鬼10 空虚
目に付く全ての生き物を殺していく。
動くものすべてが憎い。
視界の端で揺れる木の葉にさえ苛立ちを覚える。
剣神との戦いで、僕の理性はギリギリ戻った。
けど、果たしてこれを戻ったと言えるんだろうか?
一目見て無害だとわかるただの動物を切り捨て、その肉に貪りつく。
これではただの理性なき獣と変わらない。
いや、獣でも満腹の時には無駄な狩りを行わないだろうし、目に付くもの全てを殺している今の僕は、獣以下のただの外道。
殺すのは動物だけじゃない。
僕から逃げる人間もたくさん殺した。
勇敢に立ち向かってくる男も、子供を庇う女も、庇われた幼い子供も、自らその身を差し出して時間を稼ごうとした老人も、全て殺した。
僕は、なんでこんなことをしているんだろう?
わからない。
罪もない人々を殺すたびに、吐き気を感じる。
けど、それ以上に殺意と怒気が上回る。
殺せという声が頭の中で木霊する。
怒りに任せてその言葉に従う。
殺すたびに嫌な気分になり、それがそのまま苛立ちになり、殺意となって次の獲物を探す原動力になる。
どん底にまで落ちていく負の連鎖。
剣神を倒したことによって、僕はハイオーガからオーガジェネラルに進化していた。
そこからさらに、殺戮を繰り返し、鬼人へと進化した。
ジェネラルからの進化先で、オーガキングというものもあったけれど、僕はなんとなくこちらを選択していた。
変化は劇的だった。
それまで進化する事に大きくなっていっていた僕の体格が、一気に縮んで普通の人間サイズになった。
それだけなら驚きも少なかっただろうけど、水に映りこんだ僕の姿を見た瞬間、僕は息を飲んだ。
そこには、前世の僕の顔が映っていた。
額に2本の角が生え、少しだけ精悍になったような印象があるけれど、それは紛う事なき昔の僕の顔だった。
なんで今更。
そんな感想が頭の中に浮かんだ。
そして同時に、納得もした。
ああ、そうか、僕は逆戻りしていたんだな、と。
鬼人に進化して、禁忌というスキルのレベルが10まで上がった。
そして得た禁忌は、僕の心をへし折るには十分な破壊力があった。
胃液を吐き、がむしゃらに暴れまわり、より一層の殺意を持って、生きているものの殺戮を開始した。
憤怒に支配され、ただ殺す日々。
禁忌を得る前は、罪もない人々を殺すことに罪悪感を覚えながら、それでも自分の意思では止められないことに絶望していた。
それが、禁忌を得てから、少しだけ心が軽くなった。
殺戮に正当性ができたから。
そんな自分の心情に、憤怒する。
スキルによって齎される、仮初の憤怒ではない、心の底からの憤怒。
何が正当性だ。
そんなもの、後付けの理由でしかない。
結局僕は、自分の仕出かした罪に、正義という免罪符をつけて言い訳をしているだけに過ぎない。
禁忌の内容は確かに酷いものだったけれど、それで僕が殺戮をしていいなんて理屈にはならない。
同じなのだ。
前世の人間であった時と。
僕は間違っていない。
だから、暴力を振るってもいい。
違うのは、暴力を振るったあとに、自分は間違っていないと主張していることくらい。
本質は同じ。
自分の正しさを盾にして、自分の罪を正当化していること。
だから、姿が人間だった頃に近づいているのかもしれない。
前世では、意思は正しく、暴力は罪だった。
今世では、意思は罪で、暴力は正しかった。
もう僕には、何が正しくて、何が正しくないのか、わからない。
わからないのに、行動は止まらない。
僕の意思も正しさも置き去りにして。
誰か、僕のことを止めて欲しい。
あのゴブリンの村に帰りたい。
正しさも罪も考える必要のない、あの場所に。
けど、もうあそこには何もない。
誇り高い戦士も、厳しくも温かい家も、何もかも。
それに、もう僕を止められるものなんていない。
鑑定石で見れば、僕のステータスは憤怒を使わなくても、1万を越える大台になっていた。
僕のことを止めに来た氷龍も、憤怒を使うことなく撃退することができた。
ゴブリンだった時に、竜は山脈の中でも特に危険な魔物だと教わっていた。
その竜の上位種である龍すら、僕のことを止められなかった。
今の僕は目に付く全ての生き物を殺すだけの、ただの機械だ。
そこに僕の意思はなく、空虚な中身のない怒りだけがある。
殺し、喰らい、次を探す。
それだけの存在。
僕に生きる意味はあるんだろうか?
剣神との戦いで、意識を取り戻さなかったほうが良かったのかもしれない。
それだったら、本当の意味で何も考えることのない、ただの機械に成り果てることもできたのに。
あるいは、剣神が僕を殺してくれていたならば。
ああ、そうか。
僕はもう、死にたいんだ。
こんな世界で、こんな状態で生きていたくない。
なんでこの世界はこんなにも苦しいのだろう?
僕は、どうしてこんなに苦しい思いをしているんだろう?
わからない。
死にたい。
なのに、自分の意思では死ねない。
体は勝手に生存するための行動をとり続ける。
獲物を追いかけ、殺し、喰らう。
山脈を越えようとしている集団を追いかける。
いつの間にか国堕としなんて称号があるし、山脈のこちら側では随分沢山の命を奪った。
剣神の動きを思い出しながら動き続けたせいで、僕にも剣神の称号がついてしまった。
その事実は、なんだかレイガー・バン・レングザンドを汚すかのようで、気分が悪くなった。
山脈を越えたところで、追いかけていた集団を見失った。
まあ、どうでもいい。
殺したくて追っていたわけじゃない。
むしろ、見失って良かった。
だというのに、謎の集団に襲われた。
前に戦った騎士たちとも、その前に戦った統一性のない戦士集団とも違う、魔法と弓を主体にした奇妙な集団だった。
殺してみてから、妖精殺しなんて称号が増え、衣服を剥いで正体を確かめてみたら耳の尖った種族だった。
地球だったらエルフと呼びそうな種族だ。
何のために僕に襲いかかったのかは不明だけど、無駄死にだった。
エルフはかなり強いけど、僕の敵ではなかった。
もう、僕を殺せるものはいないのかもしれない。
そう諦め始めても仕方が無かった。
けど、諦めるにはまだ早かった。
僕の目の前に、少女が立ちふさがる。
その口は笑みを型どり、目は爛々と闘志を漲らせている。
上品な装いと顔立ちからは想像できない、悪鬼羅刹のような気配だった。
悟る。
この少女は強い。
僕を、殺せる可能性があるほどに。
そして、僕は淡い期待を持った。