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過去編⑬

 ポティマス・ハァイフェナスが国際指名手配を受けるきっかけとなった事件は、一歩間違えれば大惨事となるようなものだった。

 それこそ事件が起きた当時は世界中でその話題で持ちきりになるほどの。

 世界はポティマス・ハァイフェナスの恐ろしさを知ることとなる。

 しかし、ニュースで語られた情報はあくまでも表面だけのもの。

 実情を知る者からすれば、よくぞあの程度の被害で済んだと、むしろ被害の少なさを喜ぶほどだった。

 それだけ、ポティマスの貯めこんだ禍は大きすぎたのだ。

 いかに狡猾で慎重なポティマスでも、大きくなりすぎたそれらを隠し通すことができなくなり、そして破裂した。

 それが事件の真相。

 被害者総数、死者376人という事件の。





「人身売買か。時代錯誤も甚だしいな」


 フォドゥーイは渡された資料を見て、嘆息した。

 人身売買、いわゆる奴隷を扱ったその商売は、ずいぶん昔に廃れた文化であるにもかかわらず、裏ではいまだに根絶できていないのが実情だった。

 サリエーラ会はそうした奴隷の密売組織の摘発にも力を入れている。

 奴隷として違法に売り出される人々を救済するのが目的だ。


 しかし、フォドゥーイ自身は人身売買そのものを悪と断罪する気はなかった。

 人身売買もまた、時には経済を回すのに必要な要素であったために。

 困窮した親が子を売ることで暮らしを立て直すこともあるし、売られた子供が必ずしも不幸になるとは限らない。

 やや強引な解釈をするのであれば、人身売買もまた労働斡旋なのだ。

 売られた側も売った側も双方幸せになるのであれば、それもまた一つのビジネスとして成り立つ。

 とは言え、そういったまともな人身売買は、そもそも人身売買とは言われない。

 言葉を変えてこの世界のいたるところで行われている。


 フォドゥーイが悪とする人身売買は、一般市民がその名前の印象通りに抱く、いわゆる犯罪的なものだ。

 誘拐した子供などを売りつける。

 売られた人を犯罪に使う。

 そういった、明るみに出れば裁かれるもの。

 フォドゥーイが見つめる資料にも、弁護の余地がない醜悪な取引が裏でなされていたことが記されていた。


「それで? 出所と卸先、両方とも確保できたのだろうな?」

「ええ。現地の警察機関と連携して潰しました」


 フォドゥーイの質問に答えるのは、スーツを着てはいるものの、それが全く似合わない筋骨たくましい男だった。

 彼はフォドゥーイが個人的に経営する警備会社の取締役。

 と、言えば聞こえがいいが、要は荒事専門の実働部隊の隊長である。

 フォドゥーイは財界の重鎮であり、時にはやましいこともこなさねばならない立場にある。

 明るみには出せない、暴力に訴えるようなことだ。

 今回の件もそれであり、やっていることは違法人身売買組織の摘発であるが、その手段は褒められたことではない、武力で制圧するという血なまぐさい方法だった。

 本来であれば証拠を固め、法に則って裁くべきなのだが、そんなことをしていれば逃げられてしまうことをフォドゥーイは知っている。

 それゆえの強硬手段。

 もちろんそれは違法な行為だ。


「手こずったようだな」


 フォドゥーイは隊長の首に目をやりながら呟く。

 そこには包帯が巻かれていた。

 この隊長はフォドゥーイの信頼厚い武闘派である。

 裏の仕事を生業とする関係上、普段フォドゥーイの身辺を警護している者たちと同等か、それ以上に信頼し、実力を買っている。

 だからこそこうして直接顔を合わせて報告を聞いているのだ。

 その隊長が怪我をしてきたのだから、相当てこずったのだろうとフォドゥーイは解釈していた。


「ああ、いえ。制圧自体は何の問題もありませんでした。これはその後にちょっとしたトラブルで負った傷です」


 しかし、隊長はこともなげにフォドゥーイの言葉を否定した。


「これは、救出した人間に噛まれてできた傷です。薬物でも投与されていたのか、錯乱していましてね。酷いものでしたよ」


 隊長は自身を傷つけた加害者に対して、同情的な言葉を口にする。

 それだけその人物の扱いは酷いものだったのだろう。


「そこまでか?」

「ええ。おそらく違法薬物の投与実験をされていたのではないかと思われます。私が見た限りでは、正気を完全に失っているように見られました。しかもそこにいた被害者全員がです」

「それは、また」


 裏の仕事をこなす隊長が嫌悪感を示すほど、現場の様子は凄惨だったということだった。

 それだけ人身売買された被害者の扱いは惨たらしいものだったということだ。


「顔色が悪いが、大丈夫か?」

「すいません。少し気分が悪いだけですので、報告を続けます」


 隊長は顔色を悪くしていた。

 フォドゥーイはそれを当時の状況を思い出したがゆえに、気分を悪くしたのだと解釈した。

 しかし、その後報告を続ける隊長の顔色は、見る見るうちに悪くなっていく。

 事ここにいたり、フォドゥーイは隊長が本格的に調子を崩しているのだと理解した。


「顔色が悪い。続きの報告はまた後日にしよう。少し座って待っていろ」

「す、いませ、ん」


 隊長はもはや呂律の回らない声で答え、備え付けられているソファーに巨体を沈めた。

 フォドゥーイはその姿を見て、電話で医師の手配をするように指示を出す。


 それが、フォドゥーイの一命をとりとめることとなる。


 上がる悲鳴。

 駆け付けた人々が目にしたのは、昏倒したフォドゥーイと、その首筋に噛みついた隊長の姿だった。

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