S29 捧げる
「お世話になりました」
俺たちはバスガスさんに頭を下げる。
エルロー大迷宮を抜け、俺たちは一晩バスガスさんの拠点に泊めてもらった。
そして、次の日の朝にすぐエルフの里に向けて旅立つことにした。
バスガスさんとはここでお別れとなる。
「ああ」
バスガスさんはそう言って頷く。
「しかし、本当に地龍の素材は俺が全てもらっていいのか? 売れば一財産だぞ?」
「ええ。急ぎの旅ですし、持っていく余裕もないですからね。お世話になったお礼だと思ってください」
「なら遠慮なくいただこう」
バスガスさんがニカッと笑う。
「バスガスさん。もし――」
「坊主、俺はしがない案内人だ」
俺の言葉を遮って、バスガスさんがそう言う。
それは、俺がこの先に言おうとしていた言葉への返答だった。
バスガスさんは歴戦の戦士だ。
エルロー大迷宮の中でそれは十分理解できた。
それに、豊富な経験からくる判断力にも優れている。
正直に言えば、俺はこの人にこの先もついてきてほしかった。
けれど、バスガスさんの言葉は、それを否定するものだった。
「案内人は案内することが仕事だ。ましてや俺はもうすでに引退した身。これ以上老人が出しゃばる幕じゃねえだろ」
そう言って笑うバスガスさん。
けど、すぐに笑いを引っ込め、今度は真剣な顔で語り始めた。
「坊主。これは俺の勘なんだが、近いうちにでかい事件が起きる気がする。根拠はねえ。ただ、ここ何年か払いきれない不安が常に張り付いているような感覚がする。坊主が巻き込まれた騒動も、その前触れなのかもしれん」
確かに。
ユーゴーの件だけじゃない。
魔族との大規模な戦争。
勇者の代替わり。
ここ最近の世界の動きは非常に活発だ。
「俺は坊主たちを案内したことで、世界が少しでもいい方に転がるよう願ってるぜ。そうなれば、案内人冥利に尽きるってもんだ」
差し出されるバスガスさんの手。
「そうなれるよう、最善を尽くします」
俺はその手をしっかりと握り、硬い握手を交わした。
バスガスさんと別れてから2日。
光竜の背に乗って移動する。
向かう場所はサリエーラ国という国に隠されたエルフの里への転移魔法陣。
サリエーラ国は女神教という神言教とは異なる独自の宗教を国教に据えており、俺たちが赤ん坊の頃に周辺国家と戦争にもなった過激な国家だ。
その戦争で国力をだいぶ落とし、以降はナリを潜めているが、この国の中では何が起きるかわからない。
十分に警戒しながら進んだ。
「スキルを捧げよ! さすれば救われる!」
街の中に食料などの買い出しをしに入ると、そう声を張り上げる人間がそこかしこにいた。
「サリエーラ国は管理者サリエルを祀る国家なんです。ですから、なるべく関わらないようにしましょう」
先生の小声に俺も同意する。
叫ぶ男は正気か疑わしい。
これが管理者とやらの仕業なのだとしたら、あまり気分のいいものじゃないな。
「スキルを捧げるとは?」
「2つの意味があると言われていますね。1つは『スキル消去』というスキルによって自身の持つスキルを消すことです」
「そんなことができるんですか?」
「ええ。『スキル消去』はスキルポイントなしで得られるスキルで、数日かけてスキルを消すスキルです。発動すると全てのスキルが消えるまで止められないので、狙ったスキルだけを消すとかはできません。もちろん消えたスキルは戻ってきません。また鍛え直せば獲得のし直しはできますけどね」
「それ、意味あるんですか?」
聞いた限りではそんなスキルがある意味がわからない。
スキルを失うということは、デメリットしかない。
いくら鍛え直せばまた再取得できるといっても、それまでにかかった時間は戻ってこないし、払ったスキルポイントがあればそれも無駄になる。
それまで積み上げてきたものをわざわざドブに捨てるようなものだ。
「つまり、それこそが管理者に力を譲渡するということなんですよ」
「あ」
そういうことか。
つまり、そうやって人が培ってきた力を管理者に捧げる。
それこそが「スキル消去」のスキルの本質なのか。
「そういえば、一度先生がユーゴーのスキルを消したのも?」
「そうですけど、あれは裏技みたいなものです。大きな代償を払う代わりに他人のスキルを消す。今だから言いますが、発動すると自分のスキルもいくつか失ううえに、あの後私は何日間か寝込みました。最悪自分も相手も死ぬような危険な方法なので、私は二度とやりたくないですね」
「そうだったんですか」
「あの時はあれが最良だと思っていました。スキルを失えば増長したユーゴーを諌めることができる。そう信じていました。大切なのはそのあときっちりと人としての心を取り戻させることだったのに、私はそれを怠ってしまいました。その結果がこれです。教師失格です」
「先生が悪いわけじゃありませんよ」
下手な慰めだとは思ったけど、そうとしか言えない。
悪いのは実際に行動を起こしたユーゴーだ。
「ありがとうございます。けど、これは先生としてのケジメです。道を踏み外した元生徒に、先生ができる最後の教育です」
暗い決意に満ちた先生の目。
俺はそれに何も言えなかった。
「それで、2つ目は?」
話題をそらす。
「2つ目はよくわかりません。スキルを捧げて神へと至るとか」
「それこそ宗教の文言みたいですね」
「ですねー」
街には叫ぶ聖職者。
暗い雰囲気が漂うこの場を、一刻も早く抜け出したいと思った。




