過去編④
使命、原生生物の保護。
サリエルは遥かな昔からその使命を全うしてきた。
自然災害から生物を守り、時には星の外からやってきた神から生物を守り、常に原生生物のことだけを考えて行動してきた。
多くの命を救ってきた。
しかし、戦闘能力に特化しているサリエルには、救えない命もまた無数にあった。
その度にサリエルは思考する。
何が最善なのか。
どこがいけなかったのか。
ただ使命を全うする。
そのためだけに、人類が文明を発展させるそれよりも以前から、サリエルはずっと考え続けている。
外敵たる神の対処は容易い。
サリエルは上位熾天使級。
その戦闘能力は高く、並の神では太刀打ちできない。
それは龍であっても変わらない。
龍がこの星を支配しないのは、サリエルの存在があるため。
サリエルを倒すのは、それこそ上位の龍をこの星に招かなければ不可能。
それも確実ではなく、下手をすればその上位の龍すら敗れかねない。
この星にいる龍の上層部はそれを知っていた。
ギュリエディストディエスはそれを知らなかった。
だから、その恐ろしさも知らぬままに行動してしまった。
掴んだ手とは反対の手がサリエルに伸ばされる。
殴りかかるのではなく掴みかかるその行動は、ギュリエディストディエスの脳内にかろうじて残っていた理性の歯止めのためか、それともなければ本能的に勝てないと悟って完全な敵対行動に出るのが躊躇われたためか。
いずれにしろ殴りかからなかったという結果が、その後のギュリエディストディエスの命を繋ぐ結果となった。
掴みかかろうとしたギュリエディストディエスの手が払いのけられる。
ペシッ、という効果音が聞こえてきそうな簡単な動作だが、仮にも神であるギュリエディストディエスの手を払いのけるなど、尋常のことではできない。
そもそもギュリエディストディエスの掴みかかった手の速度は軽く音速を超えており、そんなものを生身で弾こうと思えば、お互いの手が衝突した余波だけで凄まじい爆発が起きる。
そんな物理法則を、しかしサリエルは無視する。
周囲にまき散らされるはずだった被害を、結界に無理矢理押し込めてなかったことにしているのだ。
それは周囲を破壊しないための配慮であり、戦闘の最中では無駄な行動でしかない。
しかし、それができてしまうという事実が、サリエルとギュリエディストディエスの実力差を物語っていた。
「再度警告します。原生生物への物理的干渉は許可できません。実行する場合は当該使命に抵触。排除に移ります」
言葉通り、先ほどと同じ言葉が繰り返される。
「三度目の警告はありません」
しかし、続く言葉はそれまでよりも無慈悲な勧告。
これ以上何かをするのであれば問答無用で排除するという意思表示に他ならなかった。
しかし、それでもまだこれが寛容な対応だということをギュリエディストディエスは知らない。
サリエルは今回の件をとある情報筋からすでに知らされており、どちらに非があるのかも把握している。
無関係の一般人に手をあげようとしたことは褒められたことではないが、龍種が人間を個ではなく種としてしか把握していないこともまた知っている。
だからこそ、すぐに潰すという選択肢を避けた。
普段であれば外来種がこの星の原生生物に手を出そうとしたその瞬間に、問答無用で潰している。
それに比べれば一度警告を発し、多少のおいたにも目をつぶってもう一度警告しなおすという今回の対応は、かなり寛容だと言える。
もし仮にサリエルが何も知らずにここにいたならば、もしもギュリエディストディエスが掴みかかるのではなく殴りかかっていれば、彼の命運はそこで尽きていた。
そしてその綱渡りの幸運は続く。
「むっ!?」
ギュリエディストディエスの口から焦るようなうめき声が漏れる。
しかし、それはサリエルに対してではなく、その目はサリエルを素通りして別の場所に向けられている。
攫われた龍の子供がいる場所へと。
ギュリエディストディエスの目には、龍の子供が監禁されているその場所に、武装した人間が踏み込む様が見えていた。
その武装自他人間が、この国の正規軍人であることもまた見抜いている。
ギュリエディストディエスは彼らの様子を一心不乱に監視し、攫われた龍の子供に危害を加えないかどうか見つめている。
その心配も杞憂に終わり、突入した正規軍は誘拐犯の一味を拿捕。
攫われた龍の子供を無事に保護した。
それを千里眼によって見通していたギュリエディストディエスは、とりあえず子供の危機は去ったと見て軽く息を吐いた。
そして、未だに手を掴まれていることを思い出し、ここに至って初めてどうすればいいのかわからなくなり途方に暮れた。
ギュリエディストディエスは無表情のままに手を掴んできているその女が、話に聞いていたはぐれ天使サリエルだということに思い至っている。
話には聞いていたのだ。
この星にははぐれ天使がおり、その存在がいるからこそ龍は消極的な行動しかとれないということは。
しかし、実物をその目で見てみないことにはわからないこともある。
ギュリエディストディエスは実物を見て、自分の認識が想像を絶するほど甘かったことを認識した。
龍種には龍種にしか使えない特殊な結界能力がある。
全ての魔術を無効化するという、魔術という超常の現象を基本として成り立っている神々にとっては天敵とも言える結界。
もちろんギュリエディストディエスにもその結界が使える。
しかし、その結界が、今は力づくで押さえ込まれていた。
サリエルの張った結界によって塗りつぶされてしまっていた。
龍種の結界は神々の魔術さえ無効化する。
しかし、サリエルはそんな常識を鼻で嗤うかのように、ギュリエディストディエスの結界が無効化しきれない出力の結界で押さえつけてしまっているのだ。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある、純粋な力技だけで。
あまりにも力の差がありすぎる。
ここで、ギュリエディストディエスは己がかなり危ういことをしていたという自覚を持った。
もし、二度目の警告を聞かずにさらに追撃を仕掛けていたら?
間違いなくギュリエディストディエスという龍はそこで終わっていた。
たまたまタイミングよく攫われた龍の子供を救出すべく、この国の正規軍が犯人の拠点に踏み込んだから気が逸れてそうしなかった。
しかし、それがなければ頭に血が上っていたあの時、はたしてそうしなかったと言えるだろうか?
そんな想像をして、今度は血の気が下がっていく思いをするギュリエディストディエス。
「鎮圧は完了したようです。行きましょう」
そんなギュリエディストディエスの手を握ったまま、サリエルが現場に向けて歩き出す。
手を引かれるがままにサリエルについていくギュリエディストディエス。
ギュリエディストディエスは恐怖からそれに黙って従うしかできなかった。
攫われた龍の子供はその後、無事にギュリエディストディエスの手に委ねられ、犯人の拠点を国に報告したサリエルは、その件の褒賞として軍司令官が歓待しようとするのを固辞。
去っていった。
その後姿を眺めていた若き龍は、まさかこの後自分がその相手に恋をすることになるなど、欠片も想像していなかった。




