血6 急転
蜘蛛がいる生活にも慣れてきたころ、私はいつものように夜中に書斎に引きこもって本を漁っていた。
そろそろ感覚的に日が昇り始める時刻になることを予測し、そーっと書斎から抜け出す。
この生活を続けていたせいでスキルが軒並み上がった。
睡眠耐性のレベルが上がったおかげで、頑張れば一晩中起きていられる。
体の成長的にあまり良くはないだろうけど、その分昼間寝ればいい。
母や従者は昼寝てばかりの私の様子に最初の方は心配してたけど、そのうちこういう子なんだと放置するようになってきた。
気配感知に引っかかる人物がいた。
メラゾフィスだ。
メラゾフィスは模造剣を持って庭に出ていく。
メラゾフィスはあの事件以来、毎日のように早朝こうして稽古をしている。
よほど何もできずに盗賊に斬られてしまったのが悔しいのか、あるいは次は母をしっかりと守れるようにとでも思っているのか。
メラゾフィスの性格を考えると後者かな。
あいつの中で母は絶対。
母の幸せを守るためならなんでもする。
そんなクソ真面目な奴だし。
メラゾフィスも弱いわけじゃない。
けど、強いわけでもない。
この頃うちに泊まっている人たちの気配から推測するに、人としては可もなく不可もなくって感じだと思う。
執事としてみればそれで十分だと思うんだけど、本人が納得していないのなら私がどうこう言う立場じゃない。
素振りの音を聞きながら、私は自分の部屋に戻っていった。
そして事件は起きた。
その日、私は書斎には行かなかった。
前々から母に色目を使う気に食わないおっさんがいたんだけど、そのおっさんが夜中まで起きてたからだ。
キモイしウザイしさっさと出ていってほしいんだけど、こういうやつに限って長居したりするから嫌になる。
口を開けば文句。
あることないこと言ってうちの従者を困らせる。
中には言いがかりも甚だしいような、思わず「はあ!?」って言いたくなるような文句まで言ってくる。
1日前に煙草を吸って、次の日に「この部屋は煙草臭くてかなわん! ここで煙草を吸った馬鹿を今すぐ屋敷から追い出せ!」とか抜かした時は、じゃあ出てけと反射的に言いそうになった。
おっさんの従者がそれとなく煙草吸ったのはあなたですよー、と教えてあげたのに、そんなわけあるかって逆ギレする始末。
かわいそうにその従者の人は次の日から見なくなった。
もっとも、このあとのことを思えば、いなくなったほうがよかったのかもしれない。
おっさんが死んだ。
それはもう、あっさりと。
私はその時起きてたんだけど、まったく気付かなかった。
気配感知には何の反応もなく、唐突におっさんが倒れたのだけがわかった。
屋敷の中は深夜だっていうのに大騒ぎ。
書斎に行っていなくて逆に良かった。
行っていたら見つかってたに違いない。
おっさんの死因は不明。
聖獣の逆鱗に触れた天罰だと囁かれている。
おっさん、どうやらあの蜘蛛にもちょっかいを出していたらしい。
父がおっさんの従者を集めて事情を聴いている。
私は吸血鬼だからか五感も優れているようだけど、さすがに自分の部屋から父のいる執務室の会話まで聞くことはできない。
これを機にあの蜘蛛がこの街に攻め込んでくるんじゃないか?
そんな不安が湧き起こる中、騒々しい夜は過ぎていった。
私の不安に反して、あの蜘蛛に動きがないまま3日が過ぎた。
あのおっさんが死んだ影響が外交上どう出るのか、私は詳しく知らない。
けど、どうもあのおっさんはこの国で問題を起こすことを期待されていたようだ。
言葉を濁してるけど、従者たちの会話を盗み聞く限り、そんな推測が成り立った。
そこからさらに予測すると、近々戦争でも起きるんじゃないかと思う。
どうも父はそれを前提にして動いているフシがある。
蜘蛛の動きを警戒しつつ、軍の人がちょくちょく訪ねてきている。
まだ、そうと決まったわけじゃないけど、もしかしたらそうなるかもしれない。
そんな漠然とした不安を抱えながらも、昼なのでウトウトしていた。
それが、突如響き渡った爆音と地響きで、強制的に目を覚まさせられた。
何事かと慌てているうちに、母に抱き抱えられた。
その横にはメラゾフィスが厳しい顔つきであたりを警戒している。
すぐに避難できるように準備を整える。
けど、その間に爆音と地響きは収まり、静寂が戻ってきた。
警戒を解かずに事態の原因を調査し始める従者たち。
父が指示を飛ばし、みんなてきぱきと行動する。
それを、母に抱かれたまま見送った。
蜘蛛の巣が完膚なきまでに破壊され、蜘蛛も行方不明になったという報告は、すぐに屋敷へと届けられた。
そこから先は怒涛のような展開だった。
神言教がサリエーラ国に根付いた偽りの神獣を打倒したと、全世界に向けて発信した。
サリエーラ国というのは私の生まれたこの国だ。
神獣というのはあの蜘蛛のことだろう。
サリエーラ国はこれに対して厳重に抗議。
国内での無断の武力行使に加え、国が保護する神獣を害したことに賠償を請求した。
その返答は魔物を討伐したのだから逆に報酬をよこせという、あまりも身勝手な言い分だった。
神言教が喧嘩を売ってきていることは明らか。
それに対してサリエーラ国もやる気満々だった。
個人的にはやめてほしいけど、赤ん坊の私にできることなんてない。
せめて勝利することを願って、街から出兵していく父の率いる軍団を見送った。