13.Cry of a weak person 弱者の叫び
ヤエのすすり泣く声と、鼻をつつくような……強い花の匂いを覚えている。
場所は真っ白い空間で、その場に居る人たちは皆、黒い喪服に身を包んでいた。泣いているのはヤエだけではなく、親身になって他家の人たちも泣いていた。
“本家”の斎場。その場所で二十年前に行われたのは、桜絵斗と、桜陽華の葬儀だった。
事故だった。
二人は、増援として呼ばれた海外の任務からの帰路。日本へ飛ぶ、その日の最期の便に乗った。乗務員を含む、八十八人の人間がその便に搭乗しており、その事故で八十八人の人間が死体も残らない爆発に巻き込まれ、死亡したと公式に発表されたのだ。
「……うっ……ひっく……おにいちゃん……」
まだ1歳のヤエは、葬儀が始まってから、ずっと光陽の腕を掴んでいた。これ以上家族がいなくならない様に、ずっと泣きながら彼の存在を確かめているのだ。
「ヤエちゃん」
その隣に座る九九が、そっとヤエを優しく撫でる。母に最も近い雰囲気を持つ叔母にヤエは安心したように堪えていた感情が溢れ出す。叫ぶように泣き出した。
うるさいほどの、その泣き声を咎める人間はいない。ただ、光陽だけがヤエを強く抱きしめた。彼は、自分が泣いている所を見られたくなかったのだ。
葬儀が一段落してから、泣き疲れたヤエは、父に買ってもらったお気に入りの人形を抱えたまま眠っていた。そんな彼女を九九は別室へ寝かせに連れて行く。
「光陽。理解しなくてもいい。何かやろうとも考えなくてもいい」
冴烈は、遺影だけで遺体の入っていない棺を見つめている光陽の隣に立つ。彼もこの時まだ3歳だった。
「……おじいちゃん」
赤くなった眼は涙が止まっている。声を出して泣くことはできなかった。自分が泣いていると察されると、ヤエが不安になるからだ。
「ヤエの傍に居てやれ。お前達は、世界でたった二人の兄妹なんだ」
「ずっとかんがえてた」
冴烈は光陽の言葉を驚きもせずただ聴き入れる。小さくても、しっかりしている孫だったからだ。
「おとうさんと、おかあさんを助けるには……帰ってきてもらうにはどうすればよかったのかって……」
光陽は悔しそうに拳を握り占めていた。その眼から涙が溢れ、頬をつたる。
「おとうさんに、きいたよ。おじいちゃん。ぼくは―――」
「光―――」
“大切な者の死”を僅か3歳で経験した光陽は、何かが外れてしまったように全てを理解していた。
そして、その先をどのように歩くのかも、どのように歩けばいいのかも、全て決めていた。
「『玄武』を継ぎたい」
その言葉だけは絶対に言わせてはならないと、冴烈は……息子である絵斗から言われていた。
“俺が全部やるから、息子と娘には普通に育ってほしい。親父も……ちょっと恐い、お祖父ちゃんで話しを通してくれよな”
「…………」
「ぼくは……もう失いたくない。このままだと、恐いんだ。おじいちゃん……ずっと恐かった! ヤエも死んじゃうんじゃないかって!」
「光陽……」
「いやだ……ぼく……そんなのいやだよ! じぶんが死ぬより……家族を失う方が……いやだ!」
もし、その感覚を……この時ではなく、違う日、違う時だったなら……光陽はそう思わなかったかもしれない。ヤエが、彼を引き止めたかもしれない。
「たすけて……おじいちゃん……ぼくたちを……たすけて――――」
しかし、冴烈は彼の感情を否定することが出来なかった。その場しのぎの言葉さえ浮かばなかった。そして、彼は―――――
桜光陽に『玄武双璧』を伝えた。
夕焼けの帰宅路。光陽とヤエは久しぶりに、学校からの家までの帰路を一緒に歩いていた。
「なんかなー。ずっと頼りになる背中だと思ってたけど、こうも見せつけられるとねー」
E市の叔母の家から、近場のS高校に通うヤエは、光陽にとっても懐かしい母校の学生服に身を包んで歩いていた。
ある仕事で、E市の一部を巻き込んでしまい、ソレは光陽の母校にも及んだのである。担当員の一人であった光陽は、他との連携により事態は内密に終息させた。
しかし、その過程で妹を巻き込んだことに、光陽は申し訳なさを感じていたのだ。
「二年でここまで変わるかなぁ?」
「いいかヤエ、これは理屈じゃない。オレだからこそ出来るってものよ」
「その割には、鷹祖母ちゃんに怒られてたよね」
ヤエはニヤニヤしながら隣を歩く光陽を見る。この時、光陽は二十歳で、最近独りでの仕事を、引率者である鷹さんより承認されたばかりだった。
「……まぁ、鷹さんとしては、一生半人前だろうよ。迷惑もかけちまったしなぁ。出来るなら、お前に近づかせる前に終わらせたかった」
それだけが、今回の汚点であると光陽は今後の心得として内に刻む。
ヤエは十八歳で、高校三年生だった。部活はバレーをしているが、その内には光陽以上の技を持ち、一〇〇年に一人の“天才”と称されるほどのモノを秘めていた。
「ふーん。後輩とか、先輩に私が告白される度に、ちょっかいかけるだけはあるじゃん」
「当たり前だ! あのクソ共……お前の事をエロい目でしか見てないんだ! 成敗!」
天真爛漫で容姿的にも標準以上のヤエは異性に好かれることが多かった。その為、告白は、学校だけでなく他でもされた事がある。無論、そんな噂を聞く度に裏で光陽が牽制していたのは言うまでも無い。
「はぁ、おかげで変な噂が流れたよ。桜に関わると……もれなく闇討ちされるって。アイリとナキも、びっくりしてたよ?」
「う……だけどな」
「まぁ、私はちゃんと解ってるから。でも、無茶な事はもうしないでよ? 他の友達に兄貴の事を相談できないからさ」
「……少し自重する」
その言葉に、ヤエは笑みで応えた。そして、
「あはは。……ねぇ、お兄ちゃん」
ヤエは、普段は他人の目の照れくささから、高校に上がってから光陽の事を“兄貴”と呼ぶようになった。しかし、二人きりで本音を話す時だけは昔の呼び方に戻っていた。
「私も、“本家”で仕事するよ」
「―――ヤエ」
お前まで……こっちに来る必要はない。と言おうとすると、
「お母さんも、『朱雀』を継いでたしさ。もう、そんな話し合いは出来ないけど……きっと、喜んでると思う。それに――――」
ヤエは、光陽を駆け足で追い越して、くるっと振り返った。そして恥ずかしそうに頬を赤めながら笑う。
「昔から憧れてたんだ。前に立つ……お兄ちゃんの背中に追いつきたいって―――」
都市が燃えていた。人の気配はおろか、生き物の気配は何一つ感じなかった。
「何が―――」
光陽は走っていた。街は、まるで戦争でもあったかのように、建物は壊れ、道は焦げ、人が死んでいた。
気を失っていた数時間の間に一体何があったのか。光陽が知る由は無い。ただ言えるのは、街を殺すほどの“存在”が通り過ぎたという事だ。
音も何も聞こえなかった。これほどの破壊は、都市全体を爆撃でもしなければ、こうはならない。しかし、それでも――――
「なんで誰も居ない?」
死体をまるで見ない。地元の警察や消防も、動いている気配がまるでないのだ。消防署には車両が止まったままで、パトカーもパトライトだけが回転していた。
ガス兵器の類でもなさそうだった。それなら、光陽も死んでいる。
疑問に思いつつも、人を捜して―――ヤエを捜して走る。
気を失っている間に妹が消えていた。仕事の保護対象も同様に消えている。そして、街のこの惨状だった。
そして、街の中央広場でヤエを見つけた。
「ヤエ!! なぜだ!! 何が―――――」
「ずっと……ずっと、違和感があったの」
死体の山の上でヤエは光陽を見下ろす。その眼は、彼の顔を見ると言うよりは、声が聞こえたので、ただ、そちらを見ただけという感じだった。
「だから……ようやく解ったよ……私は……ずっと求めてたんだって―――」
ヤエは不気味な笑みで応える。炎の光だけが、唯一二人が同じように感じている事柄だった。
「ぞっとしてみたいなぁ……誰でもいいから……ずっと知らなかった、その感覚を直に味わってみたい」
「何言ってるんだ……」
光陽は、冗談だと思ってヤエにいつもの様に語りかけた。陽気で爛漫な妹は、稀に冗談のような事をよく言うのだ。
これも……この惨劇の主謀者が明らかに妹にしか見えなくても、それは絶対に間違いだと思いたかった。
「たぶん……次に会うときは、こっち側に来たときだと思う。だから……しばらくバイバイ、お兄ちゃん」
その後、八時間後。壊滅した都市に、入った国の救助隊によって、気を失っていた光陽は唯一の生存者として保護された。
それから一週間後に日本から来た“本家”の者達と共に帰国。そのまま“本家”て今回の都市壊滅の件について判定をされる事となる。
重役が集まるその場への召喚され、光陽は枷も何もなく座っていた。ただ彼が下手な動きをしたときに、即座に始末できる人間が傍にいることが、拘束の代わりになっている。
「光陽の証言から。此度の惨劇は、桜家長女―――桜夜絵の犯行とする」
一番格式の高い上座に座っている『お屋形さま』が、その場に揃っている“本家”の重役関係者に告げた。無論、光陽の祖父も、その内の一人なので、その場に腕を組んで座っている。
彼は事の顛末を知っている限り証言した。嘘を吐く理由はどこにも無いし、必要な事だと解っていたからである。
「桜夜絵は自らの所持する裏式――『四神獣武』を私欲に使用した。コレは我ら『富士集落』の存在意義にかかわる事態だ。よって、この時より桜夜絵を“咎人”として決定。この場に参列している各『乱木』の当主は、自らの“伝承者”に伝えよ」
咎人。“本家”から出る裏切り者の事であり、その始末は、どの仕事よりも優先される行動である。つまり、遭遇すれば即時殺害を意味している。
「桜光陽」
光陽は呼ばれ、返事をするのではなく顔を上げた。
「お前は桜夜絵と最も共にいた。彼女の思考や行動原理を、後に口伝にて報告せよ。彼女は明らかな異常者である。いかにして我ら『富士集落』の目から長い月日の間、その本性を隠していたのかを貴殿の口から語れ」
「…………違います」
解散となりそうだった。皆立ち上がり、各々の役割へと戻っていく。その時、静かに通る声が、その場に通る。発したのは光陽だった。
「ヤエは……こんなことを――――」
『お屋形さま』の言うとおり、光陽は誰よりもヤエと共に戦っていた。共に過ごしていた。だからこそ、その言葉が出たのだ。
最高決定権を持つ者達が集っている。下手な事を言えば、その場で存在自体をなかった事にされるほどの、権力も実力も持つ者達。
その者達が妹を不要な存在として否定した。その場にいる者達全てが、家族を……ヤエを否定したのだ。
だが、光陽だけが……唯一声を上げて、その場の者達へ声を上げる。
「あいつは! ヤエは違う! 妹は……あんな事をする奴じゃない!」
その発言で、“咎人”を庇ったと判断された光陽は、“本家”の牢『狭間』への投獄が言い渡された。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……痛ってて」
意識が覚醒して、まず感じたのは痛みだった。特に身体内部から、じわじわと感じる重い痛み。
「お、戻ったか。どこが痛い?」
「たぶん……食道器官が」
喋るのも苦痛だった。これから食事の様で、拷問に近い痛みと戦いながら、叔母さんの美味しい夕食を食べなければならない。
少女は光陽の胸に手を置くと、少しだけ光った。すると感じていた痛みが消え去る。
「流石に気が付かなかったよ。その他は問題ないと思う」
「ああ、ありがとう……って!」
光陽は、されていた膝枕から即座に起き上がる。当たり前だ。なんせ、今日ここには――
「目を覚ましたか」
「おはよう。ご飯食べられる?」
祖父さんと叔母さんが来てるからだ。光陽としては、やましい事は何一つしていないにも関わらず、すごく気まずいのである。
「う、うん……」
九九は、すぐ食べられるように準備していた夕食を部屋のちゃぶ台に運んでいた。四人分ではいささか狭い気もする。
「あの……祖父ちゃん」
「なんだ?」
腕を組んで座っている冴烈は、おどおどしながら声をかけてくる光陽を見る。
「なんていうか――――」
「お前、いくら『狭間』に留置されていたとは言え、色々と手を出すのが早すぎる」
「あうあう……」
気を失っている間に、少女と何を話したのか……嫌な汗が止まらない。そりゃキスしましたよ。でも外国なら挨拶だよね? こいつは明らかに日本人じゃないから、普通じゃない? ていうかそもそも人間かどうかも疑わしいし、そもそも、オレから進んで何もしてないのに―――
「――本当に……貴様は何と言う奴だ。我の初めてをあんなにも濃厚に奪うとは」
「ばっ! 違っ、あ、いや、うん……」
光陽は、頬を赤めながらうっとりと告げる少女の発言を否定しようと思ったが、目の前に座る祖父相手に出来るわけない。
少女の発言は少なからず正しい訳で……完全に否定できる証拠もないのに、下手な事を言えば間違いなく『玄武一門』が飛んでくる。
「手を出したのか?」
「出したと言うか……出されたと言うか……」
苦しい。まるで尋問だ。全ての元凶である少女は、九九に運ばれてきた料理を見て、おーと称賛している。
「食後に色々と話を聞くつもりだ。少なくとも、ワシも九九も、お前寄りで真実を聞き入れる。今は、飯を食べろ」
「はい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
膨大な書庫となっている空間の中央に座る男は、回収した情報を元に、世界がどう動いたのか見ていた。
「…………」
情報を加味する。狙い通り、怠惰の【魔王】は動きだし、本格的に優劣を決めるつもりだ。
数多くの思惑が渦巻いているとは言え、当たり前の結果に少々肩透かしのような気がする。結局は少しだけ刺激してやる事で簡単に進むのだ。後は――――
「誘発物の排除か」
男は記載している『ルー・マク・エスリン』の名前を、鉛筆で横線を引いて消した。