教皇と管理者
「それで、今回はどのようなご要件ですかな?」
私は訪れた相手にそう切り出した。
「サリエーラ国での顛末を聞きたくてな」
その相手、全身を黒い鎧で覆った男、管理者たる黒龍は落ち着いた声音で話した。
サリエーラ国での顛末?
このお方が今更人の戦争の行く末を気にするとは思えない。
たとえそれが女神教、かの方を崇拝している宗教を母体とした国家だとしても。
だとすれば、聞きたいことは戦争の結果などというものではない。
あの国で起こった出来事で、このお方が興味を引く、もしくは知っておかなければならないと判断するようなもの。
考えうるのは、悪夢と呼称された魔物のことか。
「それは、戦場に現れた悪夢に関して知りたいということでしょうか?」
このお方に回りくどい言い方は不要。
単刀直入に問い返す。
「いや。私が知りたいのはそれではない」
しかし、返ってきた答えは私の予想とは違っていた。
尤も、予想通りに聞かれたからといって私に答えられることなど少ないのだが。
悪夢と呼ばれるあの魔物がなんなのか、それは私にもわからない。
突如エルロー大迷宮に現れ、サリエーラ国とそこで起きた戦争を引っ掻き回した未知の魔物。
私がわかっているのは、その魔物がおそらく支配者にまで上り詰めているだろうということと、なぜか最古の神獣と敵対しているらしいということ。
そして、おそらく今もどこかで生きているだろうこと。
最古の神獣が殺しそこねた相手を、大魔法とは言えたかが人族の攻撃で殺せるとは思えない。
世間には勇者の決死の足止めと大魔法で止めを刺したと喧伝してはいるが、地下に潜っているだけで死んではいないだろう。
希望的観測をあげるならば最古の神獣が片をつけてくれているかもしれないが、楽観はできない。
勇者を連れ帰った帝国の魔法使いも要注意だ。
報告を読む限りでは大魔法が直撃する直前まで、勇者と悪夢の周りには誰もいなかったという。
そんなタイミングで第三者の転移による勇者救出が間に合う訳が無い。
状況から考えて、転移を行ったのは悪夢本人。
なぜ敵対している勇者を一緒に助けたのかは謎だが、その後、件の魔法使いに勇者の身柄を引き渡したのだとすれば、辻褄が合う。
どうにかして魔法使いから情報を仕入れたいところだが、帝国のガードが固い。
調べてみればその魔法使いは帝国でも最高の魔法使いだという。
ならば、無闇に葬ることもできない。
貴重な人族の戦力を削ぐことはできない。
精々見張りを付けて、魔族との戦いの前線に送るよう裏工作をするくらいしかできないか。
それも、なかなかに骨が折れそうな工作ではあるが。
危険だが、怪しい動きがない限り泳がせておくしかあるまい。
今は妙なことを吹き込まれる前に勇者を引き離すことができただけでもよしとしなければ。
「相変わらず常に頭をフル回転させているようだな」
「おっと、失礼。歳を重ねてもこの悪癖だけは治りません。どこかにいい薬でもあればいいのですが」
冗談を言って場を誤魔化す。
思考加速しているので、実際にはほとんど考え込んでいる素振りなど見せていないはずだが、このお方には通用しないようだ。
実際私の思考がどんどん逸れていってしまう悪癖は治らない。
熟考していると言えば聞こえはいいが、要は対面で話をしていても心あらずに見えてしまうということだ。
思考加速を覚えてからは誤魔化しも効いているが、覚える前はなかなかに悲惨だった。
おっと。
また思考が逸れてしまったな。
「それでは黒龍様は何をお聞きしたいのですかな?」
「攻め落としたケレンの領主の娘に随分執心していたようだが、あの娘には何がある?」
私の問いに間髪入れず問い返された言葉。
これは、どう捉えたものか。
この方のことだ。
ケレンの娘がどういった存在であるのか、薄々は気づいているか、もしくは全てを知った上で私の腹を探っているか。
後者であると考えたほうが良いな。
であるならば、余計なことは言わぬほうが吉か。
「あの娘はケレンの血を受け継ぐ正当な後継者です。後顧の憂いを立つ意味でも逃亡は阻止したかったのですが、謎の一団の襲撃を受け、確保に向かった部隊が痛手を負いました。その後、娘がどうなったのかは不明です」
さて、どうでるか?
「なるほど。よくわかった」
途端、部屋の中の圧力が急激に増す。
そう錯覚するほどの濃密な魔力が渦巻く。
「貴様がそういう態度を取るのならば、こちらにも考えがある」
じっとりと手に汗握る。
それを悟られないように、ゆっくりと口を開く。
「はて?私には黒龍様が何故このように荒ぶられるのか、検討もつきませぬ」
「ダスティン。それが貴様の答えか?」
これは、心して答えたほうがよさそうだ。
「左用。私の答えは全て人族の存亡のためだけに」
第三者がこの会話を聞いていれば、なんの脈絡も意味も分からぬであろうな。
だが、これで通じるはずだ。
「そうか」
黒龍様は小さく呟き、席を立つ。
「警告はした。彼らには極力手を出さぬことだ」
「警告、しかと受け取りました」
「貴様は受け取った上で止まらぬのであろう?」
「さて。それは世界のみぞ知ることでしょう」
黒龍様が扉に手をかける。
「止まらぬさ。1つ教えてやろう。今代の魔王は容赦がない。精々人族を滅ぼされぬように準備しておくことだ」
不吉な言葉を残し、黒龍様が扉の先に消える。
遅れて全身から汗が噴き出した。
ふう。
あの方のことだからこの場で殺されることはないだろうと予想していたが、それでも肝が冷える。
しかし、あの様子ではやはりカマをかけられていたと見たほうが良いな。
だとすれば黒龍様は既に転生者の存在を知っているということになる。
彼らとは、転生者のことを指しているのだろう。
知った上で私に忠告してきた。
これが意味することは、なんだ?
それに、今代の魔王?
勇者だけでなく、魔王も代替わりしていたのか?
いかんな。
情報が少なすぎる。
人族の中では最高の情報収集能力があると自負しているのだが、それでも不足のようだ。
情報収集機関の強化、エルフへの対策、消えたケレンの娘の捜索。
やることは山のようにあるようだ。