遂げたこと

「先生! しっかりしてください先生!」

 いち早く動いたのは、山田くんだった。
 山田くんは椅子から崩れ落ちた先生にすぐさま駆け寄り、容体を確認する。
 先生は涙を流しながら目を見開き、不規則な荒い呼吸をしながら、体をこれまた不規則に痙攣させている。
 必死に呼吸を繰り返そうとして、それなのに苦し気にしているのは過呼吸に陥ってるからか?
 山田くんが倒れた先生の半身を抱き起し、治療魔法を施している。
 けど、この世界での治療魔法はあくまでも傷ついた組織を回復させるだけで、病気を治すものじゃない。
 過呼吸を病気と言ってもいいものかどうか、それはわからないけど、治療魔法じゃ治せないのはわかる。

「どいて」

 治療魔法をかけて呼びかけるだけしかできていない山田くんを押しのけ、先生の目を覗き込む。
 そして、邪眼を発動。
 いつもとは逆の効果を発揮させる。
 私の邪眼は見たものを恐怖させる効果がある。
 それは相手の精神に作用しているということ。
 やったことはないけど、恐怖を与えることができるなら、逆に平静さを取り戻させることだって理論上はできるはずだ。

 私の邪眼を覗き込んだ先生が、一度だけ大きく体を痙攣させる。
 けど、その後大きな体の痙攣は止まった。
 とは言え、まだ呼吸は乱れたままだし、小さな痙攣は治まっていない。

「先生、落ち着いて、大きく息を吸ってください」

 なるべく先生の精神を刺激しないように、ゆっくりと、穏やかに語り掛ける。
 先生は私の言葉に従って、息を吸う。

「そのまま、慌てずに、ゆっくりと、息を吐いてください」

 わかりやすく、言い聞かせるように、それでいて穏やかに、慎重に言葉を紡ぐ。

「吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」

 そうしてゆっくりと深呼吸させると、徐々にではあるけど先生の状態は持ち直してきた。
 その間私は先生の手を握り締める。
 呼吸は安定してきたけど、ボロボロとこぼれる涙は止まらない。
 そして、激しく泣いているからか、時折シャックリみたいな痙攣がまだ続いている。
 顔面は涙と鼻水でぐちょぐちょ。
 それを私の服の袖で拭う。
 けど、拭った先からまた溢れてくる。

 しばらく、先生は泣き続けた。
 エルフで体の成長が遅い先生は、他の転生者たちに比べて見た目が幼い。
 その見た目だけならば、こうやって大泣きしている姿も違和感がない。
 けど、転生者たちにとっては衝撃の姿だったはずだ。
 先生は他の転生者と違い、唯一の大人だったから。
 見た目とは違い、前世と今世合わせれば転生者の中で最も長く生きている。
 その大人が、こうして恥も外聞もなく取り乱している姿は、きっと想像もできなかっただろう。
 私も想像してなかった。

「大丈夫。大丈夫です」

 先生の小さな背中に手を回しながら、ゆっくりと撫でる。

「先生は間違っていません」

 ゆっくりと言い聞かせる。

「命懸けで生徒のために戦ってきたことが、間違いであるはずがありません」

 その言葉に、工藤さんが気まずげに視線を逸らすのがわかった。
 私の視線は先生に向けられているけど、普段から透視能力で周囲を把握しているので、意識しなくてもそれがわかってしまった。
 工藤さんの今までの態度から、先生のことを不審に思っているということはわかっている。
 けど、工藤さんは実際に先生がどれだけ必死になって、生徒たちのことを救おうと足掻いていたか、それを知らない。
 そして、転生者が集められた理由が、ポティマスが利用するためだったと知った時、こうして倒れてしまうくらい真剣だったということも。
 後者に関しては私も見誤っていた。
 まさか、先生が倒れるとは思ってもいなかった。
 先生なら、事実を知っても大丈夫だと、そう思い込んでいた。

「ポティマスは確かに悪辣でした。けど、先生はみんなのために、嘘偽りなく頑張ってきたじゃないですか。それは間違いなんかじゃ絶対ありません。それに、こうしてみんな生きて会えたじゃないですか」

 嗚咽の止まらない先生に、優しく語り掛ける。
 実際、先生がポティマスに利用されていたことは事実だけど、それでも先生によって救われた転生者は多い。
 この世界は地球と違って過酷だ。
 私は何度死にかけたかわからないし、吸血っ子や鬼くんもそれは同じ。
 それにしたって、私たちは運がよかっただけ。
 死んでいてもおかしくなかった。
 それは他の転生者でも同じで、山田くんなどの一部の特権階級の生まれでもない限り、常に死と隣り合わせの生活を送っていたはずだ。
 もしかしたら、先生に保護されていなければ、今ここにいる半数も生き残っていなかったかもしれない。
 そして、このエルフの里に転生者が一堂に会しているからこそ、何の憂いもなくポティマスを倒すことができたのだ。
 結果オーライなのだから、先生が気に病む必要はない。

「み、んなじゃ、ない!」

 先生が泣きながら叫ぶ。

「助け、られ、なかった! わた、私は、助けられ、なかった!」

 慟哭というのはこういうことなのだろうかと、そう思わせるような叫び。
 泣きながら、とぎれとぎれでその声は決して大きくはない。
 だというのに、どうしてこうまで響くのか。

 確かに、ここにはいない人物がいる。
 桜崎一成。
 小暮直史。
 林康太。
 そして、夏目健吾。
 寝込んでいる長谷部さん以外にも、ここには欠けている転生者がいる。
 もう、会うことのない転生者が。

 彼らの死の責任を、先生は感じているらしい。
 それについて、私から言えることはない。
 けど、その責任は、そもそもがお門違いだと私は思う。
 彼らの人生は彼らのもの。
 その死もまた、彼らのものだ。
 先生がその死に責任を負う必要なんかないと思う。
 助けられたかもしれないと先生は思っているかもしれないけれど、人間にはできることとできないことがある。
 全てを救おうとするのは、傲慢な考えだ。
 全知全能でもない限り、全てを救うなんてことはできっこない。
 私にだって、できない。

 先生はその後も、幼子のように泣き続けた。
 どうして、助けられなかった、なんのために。
 そんなことを、うわ言のように呟きながら。
 そうしてどれだけ時間が経ったのか、先生はようやく泣き止んだ。
 けど、その目はどこか虚ろで、生気が感じられない。

「若葉さん」

 それまで黙って成り行きを見守っていた櫛谷さんが、私に話しかけてきた。

「先生はお疲れみたいだから、私が寝かせてくるわ。これ以上負担もかけられないだろうし。私が見てるから、話の続きをしておいて」

 その提案は、願ったりかなったりではある。
 今、先生を一人にするのは、よくない。
 できれば私が見ていてあげたいところだけど、この場を放り出して先生の看病をするのは、最善とは言い難い。
 工藤さんたちは先生に対して思うところがあるだろうし、そんな複雑な感情のままに任せておくことはできない。
 その点、櫛谷さんはこのエルフの里に来たのも最近だし、感情的にならずに先生のことを見れるはず。
 戦闘もこなせる数少ない転生者でもあるし、任せるのにこれほど最適な人物は他にいない。
 吸血っ子は論外だし、鬼くんも一応男だから、先生の看病には向かないだろうしね。

「お願いできる?」
「任せておいて」

 櫛谷さんが先生の体をお姫様抱っこする。
 田川くんと目線を合わせた櫛谷さんは、そのまま階段を上っていった。
 櫛谷さんはしっかりしているし、任せておいて大丈夫だろう。
 万が一、先生が自殺をしようとしても、止められるはずだ。

 先生と櫛谷さんが退場した後、場には気まずい雰囲気が充満する。
 あの先生の様子を見た後じゃ、先生がどれほど真剣に転生者の保護を行ってきたのか、それがわからないはずがない。
 工藤さんを筆頭に、保護されていた転生者たちは、そんな先生を責めていた。
 先生のあの様子を見て、それを後ろめたく思っているのかもしれない。
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