魔王と教皇
教皇視点
「私が魔王になっててビックリした?」
アリエル様は私の私室に入ると、勝手知ったるといった体で棚から酒瓶を持ち出し、そのままラッパ飲みを始めた。
この部屋にアリエル様を招いたことなど一度もないのだが、この方のことだから間取りなどを知っていても不思議ではないか。
躊躇いもなく人の酒を飲むその姿は、この世界の頂点にある絶対者ゆえの傲慢さか。
その酒は、貴重なものでもう二度と手に入らないのだが、致し方なしか。
「もちろんです。白様も私が驚くと思って黙っていたのでしょう。まったくもって人が悪い」
まさか、アリエル様が魔王などというものになっているとは想像もしていなかった。
迷宮の悪夢の一件で、この方が動き始めたのを知っていながらだ。
それだけこの方が魔王となるということは大きな意味を持つ。
「ああ。白ちゃんは別にそんなこと考えずに面倒だから言わなかったか、ただ単に言い忘れたかのどっちかだと思うよ? 私も白ちゃんの考えてることはわかんないけど、多分それに関しては深い意味はないはず」
アリエル様がそういうのであれば、そういうことにしておこう。
アリエル様が魔王となっておられることは断片的な情報からも読み取れたはずのこと。
それに思い至らなかった私の考えが浅かっただけのこと。
情報の重要性を知っていながら、得られた情報から正しい事実にたどり着けなかった私が愚かだった。
決して白様を責められることではない。
そもそも、白様は魔族側のお方。
魔族の情報を人族代表とでも言うべき我らに明け渡すはずもないのだ。
「それで。私を呼んだのは世間話をするためではありますまい。ご要件をお伺いしましょう」
「んー。私としては昔話に花を咲かせてもいいんだけどねー」
アリエル様は私の催促に従わず、酒瓶を傾けた。
その細い喉が豪快に上下し、酒瓶の中身が消えていく。
「プハア! うまい!」
「私のコレクションの中でも逸品の品ですからな」
「ふふん。仮にも暴食の支配者だもんね。いいものには鼻が利くのだよ」
上機嫌でさらに酒をあおる。
「ダスティン。考えは変わらないか?」
ふと、聞き逃しそうなほどの小さな声でそう尋ねられる。
私の答えは決まっている。
「今更ですな。初めから、私には答えを選ぶ権利などないのです。女神様を見捨て、人族が生きる道を選んだこの愚か者には。それ以外の道を選ぶ権利がない」
「そうか」
沈黙。
ただただ、アリエル様が酒を飲む音だけが響く。
「過去を知る奴も、私ら以外にはギュリエとポティマスだけになった。私の知る人たちは、みーんな捧げてしまった」
「あの方たちは偉大でした」
「偉大でも、消えちゃったら意味はないさ。サリエル様はそんなこと望んでなかった」
「それでもです。あの方たちは、己が信念に従い、最期までこの世界に抗い続けた。私は羨ましく思ったものです。そう思うことすら、私には許されないだろうというのに」
アリエル様のかつての仲間たちは、強かった。
戦闘能力だけではない、心も。
むしろ、心の強さこそが、彼らの強さの秘訣だったのかもしれない。
女神様をお救いするという、その信念こそが。
しかし、彼らはもういない。
転生もできない。
魂のその全てを、捧げてしまったのだから。
「まあ、私も、結局はサリエル様の意思に反することをこれからしようとしてるんだから、あの人らのことは言えないけどね」
アリエル様は寂しそうに言った。
サリエル様の意思を、今までただ一人遵守し、世界を見守り続けてきた最古の幻獣。
その意思に反して行動することに、どれだけの葛藤があったか。
その思いは私には想像することすらできない。
「ポティマスは殺す」
平坦な声。
殺意があまりにも大きすぎて、逆に感情が抜け落ちたかのように聞こえる。
ポティマスはやりすぎた。
既にアリエル様の逆鱗に触れていたにも関わらず、さらなる怒りを買ってしまった。
「お互い、歩み寄ることはできない。けど、この件だけは協力して」
「もちろんです」
過去の全てをなかったことにして、手と手を取り合うことはもはやできない。
私とアリエル様は、もう後戻りのできない道を歩きすぎた。
互いに認め合いながらも、その道が同じ結末を向くことはない。
それでも、今回だけは協力し合うことができる。
敵の敵は味方とは、サジンの世界の格言だったか。
「その後は、盛大な殺し合いでもしよっか?」
「それは御免被りたいところですな」
冗談めかして言われた言葉。
されど、きっとそれはエルフを打倒したあとに訪れる未来なのだろう。
私たちは一時的な協力はできる。
されど、敵同士。
どこまで行っても、混じり合わない。
ならば、決着をつけねばならない。
アリエル様が魔王となられたのであれば、それはこの世界に一つの区切りをつけるためであろう。
その時、私はアリエル様の邪魔にしかならない。
であれば、衝突するのは必至。
サリエル様の意思に反してでも行動を起こした今のアリエル様に、自重という文字は存在しない。
その全霊でもって結果を残すだろう。
恐ろしい。
勝ち目など、無きに等しい。
それでも、私は立ち向かわねばならない。
全ては人族のため。
女神様を冒涜してでも人族を守ると誓った、在りし日の己を貫き続けるために。
「ごちそうさまでした」
アリエル様が空の酒瓶を置いた。
ラベルだけ立派な、中身のない酒瓶。
それが、まるで己のようで、乾いた笑いがこみ上げてくるかのようだった。




