血31 ヒドイン
「う、ぐっ!」
授業中に吐き気を感じて慌てて口を押さえる。
この頃ことあるごとに吐いてしまっていたせいか、ご主人様に「ゲロイン」などと呟かれてしまったばっかりなのだ。
そんな不名誉な呼ばれ方はされたくない。
「ソフィア、またなのかい?」
必死に吐き気を堪えていたところに、王子様ぜんとしたワルドの顔がドアップで映し出される。
そこが私の限界だった。
保健室のベッドで私は横になっていた。
メラゾフィスに叱られて以来、私は度々保健室のお世話になっている。
体調が優れないわけじゃなく、完全にメンタル的な問題で。
ワルドを始めとした、私が魅了を仕掛けていた男子たちとは、顔を合わせるのも辛い。
どの面を下げて接すればいいのかわからなくなってしまったし、今までナチュラルに食料としか見なしていなかった彼らが、きちんと人間なのだと意識してしまうと、もうダメだった。
前世を含めて、私って人とまともに対話したことないんだもの。
それも男子となんて。
既に一線超えてんのに何を言ってるんだと、自分でも思うけれど、こればっかりは仕方がない。
あの時の私は彼らを物としか見なしていなかった。
者であると、意識していなかった。
魅了して洗脳した挙句に物扱い。
我ながら最低だわ。
だから、それに気づいてからは彼らを徹底的に避けている。
吸血鬼のスキルに含まれる魅了は、単体の魅了系のスキルと違ってそこまで強力じゃない。
私が彼らを完全に掌握できていたのは、それだけステータスの差があったから。
けど、魅了をやめ、距離を置いた今、彼らも正気に戻っているはず。
現に何人かは私から離れていった。
そう、何人かは。
困ったことに、魅了が切れてもまだ私と関わろうとするのがいる。
ワルドもその一人。
何が目的なのか知らないけれど、今の私には近づかれるだけで心労になるのだから、やめてほしい。
それもだいぶ落ち着いてきて、吐くようなことがなくなってきていたところへの、ご主人様の爆弾投下。
なによ、世界滅亡だとかその阻止だとか。
いきなりそんな話されても、私にどうしろって言うのよ?
こっちはそれどころじゃないっていうのに、それ以上の大問題をいきなり暴露されても、どうしようもないじゃない。
神言教には確かに思う所がある。
神言教との戦争さえなければ、両親は死ななくて済んだ。
けど、じゃあそれが幸せだったのかと言われると、即答できない。
メラゾフィスの言葉が思い出される。
そして、自問自答する。
今の私は両親に誇れる姿をしているのか、と。
答えは、否。
人族だったあの人たちに、吸血鬼としての私の生き様は、絶対に受け入れられない。
じゃあ、あのまま戦争がなくて、両親とともに生活していたら、私はどうなっていたのだろう?
吸血鬼であることを隠して、人族として生活できていたのか?
わからない。
所詮はイフの話で、私のちっぽけな想像力じゃ欠片もそんな情景が思い浮かばない。
どうしたって行き着く先は吸血鬼としての私の姿だけ。
結局のところ、私が吸血鬼であるという事実は覆らない。
覆らないし、否定できない。
今の私はどうしようもなく吸血鬼で、それを心のどこかでよしとしている。
はっきり言って、今更人間に戻れるから戻るか? と問われても、絶対に頷きはしない。
システムがなくなったら、スキルは失われるはず。
その時、私の吸血鬼としてのスキルもなくなる。
じゃあ、私は吸血鬼じゃなくなるの?
ただの、人間になってしまうの?
嫌だ。
そんなのはもう私じゃない。
私は吸血鬼であって、吸血鬼じゃない私なんて私じゃない。
けど、システムを壊さなければそもそもこの世界が終わる。
世界が終わったら死ぬしかない。
死ぬか、吸血鬼じゃなくなるか。
そんなの、選びようがないじゃない。
どうしろっていうのよ。
寝不足で意識が朦朧とする。
気絶耐性を持っていても、限度ってものがある。
痛覚無効があるおかげで体調が悪いのは無視できるけど、吐瀉物に毎回血が混じっているから胃に穴が空いてるのは確実。
我ながら酷い豆腐メンタルだわ。
あー、血が飲みたい。
あれからというもの血を一滴も飲んでいないんだもの。
私は真祖だから、血を飲まなくても死にはしないし、ステータスが下がることもない。
けど、気分の問題ね。
血を飲まないっていうのは、人間に例えるなら栄養剤だけで生活しているようなもの。
それでも生きていけるけれど、彩りがない。
ステータスに影響がなくても、血を飲まないとイライラするし落ち着かない。
「具合はどうだい?」
話しかけられて、ベッドの横に人がいることに初めて気がついた。
体調悪いにしても迂闊すぎるわ。
「大丈夫よ」
平静を装いつつ答える。
見上げれば、そこには予想通り、ワルドの姿があった。
「嘘だ。そんなに青い顔をしてそんなことを言われても、納得できない」
ワルドが身を乗り出して私の顔を覗き込んでくる。
だけでなく、ベッドに手をついて、まるで私の逃げ道を塞ぐかのようにしてきた。
「どういうつもり?」
「血、飲みたいんじゃないか?」
ピクっと反応してしまったのは仕方ない。
実際ついさっきまでそのことを考えていたんだから。
魅了の切れたワルドは、私の正体に感づいていたらしい。
ゴクリと私の喉が鳴る。
目の前の男子がとても甘くて美味しい果物か何かのように見える。
敏感な私の五感は、ワルドの汗の臭いも、少し上がった体温も、高鳴っている鼓動の音も聞こえてくる。
魅了が切れても、ワルドはまだ私に溺れているようだった。
「君になら、全部あげてもいい」
その言葉で私の理性は焼き切れた。
「やっちゃったわ」
寮に帰ることもできず、私は学園を抜け出してご主人様のいる屋敷に来ていた。
「僕は晴れ晴れとした気持ちだよ」
そう言ってワルドはニッコリと微笑んだ。
その口元には、長い犬歯が覗いている。
ええ、やっちゃったわ。
勢い余って吸い過ぎちゃったのよ。
吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になってしまう。
とはいえ、ただ吸われただけでは吸血鬼になることはない。
吸血鬼になるには、血を吸った吸血鬼が眷属にしたいと思って吸血するか、致死量の血を吸われて息絶えるか、どちらかの条件を満たさないといけない。
今回私は久しぶりの吸血ということで、血を吸いすぎてしまった。
おかげでワルドは今では立派な吸血鬼。
「あなた名門のところのお坊ちゃんでしょうが! それが吸血鬼になるとか、問題でしかないじゃない!」
なんだってこんな問題だらけのところに新たな問題を積み上げちゃってんの、私!
あー、もうなんなの!?
どうすればいいの!?
「うるさい」
身をよじって悶絶していたら、ご主人様に蹴られた。
泣きたい。