12.Sakura kouyou 玄武を継ぐ者
冬の時期、真っただ中のE市は、早い時間で完全に日が沈む。
中心街は、深夜からの救助活動と、昼間の慌ただしい雰囲気から、夜のスタイルに移り変っていた。
“光の球体”と【英雄】の現れたE市は大きく乱れ、特に中心街の機能は閉鎖と停止で、殆ど失いつつあり、ようやくアスラが動き出した。
今までの緩慢な動きが間違いだったかのように、日本政府に要請が出された。
『戦争を開始する。自国には支援をお願いする』
要請を承諾したE市には厳重警戒がしかれた。
不可視の“極壁”が中心街に常時展開されて、登録している市民以外がE市に侵入すると、メイリッヒに連絡が行くようになっている。
しかし、それでも完璧に機能しているわけではない。その状況に最も適した【兵士】のナンドは、未だ意識不明の重体なのだ。
その相方であるセンも、敵がトドメに来ることを警戒して、彼の元に着いている。
アスラが単独で支配下できる【兵士】の数は一〇〇前後。本来の使役者であるナンドに比べて大きく劣る。
故に“敵”の発見時は、戦闘に移るのではなく、監視報告だけを行う様に設定し、市民に擬態させて徘徊させていた。
それ以外にも、即座に敵を補足して交戦に入れるように、他の配下も警戒に回っており、必要なら排除、不可能なら確実な足止めを徹底させる。
そして、敵を一分でも補足し続ければ、即座にアスラが直接始末に出向く。
その体制を日本政府は承諾。間中総理大臣は、出来る限りの支援体制を約束した。
「…………」
光陽と少女が最初に【英雄】と対峙したビルの屋上で、黒ずくめに身を包んだ存在が、その場の検証を行っていた。
屈んで地面に手を触れて、その場に断流するエネルギー情報を回収し、映像に作り上げる。
「こんばんは」
「…………これを」
黒ずくめの存在は、回収したエネルギーを、その場に現れたノハへ、変換した圧縮エネルギーとして手渡す。
時間がない時は、メイリッヒに送ってもいいのだが、それでは映像が劣化してしまう為、重視して検証したいときは、こうして直接受け取ってもらっているのだ。
照らし始めた街の光に当てられても、黒ずくめに覆われた存在の姿は明確に現れなかった。まるで黒く塗りつぶされた様に、影が全身を覆っているのである。
その“影”は気配や呼吸音などの外部情報を全て遮断する、隠密仕様の能力であった。
「ご苦労様です。それで、何が映っていました?」
黒ずくめの唯一見えている口元が何かを言おうと開いたが、寸前で伝える事を止めたのか、声には出なかった。
「…………見れば解る」
「そうですか」
「……『スライサー』の件も一緒になってる」
黒ずくめは、ナンドが撃たれた現場と、彼の体内から摘出された弾丸に残っていたエネルギー跡を探り、狙撃位置を割り出していた。そして、既にその場所の検証を終えていた為、そちらの情報も伝える。
「流石です。僕も、アナタ達の様に立ち回る事が出来れば、いく分か負担が減ると思っているんですが……」
「一年……では難しい」
「そうですね。でも、出来るだけ身の丈に合った事をするつもりです。アスラも本腰を入れて、他の『王』と戦うと言っていましたし、これから忙しくなりそうです」
アスラは戻ってくると、即座にメイリッヒを通して、他の『王』と、存在を賭けて戦うと全員に告げた。しかし、攻め入るには本陣のダメージを受け過ぎた為、まずは態勢を立て直すところから始めるらしい。
それが、E市内の異端排除であり、その次は国全土、そして他の『王』への侵攻。と、大まかだが進み出る意志を提示した。
「侵攻まで最低二年はかかる計算です。細かいところは国情さんと相談になると思いますし……アナタにも召集がかかると思いますよ」
「……行ける時は……行く」
「伝えておきます。僕も手が空いた時に市街を巡回するので」
ノハも、アスラの相方として戦いの主軸となる存在だ。少しでも、エネルギーの使用練度を上げる事が今後の戦いを大きく左右する。
「失礼します」
ノハは来た時とは対照的に屋上の階段に続く扉から、普通に出て行った。
「……まだ、これからだ」
黒ずくめは今の戦局は、自分たちの陣営があまり芳しくないと見ていた。敵は裏をかいて来る。ならば、ソレに対応できる自分の動きで、大きく敵を牽制することが出来るだろう。
「……イレヴン。必ず……始末する……」
それだけは、自分がやらなければならない事であると自覚していた。特にイレヴンは、自分の知る者の中でも、最も近い存在でもあるのだ。
「……でも、先に【光王】を何とかしないとな……」
この場所の再現映像を既に見ていた。構築と同時に最初に見ることが出来るからだ。その中には、最も信頼し、敬愛している人物と、倒さなければならない存在が、解析不明の存在に攻撃された映像が残っていた。
「……幻滅するかな……センパイは……こんな、おれを見たら―――」
黒ずくめの女―――サスター・タナトスは、嫌いだった“眼”の事を生まれて初めて褒めてくれた彼の事を思うと、姿の全てを“影”で覆い、暗闇の中へ消えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいまー」
アパートの一〇三号室の扉が開くと、中には九九が居た。
本日、義父である桜冴烈と共に訪れたのである。理由はただ一つ、熱が入ると止まらなくなり、間違いなく怪我をするからだった。
本来の修行場ならそれでも良いが、ここは一般世間の良識内である。あまり血をまき散らすような事は出来るだけ避けなければならない。
その為の静止者として一緒に着いてきたのである。そして、夜ご飯をすぐ食べられるように仕込みを行っていると、扉が開いたのだ。
「お帰りなさい」
いつもの様に帰ってきた者を迎える声を出すが、扉の前に立っていたのは甥っ子でもなければ、義父でも無かった。
「ここで当ってる?」
扉の前に立っていたのは一人の少女だった。
桜色の髪に、自然に作り出されている、尋ねる様な表情は可愛らしい。綺麗な翠色の瞳で九九を見ていた。着ている服からもその下に在るプロポーションが強調され、見た目の年齢よりも標準以上のものを持っている。
「学生さんかしら?」
九九は頬に手を当てて首をかしげる。そして、少女の様子に気が付いた。
上着に光陽のジャンパーを羽織り、服は目立った損傷はないが、肌の見える箇所に火傷を負っていた。特に片足に追ったものは、見慣れていなければ眼を背けたいような酷さである。
「あらあら。入りなさいな。手当してあげる」
「ん? そう言う事なら、頼ろう」
九九は少女の手を引いて部屋の中に入れる。少女が抵抗なく、その手を取ったのは九九の持つ独特の雰囲気に、敵意をまるで感じなかったからである。
「ひどいわね。どうしたの?」
少女の着ていた光陽のジャンパーを受け取ると、ハンガーにかける。
光陽と義父の修練による怪我に備えて、多めに薬を持て来たのが功を奏した。そこから治療具を取出し、適切に処理していく。
「少しだけ、はしゃぎ過ぎた。えっと……」
「灰木九九です。一応、この部屋の子の叔母です」
「お、と言う事は、彼の身内か?」
「一応、あの子の親代わりをしてます。はい、終わり」
最後に少女の頬に絆創膏を貼って、手当てを終えた。片足は包帯でほとんど隠れているが、見事なまでの処理に伝わりにくくなっていたエネルギーが、適切に活性化している。明日には完全に治りそうだった。
「後、コレを。彼は外で老練者と拳を交えている」
少女は光陽のつけていたネクタイを渡した。今彼は、外で祖父と組み手を行っているのだ。
「どうした? もう終わりか?」
地面に這いつくばりながら、光陽は肩で息をしていた。ソレを見下ろす冴烈は彼の事を家族とは思っておらず、狐の面を着けて対峙している。
光陽はジャンパーとネクタイを外した動きやすい姿で、冴烈は防寒用の衣を近くに置き、道着のような着物姿で足は裸足だった。
「……まだまだ――――」
現時点で光陽の体力は限界だった。少女との戦い、【英雄】との対峙、【魔王】との向き合い。
自ずと体力はすり減っており、技を出せるほどの体力は残っていない。常人では既に倒れていてもおかしくないほどのプレッシャーを一日に何度も受けているのだ。
「倒れる事は許されない。地に伏す事は、『玄武双璧』を名乗る上で、もっとも恥であると……認識しているな?」
「知ってる……ようやく、思い出せたんだ」
光陽は、疲労で崩れてしまいそうな足を気力で立ち上がらせる。そして、息を大きく吐くと、慣れた動作で構えを取った。
しかし、身体の軸は安定せず、長い間の維持は不可能であるように膝は震えていた。
「……それでいい。その意志が証明だ」
構えた光陽に対して、冴烈は歩いて接近すると踏み込む瞬間に、光陽の構えよりも洗練された構えで彼に掌底打を繰り出す。
対して光陽は受けて流そうと手を触れるが、逆に弾かれた。そして、そのまま腹部へ掌底打が叩き込まれる。
「『玄武一門』。基本的な震脚による反復衝撃を“点”として敵に打ち込む技であり、『玄武』の中では基本。特に小回りや出しやすさでは随一だ」
嗚咽を洩らす光陽に、冴烈は説明するように再び構えた。半身の中腰の姿勢で、片腕を前に向けると肘を立て、もう片腕を引くように腰へ。そして、態勢が戻らない光陽に対して、容赦なく踏み込む。
冴烈の背撃がまともに受けられない光陽へ叩き込まれた。
「『玄武剛山』。基本動作は“一門”と共通だ。だが、こちらは“点”ではなく“面”を障害にぶつける。故に破壊力は他の追従を許さない」
吹き飛ばされた光陽は、一〇三号室の壁にぶつかると、跳ね返るように前によろける。すると、その音に何事かと、中から九九と少女が出てくる。
「あらあら」
「!」
九九は、まだ止める段階でないと見守るが、少女の方は、光陽のボロボロの様子に驚いていた。ここまでやるのか、という表情で冴烈へ視線を移す。
意識が定まらない光陽は、眼前に居る冴烈に気がついた。彼は踏込み、拳を光陽の身体の中心に接触させている。
その構えで次の技を悟った。その危機性を強く知っている技であるため、一瞬でぼやけていた意識が覚める。
内側から爆発するような衝撃に、全身が引き裂かれそうになる。
冴烈から打ち込まれた衝撃を背中から外へ流す。骨が軋み、内臓が揺らされる。口から吐き出る血は完全に“衝撃”を流しきれなかった己の未熟の証明だった。
「秘技、『玄武重拳』。衝撃を表面にぶつけて破壊するのではなく、内部に対して振動を伝え、衝撃を送り込む。氣の流れ、体重移動、震脚による伝達制。『玄武』にとって最も重要な、これらを極める事で、殺せない生物が存在しないほどの威力を持つ」
「――――ごほっ……」
覚醒した意識は再び混濁している。まるで世界が大きく揺れているように、光陽から見た冴烈は水面の様に揺れて映っていた。
体中が痛い。血を吐き出した事で、器官もダメージを受けているだろう。それでも、まだ……何もしていない。
こうして出向いてくれた祖父に何もしていないのだ。
「…………構えろ、光陽。次は奥義だ……その足で、意志で、立ち続けるなら、止めて見せろ」
冴烈は再び構える。しかし、光陽は構える事すら不可能なくらい弱々しく前に足を出しただけだった。
そして、ソレを遮る者が二人の間に割り込む。
「……邪魔をするな」
「いーや、邪魔をする」
少女は不敵に笑いながら、片足でひょこひょこと動いて、光陽を庇うように前に立った。
「もう、戦える状態じゃない。彼は、我の為にずっと戦ってくれた」
「だからなんだ?」
冷たくあしらう冴烈に少女は不敵に笑いながらも、怒りを感じる。
「慈悲はないのか?」
「童。何と言おうが、お前には関係の無い事だ」
「そんな事は無い。我は――――」
「……どいてろ」
その少女の肩に手をかけて止める様に光陽は彼女を、後ろへ退かして前に立った。前から強く押せば倒れてしまいそうな弱々しい背が少女の前に現れる。
「なぜ――――」
止めようと、その背に手を伸ばした少女は、上手く動かない片足の所為でバランスを崩して倒れてしまった。
「それはね、あの子が『玄武』だから」
その倒れそうになった少女を九九は支えながら語る。
九九は少女を止めに来たのだ。これは部外者が邪魔をする事は絶対に出来ない。何よりも、光陽が望んだ事だったからである。
「我は良くわからない。その『玄武』に何の意味がある? 死んでまで護る事なのか?」
第三者の少女の言葉は当たり前の意見だった。
ソレを理解できる者など本当に少ない。誰にも知られず消えることだってある。だが、それでも『玄武双璧』の体現者は、その生き方を決して恥じたりしないのだ。
「『守り、護り、我の前に立つ会敵を殲滅しせめん。この背には命あり。我が命を賭して守る“一族”の命あり』」
「命を賭して護る……?」
「そう。それが『玄武双璧』。それが、光陽の生き方。その背に、護る者が居る限り、あの子は……決して逃げない」
「だが、それはただの教えだろう? 死んでしまったらそれで終わりだ」
「そう。お義父さんも私も、あの子にソレを教えられる人間は皆、彼にソレを教えているの。でも、こればっかりは仕方ないの」
「何が――――」
例え、絶対的な絶望が目の前に立ちつくしていたとしても。
もう拳を振ることが出来ないほどに疲弊していたとしても。
大切な者に全てを否定されたとしても―。
「その背に護る者を背負って、諦めた事は一度はない」
光陽は構えを取る冴烈の前に辿り着いた。その距離まで歩いた彼を、冴烈は迎え撃つように呼吸を整える。
その生き方は、誰かに教わったモノではない、たどり着く答えでもない。桜光陽が持つ、生まれながらの性質であり、最もこの世界で求められているモノだった。
「しかし、このままでは――」
光陽は、もはや自分が誰に向かって歩を進めているのか解っていない。
ただ、その背に少女が居るから前に出る。些細な事でいい。彼はその後ろに誰かが居る限り、決して膝を折る事は無いのだ。
「大丈夫。お義父さんもそこまで鬼じゃない。疲れてるのは承知だと思うから、きっと――――」
対峙する冴烈は、光陽に向けて言葉を放つ。
「吹き飛ぶ程度ではすまんぞ……死にたくなければ、先に“極点”を踏んで見せろ!」
その瞬間、冴烈が動いた。そして、
「―――――……九九」
「はい」
冴烈は構えを解くと、狐の面を外し、近くに置いた衣を持つ。そして、九九に向かって視線を向けると短く告げた。
「修練は終わりだ。飯の準備を頼む」
「はーい」
少女は光陽に近づく。その背は今日一日で何度も死地を越えたものだった。誰にでもできる事じゃない。肉体は当に限界だったハズだ。
「…………」
不思議と寄り添いたくなる背中だった。
「……やれやれ」
冴烈は、最後まで膝を折らず、意識を失いながらも立ちふさがった光陽に、呆れて溜め息を吐いた。
「もう、会う事は無いと思っていた」
冴烈は座って腕を組みながら少女を見ていた。彼女は気を失った光陽に膝枕をしてあげている。自身の傷など気にしていない様子だった。
その異質な雰囲気と、人の軸から外れた圧倒的なエネルギーは、見ているだけで光陽の弱った“氣”の流れが正されていく。
「それは、我と同じような存在と対峙したことがあるのか?」
「五十年も昔の話だ。『千本桜』と名乗っていた」
「……今調べた。一応、記録にはある。だが、還らなかったようだ」
それは、昔の話だった。『彼ら』の記録でも断片しか残っていないほどの、本当に“話”程度の戦いである。
「……だからよく解る。お前のような存在の危険性と、その対処方法も」
九九は台所で食事の準備をしていた。その作業中でも冴烈と少女の話には耳を傾けている。
「ああ、解るよ。老練殿。貴公は強い。それも、並みの『従者』をも凌駕するかもしれん」
「褒め言葉には聞こえん。言いたいことは一つだけだ―――」
冴烈は気を失っている光陽を見た。大切に思っている身内の中でも、最も危険な道を歩いている。孫が歩く道は、前に進むことも容易くない修羅の道だ。
特に、ヤエと言う存在を……前に進む意味を今は失っているのだ。
いつ足を踏み外すか解らない、その生き様は、近い内に壊れてしまう爆弾として機能している。
今日、冴烈は先ほどの打込みで解っていた。
“フロー”をまた使ったのだと。起きて落ち着いたら問い詰める。
“フロー”の多用は許していない。使い続ければ、理性を失い、身体と精神が壊れるまで殺戮を続ける機械と化す。過去に、大切な者を護ろうとして、落ちてしまった“咎人”となった者を冴烈は知っていた。
「巻き込むなと言うのは無理だろう。こいつの事だ。もう、片足突っ込んでると思っている」
「うん。当たってる」
「だから、光陽を、光陽自身から護ってやってほしい」
冴烈は立場上、ヤエの事は“咎人”として扱わなければならない。だが、光陽はどうしてもヤエを“咎人”から外すつもりだ。どうやるかは見当もつかないし、そんな方法は無いのかもしれない。
だが、光陽は信じている。だからこそ、“フロー”を使う事に躊躇いが無い。それが、自分自身を失うと知っていても、である。
本当に護りたい者が……“光陽を護る者”が、彼の傍にいないから、必死に取り戻そうとしているのだ。
「ふふん。それって、保護者公認でいいってことかな?」
「本人が良いと言えばな」