鬼8 憤怒
それは、あってはならない光景だった。
僕は自分の目を疑った。
何の冗談なのかと、冗談にしても質が悪いと。
あるいはそれは、相手の油断を誘うための演技なのではないかと思った。
けど、違う。
違うとわかってしまう。
ラザラザ兄が、笑っていた。
魔物使いのブイリムスと一緒に。
そいつは、僕らの村のみんなの敵だというのに。
心の底から楽しそうに。
その目には、敬愛の情させ感じさせながら。
それだけでもあってはならないことだというのに、ラザラザ兄はその手に、いくつもの花の栞を持っていた。
それは、ゴブリンにとって、大切なものだ。
ゴブリンが狩りに出る際、お守りとして持っていく、とても大切なものだ。
それを、ラザラザ兄はいくつも持っている。
花のお守りは1人1つ。
だとすれば、あれはラザラザ兄のものではない。
そもそも、僕らの村がなくなってだいぶ経つ。
栞にしていても、元のラザラザ兄のお守りは枯れてしまっているはずだ。
では、ラザラザ兄が持っているのは、一体誰のお守りなのか?
考えたくない。
けど、答えは1つしかない。
ラザラザ兄が持つのは、僕らの村とは違う、別のゴブリンの村の戦士たちのものだ。
そして、それをラザラザ兄が持っているということは、ラザラザ兄が、その村を攻め滅ぼしたということ。
目の前が真っ赤になる。
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
裏切った。
誇りを穢した。
許せない。
《熟練度が一定に達しました。スキル『激怒LV9』が『激怒LV10』になりました》
《条件を満たしました。スキル『激怒LV10』がスキル『憤怒』に進化しました》
《熟練度が一定に達しました。スキル『禁忌LV3』が『禁忌LV5』になりました》
《条件を満たしました。称号『憤怒の支配者』を獲得しました》
《称号『憤怒の支配者』の効果により、スキル『闘神法LV10』『閻魔』を獲得しました》
《『気闘法LV2』が『闘神法LV10』に統合されました》
身の内から湧き上がる灼熱のような怒りが、全てを焼き尽くしていく。
まるで僕自身を焦がすかのように。
同時に、僕を縛っていた魔物使いの呪縛もまた、燃え尽きるように解けていく。
ああ、これで僕は自由だ。
これで、僕の行動を止めることはもうできない。
ありったけの力を込めて武器を錬成する。
求めるのはただただ破壊の力のみ。
まるで僕の今の内面を写したかのような、禍々しい形状の炎の剣が完成する。
それを、迷うことなく恥知らずな裏切り者に叩きつける。
ろくに防御もできなかったせいで、かつて兄と呼んでいたものが切り裂かれた上に爆炎に飲み込まれる。
横にいたブイリムスをそのままの勢いで切り殺そうとしたけど、さすがというべきか、既に僕から距離を取っていた。
音を聞いて他の連中が集まってくる。
ブイリムスも新たな魔物を召喚している。
構うものか。
この命が尽きてもいい。
僕のこの怒りを思い知れ。
「これが、因果か……」
僕は最期の時を迎えるブイリムスを見下ろしていた。
ブイリムス以外に、この場で生き残っているのは僕だけだ。
全て、僕が殺し尽くした。
戦力は相手のほうが圧倒的だった。
それを覆したのは、憤怒と闘神法の力と、何よりもレベルが上がると全回復するという僕の特異体質のおかげだった。
僕のレベルが低いからか、相手を少し倒すだけでレベルがあがった。
瀕死になるまでHPもMPもSPも使い、レベルアップで回復する。
そしてまた瀕死になるまで戦う。
その繰り返しだった。
最初の方で、奴らが僕を殺すのに躊躇していたのも大きかった。
僕の武器錬成は奴らにとっては貴重な力。
それをむざむざ殺してしまってもいいのか。
そんな思惑が透けて見えて、奴らは殺すことよりも、無力化することに重点を置いて戦っていた。
その隙を上手くつくことができた。
「無様だな」
最後に残ったブイリムスは強かった。
魔物使いとしても、単純な戦士としても。
戦士としての力だけでも、この場にいた誰よりも強かった。
その強かった男も、今は地に伏して泣いていた。
「私が、憎いか?」
ブイリムスの問いには答えない。
答える意味がない。
答えの代わりに、高く掲げた剣を振り下ろす。
「無念だ」
そして、ブイリムスは息絶えた。
最期の一言には、粘着くような重い執念のようなものがあった。
それだけ、為したいことがあったのだろう。
僕らゴブリンを根絶やしにしてでも。
因果応報だ。
だというのに、僕の心は晴れない。
酷い喪失感とやるせなさが残る。
そして、未だ消えない憤怒の炎も。
ブイリムスの死体から鑑定石を抜き取る。
そして、自分を鑑定。
そこには、進化可能という文字。
進化先は2種類。
ホブゴブリンと、オーガ。
僕は選択する。
それと同時に、命名のスキルを使って、自分の名前を変更する。
ラースへと。
もう、僕はゴブリンを名乗る資格が無い。
誇りも祈りも、この怒りに塗りつぶされてしまった。
だから、ゴブリンではもういられない。
ここにいるのは1匹の鬼だ。
憤怒に支配された、ただの鬼。
僕は天に向かって吠えながら、進化のため、意識を失った。




