S27 悪夢の残滓
岩の上にいるそれ。
真っ赤な8つの目が無機質に俺のことを見つめる。
大きさはさほど大きくない。
けど、その存在感はこれまで見てきたどの魔物よりも大きい。
俺は動けない。
他のみんなも同様だ。
まるで固まったかのように微動だにできない。
その白い蜘蛛の姿をした魔物に、心臓を鷲掴みにされてしまったかのようだった。
[勇者?]
不意に、声が聞こえた。
それは、音としてではない。
念話だった。
俺に向けられたものではない。
俺はただ、何者かに向けて放たれたその念話を傍受したに過ぎない。
[勇者]
そして、その何者かは、いつの間にかそこにいた。
そこらじゅうにいた。
[支配者?]
[支配者]
[支配者]
[鑑定不能?]
[鑑定不能]
[鑑定不能]
[支配者?]
[支配者]
[支配者]
[転生者?]
[転生者]
[転生者]
[でも弱い?]
[弱い]
[弱い弱い]
そこらかしこから響いてくる念話の声。
いつの間にか、床に、壁に、天井に、いたるところにそれらはいた。
無数の赤い視線。
見渡す限りの、白。
あまりの光景に思考が停止する。
いや、考えろ。
こいつらはしっかりとした意思の下、言語を駆使している。
その中には聞き捨てならない単語もある。
「転生者を知っているのか!?」
俺は意を決して語りかける。
バスガスさんが目を見開くのがわかったが、これだけはどうしても聞かなければならない。
[知ってる]
[知ってる]
[知らないわけがない]
答えが返ってくる。
意思の疎通ができている。
こいつらは知性なき魔物なんかじゃない。
「なぜ、それを知っているんだ?」
[マスター]
[マスター]
[マザー]
[マザー]
「そのマスターは、転生者なのか?」
[そのうちわかる]
[そのうち知る]
[すぐに知る]
[すぐにわかる]
「どういう意味だ?」
[宣言]
[宣告]
[終わりの始まり]
[世界が始まる]
[世界が終わる]
白い影が徐々に消えていく。
「待ってくれ!どういう意味なんだ!?」
[知る意味はない]
[どうせ死ぬ]
[みんな死ぬ]
[生き足掻けばいい]
言外に、それまでは見逃してやると、そう告げられた気がした。
そして、悪夢の残滓は俺たちの前から姿を消した。
「バカ野郎が!」
バスガスさんの拳が俺の顔面を捉える。
俺は抵抗せずにその拳を甘んじて受け入れた。
なおも俺に殴りかかろうとするバスガスさんを、ハイリンスさんが羽交い締めにして抑える。
「言ったはずだ!坊主の迂闊な行動で仲間が死ぬかもしれないとな!」
羽交い締めにされながらも、バスガスさんは怒気を顕わにして怒鳴る。
今にもハイリンスさんを振りほどきそうな勢いだ。
「まあまあ。こうして無事に済んだんですからいいじゃないですか」
先生がとりなし、バスガスさんは動きを止める。
まだ、怒りは収まっていなさそうだけど、これ以上暴れることはなさそうだ。
「すいません。どうしても、聞かなければならなかったんです」
「それは、死んでもか?」
ギロリと睨まれる。
そう言われると、何も言えなくなる。
「坊主が勝手に死ぬのならいい。けどな、それに他人様を巻き込むんじゃねえ。自殺がしたいんなら1人でやれ」
「バスガスさん、言い過ぎですよ」
先生がバスガスさんを嗜めるが、これはバスガスさんのほうが正しい。
俺は、俺が知りたいというだけの理由で、危険な悪夢の残滓相手に勝手な行動をとったんだ。
バスガスさんがハイリンスさんを押しのける。
もう暴れることはないと判断したのか、ハイリンスさんはあっさりとバスガスさんを放した。
バスガスさんはそのまま少し離れたところにある岩に背を預け、ズルズルと座り込んだ。
よく見ればその顔色は悪い。
バスガスさんは悪夢に昔遭遇したと言っていた。
トラウマを刺激されていたのかもしれない。
改めて他のみんなを見れば、カティアとアナは座り込み、ハイリンスさんも若干顔が青い。
平気な顔をしているのは先生だけだ。
「大丈夫か?」
座り込むカティアとアナに話しかける。
「腰が抜けて立てませんわ」
「面目ありません」
それぞれ泣きそうな顔で見上げてくる。
若干鳥肌もたっており、よっぽど怖い上に気持ちが悪かったのだろう。
魔物としては比較的小柄とはいえ、大きな蜘蛛に囲まれたらそりゃ気持ちが悪い。
俺でさえ気持ちが悪かったのだから、女性陣はなおさらだろう。
「先生は良く平気な顔をしていますわね?」
「いえ。平気じゃありませんよ?ガワだけ見れば可愛かったんですが、あの中身はちょっと気味が悪かったですし」
「可愛いって…」
あ、それはキャラ作りじゃなくて本気で好きだったんだ。
先生、前世からゲテモノ好きだったからなー。
それもキャラ作りの一環だと思ってたけど、本気で蜘蛛とか好きらしい。
意外だ。
「ところで、あの子達が言っていたこと、どう思います?」
あの悪夢の残滓達が行っていた謎の言葉の数々。
「わかりませんね。情報が少なすぎる」
そもそも、悪夢の残滓と呼ばれるあの魔物たちは一体何なのか?
こちらの情報を見破ったことから、高レベルの鑑定スキルがあるのは間違いない。
加えて、人語を理解するだけの知能。
俺に気づかれることもなくあれだけの数が集まってきた隠密性。
念話まで駆使する仲間同士の連携。
断片だけでもこれほどの能力を持っている。
もし、戦いになったら…。
勝てる気がしない。
「終わりの始まり。みんな死ぬ、か」
悪夢のような不吉な言葉。
それだけが、頭の中にこびりついて離れなくなった。