第五節 王への謁見
「待って! 王に会う前に身だしなみを整えさせて!」
そうと決まれば早速行こうと言い出す面倒くさがりな割に行動派なクロウを慌てて押し留める。教団に追われているときは気になど止めていられなかったが、一日中森を逃げ回っていたせいで泥だらけ埃だらけのひどい有様だ。クロウも全くの無頓着なので思わず忘れていたが、とても人前に顔を出せる状態じゃない。
「別にたいして変わらんだろう」という男に枕を投げつけ、湯を浴びて汚れを落とす。どこかに女物の着替えはないかと望み薄な希望を口にしたところ、意外にも色の良い答えが返ってきた。
「昔ここを帝国軍の仮住まいにしていたことがある。その時に使っていたゼインの妹――エミリア姫の衣装がそのまま残っている。好きに使え」
エミリア姫が使っていたという部屋に通される。おおよその造りはクロウの部屋と同じだったが、十年以上手をつけていないのか、ひどく埃っぽかった。窓を開けて簡単に換気をしてからクロゼットを開け、作業に取りかかる。
今の王の妹姫の衣装を借りるなど畏れ多かったが、背に腹は代えられない。出来るだけ巫女服に近い白い質素なものを選ぶが、今や帝国中の女性の憧れの的となっている妹姫の、時代を感じさせない洗練された衣装は、ナスターシアにとっては十分眩しかった。
「恥ずかしすぎる……」
帝国一と名高い美姫が纏うならばともかく、完全に衣装に着られている自覚があるナスターシアは、姿見を直視するのを躊躇った。
「悪くないな」
「ひゃぁっ!?」
唐突に、横から聞こえた声に飛び上がる。いつの間にかクロウがいた。
「ク、クロウ!? 何で勝手に入ってるのよ!」
「ここは俺の家だ。俺が居ることに理由が必要か?」
「っていうか、女の子が着替えているのに入ってくることないでしょー!」
「着替えている間は入ってないぞ」
「何で私が着替え終わったって分かるのよ!?」
「勘だ」
何それ、と思ったが深く突っ込まないことにした。当代随一の賢者は気配で分かるのかもしれない。それはそれで嫌だが。
「髪くらい梳かしたらどうだ」
「こ、これでも梳かしてるわよ! 不器用なの」
巫女の生活は質素だ。自分の髪や服装を着飾り、華やかな場に出る機会などまずない。唯一例外があるとすれば教団の祭事や式典だが、その場合、教団の『顔』であるナスターシアは、シスター達の手によって着せ替え人形のごとく着飾られるので、あまり自分でこういうことをするのには慣れていない。
「どれ、貸してみろ」
あっさりと手から櫛を奪われ、ナスターシアは渋々ベッドサイドに腰を下ろした。抽斗からいくつか髪留めを取り出し、寝台にあぐらをかいたクロウが後ろから髪をすくってくる。
(なんか……変な感じ……)
姿見で真後ろに座るクロウの様子が見て取れる。意外に器用な手先を見つめる目は真剣で、その様子が逆におかしかった。
「何を笑っている」
「なんでも。意外に手慣れてるから、びっくりして」
「エミリアにやらされたんだ。あいつは何でも人を使う。……っとに、あの兄妹はよく似ている」
当代の美姫を呼び捨てにして毒づく。
彼にとっては、旧友の妹だ。共に戦乱の時代をくぐり抜けた同志でもある。
「エミリア姫……仲、良かったんだ」
「別に悪くはなかったな。頭にくる兄妹だったが、頭は悪くなかった」
それは彼にしては最大の褒め言葉な気がした。この男はぶっきらぼうで無愛想で、あまり素直に人を褒めるのが得意じゃない。だんだん分かってきた。
(でも、言葉の裏側ではすごく優しい)
耳心地のいい言葉を使うわけではないが、それでも言うべきことを言う人だ。自分の存在意義に疑問を口にしたナスターシアに、巫女と教団の重要性を説いてくれた。今の彼女にとっては傷口に触る言葉だったが、それでも彼の真摯さが嬉しかった。
(あれ? でも、そう思うとさっきの『悪くない』って、すごく褒め言葉?)
あまりにもさりげなかったので思わず聞き流していたが。
エミリア姫に嫉妬するほど図々しくはないが、少しふさいだ気持ちが一気に晴れた。現金なものだ。
(……って、嫉妬って何!? 現金って!? なに、なに考えてるの私!)
思わず自分に突っ込む。
「さっきから何を百面相している」
「な、ななななんでもないわっ!」
明らかに不審なごまかし方をしながら、顔を上げたナスターシアは鏡の中の自分を見て固まった。
「……きれい」
「自分で言うな」
丁寧に梳かされた金髪を、後ろ髪の一部を横に流して美しく上で纏めている。シックな白いドレスに合わせたような上品な仕上がりだ。
見違えた自分に思わず本音が漏れたナスターシアにクロウが突っ込む。
「……ぷっ、っははははっ! 本当に面白いなお前はっ」
自分で言ってしまったナスターシアがツボにはまったのか、文字通り笑い転げるクロウ。
「わ、笑いすぎよ! 違うわよ! これはクロウのアレンジがすごいって言いたかっただけで……ああーっ! もうすごく恥ずかしい! 消えたい! 消えてしまいたいー!」
恥ずかしさの上塗りに、寝台に飛び込み置いてあった枕をボスボス叩く。激しく埃が舞い、クロウがまだ笑い転げながらその枕を奪った。
「待て待て。せっかくの髪がぐしゃぐしゃになるぞ。今くらいおしとやかにしとけ……っぷっ、くくくっ」
「まだ笑ってるぅ~~~。どうせ私はエミリア姫みたいにキレイじゃないから自分で言うしかないのよーっ」
枕を奪われてナスターシアは自分の顔を掴んだ。この顔をどうにかしてしまいたい。
「待て待て、論点がずれてる。っくく、まったく、俺の台詞を取るからそうなるんだ」
「うわ~んっ、もうほっといてーっ。私を見ないでーっ。……え?」
自分の頬をつねる両手を奪われて、半泣きで喚いたナスターシアは危うく聞き逃しかけた台詞に一時停止した。
頬を摘んでいた手を覆うように両手で掴まれ、気がつけばおでこが当たりそうなほど至近距離にあった顔に息を飲む。
黒曜石の瞳に映る自分の目は、ひどく戸惑っていた。
「あ、あの……」
「さて、準備も整ったところで、ゼインのところに向かうか」
ぱっと手を離したクロウが軽やかに寝台を降りる。その時には、もういつもの調子に戻っていた。
頭の中が真っ白になりかけていたナスターシアは、色んな意味で心の準備が出来ていなかった。
(何なの~っ!)
何気ない言動に翻弄されている自分が腹立たしい。そんなつもりなどない。ないはずだ。
部屋を出るクロウを小走りに追いかけると、彼は回廊を横切り、夜の中庭に出た。夜風が頬を撫で、自然と身が引き締まる。
(私は……ゼイン王に会わなきゃ)
頭を切り換える。自分の使命、自分の想いに。軽く頬を張り、ナスターシアは叫んだ。
「ナスターシア、行きます!」
「よし、じゃあ掴まれ。今度は気を失うなよ?」
「え……?」
その時、バサリと鳥の羽音がした。
「ひああああっ!?」
「耳元で騒ぐな」
「だって! だってこれ飛んでる! 何で羽生えてるの?!」
ナスターシアはクロウに抱きかかえられ、夜空を高速飛行していた。
青年の背には、鴉のような大きな黒い翼――
「俺は〈時読みの賢者〉なんだろう? だったらこれくらい出来る」
「意味が分からないわよっ」
賢者だから何でもありなのだろうか。確かに魔術師などは飛行術を使えたりするが、翼が生える人間というのは初めて聞いた。
「いや! やっぱりおかしい! 流されないわっ。あなた何者なのっ?」
思わずクロウの何でもありなノリに流されそうになり、慌てて自分を引き留める。彼の首にしがみついたまま、ナスターシアは再度問い質した。
「さっき、お前が自分で言っていただろう。俺は〈時の番人〉だ」
「と、ととときの番人!? だって、あれは伝承で……」
「伝承が真実でないなどと誰が決めた」
「それはそうだけど……っ」
頭が混乱する。クロウは〈時読みの賢者〉であり、〈時の番人〉であり――そもそも〈時の番人〉とは、時の門の守護者であったはずだ。その時の門の番人が、〈時読みの賢者〉として現王に仕え、大陸統一に助力したという事実は――
「あーもう、もうよく分からないけどもういいわ! クロウ、私をゼイン王のところへ連れて行って!」
結局、整理しきれないので、目的さえ達成すればどうでもいいという境地に辿り着く。人間開き直りが大事だ。
「もうすぐ着く」
言葉通り、目的地はすぐだった。