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第七節 魔女の処刑



 場が、水を打ったように静まりかえった。


 どこまでも理性的な声で、沈黙を破ったのは王だった。


「それは事実ではない」

「事実です。このままではそうなります。私には見える」


 その言葉を口にするとき、自分でも意外なほどまっすぐに王を見ることが出来た。


 ナスターシアの巫女としての最後の誇りが、そうさせたのかもしれない。


 恭順と無抵抗の意を示し、〈翡翠の巫女〉の象徴とも言える〈翡翠の宝剣〉を己に刃を向けて差し出す。


〈翡翠の巫女〉の由来となった、彼女の瞳の色に最も近い翡翠石を用い削り出された、今上教皇の祝福を受けた世界にたった一つの宝剣。


 この剣は、彼女が〈翡翠の巫女〉であるという何よりもの証拠となる。


「私の死は、この時点で予定されたものではありません。いくつもの道の中から、私はようやく一つのシナリオを見つけることが出来た」


 自害では意味がない。あらゆる手段を使って教団にその事実を抹殺される。もはやナスターシア自身がいなくても、〈翡翠の巫女〉は生き続けるだけの存在感を得たのだ。


 王でなければいけない。王による正当な処断でなければならない。


 それが、敬愛する王を死なせない――この国を死なせないただ一つの方法。


「私を殺して下さい」

「ふざけるな! そんなつもりでお前をここに連れてきたわけじゃない!」


 大広間中に響き渡るような怒声はクロウのものだ。


 剣を差し出した手を乱暴に掴まれる。取り落とした〈翡翠の宝剣〉が音を立てて床に転がった。肩に食い込む指の力強さに、ナスターシアは眉を顰めた。


「黙っていてごめんなさい。でも、本当のことを言えばあなたは協力してくれないと思ったから!」

「当たり前だ!」


 突き放そうとする腕を押さえ込まれる。揉み合う二人を前に、激昂するクロウの火を消すかのように、雨だれのような声が落ちた。


「クロウ、聞いたとおりだ。その巫女の予言通り、私は巫女を殺さなければならない。世界のために」

「ふざけろよ、ゼイン。一国の王が、小娘ひとりの寝言を信じるってのか?」


 睨みあう二人の脇で、右大臣ゼロスから何事かの指示を与えられた騎士団長ランバートが、早足にその場を離れた。


「その者はただの小娘ではない。〈翡翠の巫女〉――天を見、地を悟る存在。人の手にあってはならぬ者」


 謳うような声が、涼やかな風のごとく耳に届く。


「教団が巫女の存在により腐り落ちるというならば、その元を絶つのは教団を御すべき立場にある私しかおるまい」


 ナスターシアを見つめる王の目が、どこか眩しげに細められた。


「十年前の奇跡の子か。久しぶりだな」

「……覚えて、いらっしゃったのですか?」


 ナスターシアは驚いた。


「忘れるわけもない。あの時、私は大陸統一を成し遂げた凱旋の途中だった。あの凄惨な事故で、瀕死の重傷の中、まだ生きようともがく幼い少女――その翡翠の瞳に宿る強い意志が、私を動かしたのだ」


 泣かないと決めていたのに、つんと胸の奥が熱くなった。


「その衣装はエミリアのものか。……よく似合っている」

「……勿体ないお言葉」


 ナスターシアは、瞳が潤むのを誤魔化すように俯いた。己という存在が一時でも認められたような気がして、満足だった。ずっと、その眼に映りたかったのだ。


「随分と美しく、強く成長したものだ。私の見る目は正しかったと思わないか? なぁ、クロウ」

「けっ……」


 王らしからぬ軽口が叩かれる。振られた賢者は、苛立たしげに顔を背けた。


 その時、複数の重い足音が謁見の間へと飛び込んだ。


「動くな! 〈翡翠の巫女〉――いや、魔女ナスターシア!」


 兵士達が一斉に銃剣をナスターシアに向ける。


「虚言を弄し、国政を混乱に陥れようとする卑劣な魔女め。その罪、第一級王権反逆罪に値する!」


 ランバートから魔女の存在を知らされた近衛兵が、血相を変えて駆けつけたのだ。


 ここまではナスターシアのシナリオ通りだった。しかし、不意に隣に立ち尽くすクロウの存在が気にかかった。


 そう、彼はいつも不確定要素だった。


 ナスターシアの見た未来にクロウの姿はない。彼のおかげで予想以上にことがスムーズに運んだのは確かだ。だが――


(いけない。この距離では巻き込まれる!)


 ナスターシアの予知通りならば、ここでナスターシアは近衛兵に撃たれて死ぬ。銃剣の精度は極めて低い。一斉発射された弾丸がクロウに当たらない保証はない。彼がいる未来が予知出来ないからこそ、怖かった。


 ナスターシアはクロウを振り切り、突きつけられる銃口に向かって駆け出した。


「なっ!? う、撃てー!」


 唐突な魔女の動きに、隊長格が慌てて指示を出す。


 鼓膜を貫くような轟音が大広間に響き渡り、辺りには濃い硝煙の匂いが残った。


「クロウ……!?」


 ナスターシアは生きていた。ナスターシアの胸を撃ち抜くはずだった弾丸は、彼女をかばったクロウの右肩を食い破っていた。


「なぜ馬鹿なことを!」 

「馬鹿はお前だ! この国のためにお前が死ぬ必要がどこにある!」


 止めどなく溢れる血がナスターシアの白装束を濡らす。呆然と、ナスターシアはクロウの上半身を抱いた。


 怒鳴り散らす青年の顔が、痛みよりも怒りに歪む。


「お前ひとりごときの存在で腐り落ちる国など、遅かれ早かれ滅ぶ運命だ! そうだろう!? ゼイン!」

「ふっ、言ってくれる」


 絶叫に近い呼びかけに、王は反逆者とその共謀者に近づいた。


「国の安定のためなら、小娘一人の命くらい安いものだろう。……だが、貴様の言うことも一理ある」


 足下に落ちていた〈翡翠の宝剣〉を拾い上げ、長い指先で弄ぶ。


 その時にはもう、二人は態勢を整えた近衛兵の銃口に囲まれていた。


「だがな、クロウ。お前も知っている通り、俺は常に最善の道を取るのだ――殺せ」

「ゼイィィィィン!」

「やめてぇぇぇ!」


 クロウの怒りの絶叫。ナスターシアの悲痛な叫びが重なる。


 銃声。


 そして、全てが終わった。







 助けて。助けて。


 いや、死にたくない。生きたい。


 頭の奥で響く幼い声。


 あの時はまだ何も分かっていなかった。自分の存在意義も、これからの未来も、何も分からなくて、先が眩しくて、ただ生きたかったのだ。もがいて、もがいて、生き続けたかった。


「おい! 子供だ! まだ息がある!」


 聞き覚えのある声。


(クロウ……?)


 抱きしめてくる力強い腕に、ひどく安心した。


「おい、しっかりしろ! くそ、酷い傷だ。アスラン! お前の治癒術で何とかならんのか!」


 長い灰色の髪が視界に映る。理知的な顔を焦燥に歪ませ、傍らにいる魔術師を叱責した。――若いゼイン王。


「無理です。我々の治癒術は自己回復力を高める力。この子には、もうそんな力すら――」

「まだ生きている! この小さな命が、まだ生きようとしているんだぞ!」


 肩を落とす魔術師を怒鳴るゼインに驚く。常に冷静沈着な彼の、意外な一面を垣間見た。


(ああ、この人はいい王になる。民の命を、国の幸せを守る統治者になる――)


 嬉しくて涙が出そうだった。何よりも民を思える人が国の頂点に立つという幸運。願わくば、彼のために生きたかった。役に立ちたかった。


 縋るような灰色の眼差しがナスターシアに向けられた。正確には、その背後にいる人物に。


「クロウ! お前なら出来るだろう!? 〈時の番人〉のお前なら――この子の……彼女の未来の時を救え!」

「ゼイン様! しかしそれは――」


 アスランが取りすがる。ゼインが振り払った。


「クロウ! これは命令だ。この俺の、最後の命令だ!」


 その時、黒い羽ばたきが聞こえた。


 視界が白む。時の全てが止まったような目映い光に包まれ、ナスターシアは夢の中で巨大な門を見た。


 黒い大烏が、その門に向かって飛んでいく。


(時の番人の化身――)


 無意識に追い縋っていた。



 そして、飛び去っていくその美しい姿を夢中で追いかけ、彼女は時の門に触れたのだ。

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