第二話-2
遊びに来た事は間違い無いが、札子の着眼点自体は悪くない。
塩と言うのもそうだが、海水というものも意外と呪術や儀式などで使用する事もある。日本でも清めの塩は有名だし、新約聖書の中にも呪いの解呪とは関係無いが塩に関する記述がある。海水に浸かった瞬間に呪いが解ける、という事になれば体にぴったりフィットが基本である水着はさぞかし窮屈になる事だろう。
なる、だろう、多分。
妹は確かに僅かに小さくなっている様に見える。呪いが解ければ体のサイズも戻るだろうが、元が小さいから思いのほか窮屈にはならないかもしれない。
俺はそう思って行動していたが、奇妙なモノを見つけた。
いつもなら傍らにロシアン女子高生がいるはずだが、今は単身で行動していた井寺坂がナンパな連中に捕まっていた。
身内にならいくらでも珍妙な行動を取れる井寺坂だが、けっこう人見知りが激しいのでああいう手合いに極端に弱い。
まったく、困っている女子の助けに入るなんて、カッコイイ俺が余計にイケるシチュエーションじゃないか。相手が地味眼鏡の井寺坂なのが残念だ。
「井寺坂、何やってんの?」
「ああ、部っ長!」
困ってそうなので助けようと声をかけたが、井寺坂は何故か怒っていた。
なんだ、状況が思ってたのと違うのか?
「ああ、佐野君が一緒という事はお嬢さんの同級生でしたか」
ナンパな男三人組の内、一人がまったくナンパな感じのしないキレのある声でいう。
この人、見た事あるぞ。
「確か、銭丸グループの。どうしたんですか?」
「いや、お嬢さんを盗撮しようとしている不審者を見つけたんで、ちょっと職質じみた事をやってたんですよ」
二十代前半に見えるその男は、見た目の軽さの割に丁寧な話し方だった。
さすが、銭丸グループに採用されただけの事はある。
「私は盗撮なんかしてません! 本人の了承を得てやってる事です!」
井寺坂はかなり憤慨している。
理由はデジカメを奪われた事が原因だと思われる。
「部っ長、知り合いですか?」
怒ってるな、井寺坂。珍しいといえば珍しい。
「私のカメラ、取り返して下さい!」
そういう事ね。俺としてはそのカメラは処分してもらっても良いんだが、井寺坂はあれで問題を抱え始めると相当メンドくさい。
「あの、そういう訳ですんで、返していただけますか?」
「はあ、まあ、そういう訳だったらお返しします」
それで俺は井寺坂のデジカメを、銭丸グループの人から返してもらう。
「こう言うのも仕事ですか?」
「ははは、まあ、そういう事です」
苦笑いしているが、札子のボディーガードである事は悪く思っていない様だ。
銭丸グループのライフセーバーとおぼしき三人は、人ごみの中に隠れていくが、井寺坂の機嫌は悪いままである。
「私、許可を取って写真撮ってるんですよ? 横暴じゃないですか!」
「井寺坂の取り方にも問題があったんじゃないか?」
俺がそう言ってデジカメのデータを見ようとすると、驚く程の早さで井寺坂にひったくられる。
「芸術は理解されないものだ、と言うのを痛感しました」
「多分、芸術じゃないから理解されてないんだと思うけどな」
実際にどう言う写真を撮っているのかは見ていないので分からないが、それはデジカメを没収して職質じみた事を聞かれる様なモノなのだろう。
「札子達と合流するのは良いが、写真はやめといた方が良いんじゃないか?」
「そ、そんな! それじゃ私は何のために海に来たんスか?」
妹の解呪の為じゃなかったのか。
今さら札子には期待していないが、せめて井寺坂はオカルト研究部の本分を忘れていない事を期待していたのだが、それも無理なようだ。
「あのな、俺達が海に来た目的は何だったか思い出してみろ」
「そんなの決まってるでしょう。銭丸先輩とさのりんの水着姿をバッチリ写真に収めて、一生に一度しかない高二の夏休みをより良く豊かにするための思い出を」
「わかった、もういい、しゃべるな」
井寺坂に期待していたという事は、俺は自分で思っていた以上に精神的に余裕が無くなっているみたいだ。
「部っ長は何しに海に来たんですか? 銭丸先輩のほぼ裸を脳内に収めなくて良いんですか? この中にはそういう貴重なデータが詰まってるんスよ?」
「いや、まあ、好みってあるからな」
確かに札子は下手なグラビアアイドルなんか目じゃない、強烈なクオリティーではあるので、クラスでは「グラビアいらず」と崇めている奴等もいる。しかしいつも気だるげなヤル気の無い表情なので、ソレとしてみるとイマイチ物足りない。
後、周りに付属する人達が怖いので、そういう目は向けない様にしている。
「マジッスか? じゃ、部っ長の好みってどんなんスか? さのりんッスか? 部っ長、妹萌えの人?」
「捏造すんな。ウチは兄妹の仲が良いだけだ。俺より井寺坂はどうなんだよ。変身キャラなんだろ?」
「いやいやいや、それは銭丸先輩が勝手に言ってるだけッスから」
「だろうな。変身しそうにないもんな」
俺があっさり引き下がると、それはそれで気に入らないのか井寺坂の表情は険しくなる。
「部っ長はそれで良いんスか? 彼女もいないのに。銭丸先輩と付き合ってるって思われてるだけで満足なんスか? はっきり言って思い込みッスよ」
「だから捏造するなっての。俺は良いんだよ。まずは妹の呪いを解かないといけないのに」
「ああ、そう言えばそうっしたね。海にはそんな目的で来たんでした」
井寺坂はうんうんと頷いている。
「海ってオカルトの舞台としてはよくありますよね? クトゥルフでも海洋生物なクリーチャー多いし」
「夜だけどな。昼の海のオカルトって何かあったか? て言うかそういうネタを探しに来たんじゃねーっての。井寺坂、本当にクトゥルフ好きだよな」
「私のオカルト好きの原点ッスからねー」
井寺坂はそう言っているが、俺が知る限り井寺坂は中学生の頃にはオカルト好きだったと思う。と言う事は、コイツはいつからクトゥルフに染まったんだ?
「あんた達、夏の海に来てまでオカルトトークなの?」
海で遊んできましたと言わんばかりの札子と、妙に疲れてげんなりしている妹が戻って来た。相変わらず人目を引きまくっている。
普段の札子はクセの無いサラサラロングで、最低限整えている程度しか手を加えていない。それが今は濡れて水滴に輝く白い肌に張り付いているので、それでなくても目立つ札子がさらに(特に男性の)人目を引きつけている。
これで表情が明るければさらに魅力的なのだろうが、表情はいつもの気だるげな表情である。が、妹ほど疲れきっていない。
「妹、えらく疲れてるな」
「戻ってない気がする」
妹は相変わらず大きなビーチボールを持たされ、札子の手を握っている。
自分の身長が戻っていない事もあるが、国際強化選手並みの体力と運動神経を持つ札子に付き合っていたのなら、それは相当疲れるだろう。
「大丈夫よ、妹ちゃん。夏休みの終わりには元に戻るって」
札子はげんなりしている妹に言う。
言っているのが呪文書を用意した著名な呪術師なら安心出来るところなのだが、それが本当だとしても普段から根拠も無くなんとかなるんじゃない、と言い続けている怠惰な札子では心配無いとは言えない。
しかも夏休みが始まったばかりの時点で夏休みの終わりには、と来た。
「しかし、夏休み終わるまでは長いな。一日でも早く元に戻してやりたいんだが」
「ふーん、そのために利休はじゃんぬとオカルトトークしてたの?」
ちょっと違うけど、井寺坂が盗撮の疑いで銭丸グループに職質を受けていた事は、札子には説明しても意味が無いので黙っておく。
「いやー、部っ長、妹想いッスねー。やっぱ妹萌えの人っしょ?」
「妹ちゃん、ちっちゃい方が可愛いのに」
井寺坂と札子は、とことん他人事である。
札子は本心から言っている分タチが悪い。
「お前らは満足したのか?」
「私はまだまだイケるけど、妹ちゃんが辛そうだからね」
札子がそういうので俺も妹を見ると、確かにもうしばらくすると倒れるんじゃないかと思う程、妹からは憔悴しきった雰囲気が出ている。
「妹ちゃんはじゃんぬとお留守番ね。利休、遠泳で勝負しよう」
「しねーよ。お前と遠泳なんかさせられたらどこまで行かされるかわからんからな」
「五キロくらいでいいって」
「けっこう無茶な事をサラッと言うな」
札子は不満そうだが、プールでも五キロ泳ぐとなったら大変なのに、自然の波がある海での遠泳は相当キツい。俺も運動神経は悪くない、と言うより良い方だが札子は規格外にも程がある。札子にやる気があるのなら、一人でトライアスロンでもやれば良いのに。
「じゃ、ビーチバレーで勝負。私とじゃんぬ組対佐野ブラザーズで勝負しましょう」
「なんで勝負がしたいんだ? オカルト研究部なのに」
「あんたは何のために海に来たと思ってんのよ。今日は遊ぶのよ」
「違うだろ? 妹を元に戻すってのが最優先事項だっただろ?」
「まったく融通も応用も効かないんだから、このマニュアル型ナルシストは」
どんな奴だ、そいつは。マニュアル型ナルシストなんて聞いた事も無いぞ。普段のやる気の無い札子はどこに行った。
「札子さん、私はもう限界なんですけど」
疲れきった声で妹が言う。
「妹ちゃんがそう言うんなら、しょうがないか」
「じゃその前に写真撮らせてね」
ニコニコしながら井寺坂は、海から上がってきた札子と妹の写真を撮っている。
札子はまだまだ遊び足りないようだが、可愛がっている妹には甘いので手を引いて歩いて行く。
その後ろを変質者丸出しの井寺坂が、写真を撮りながらついて行く。
結局海では進展無し、か。
俺はそう思っていた。
「ところで井寺坂。ちょっと相談なんだが」
「何スか? 今忙しいんスけど」
前を歩く札子と妹の写真を撮りながら、井寺坂が言う。
「そのカメラ、俺が取り返したんだよな?」
「まあ、そうッスね。そこだけは感謝してるッス」
気に入らない答えだったが、井寺坂はピンときたらしい。
「まあ、今回は確かに部っ長に手を借りましたからね。後日データをちょこっとなら渡しますから」
前を歩く二人には聞こえない様に、俺達の取引は成立した。
翌日。
俺は海では大して何もしていないのでまったく疲れていないのだが、いつもなら先に起きている妹は疲れているのか部屋にいる様だ。
「妹、俺は部活に行くけど、疲れてるなら寝てていいぞ」
俺がそう言うと、妹の部屋の扉が開く。
「あ、兄、何か変よね?」
妹が制服に着替えて部屋から出てきたが、今度は俺にも一目見て違いが分かった。
妹はさらに小さくなっていたのだ。