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時計塔と、煙の街。

作者: ***

 時計塔から上がる煙を眺めていたらいつの間にか冬だった。

 ラジオからはノイズ交じりに今日の汚染予報が流れている。やや酷め、やや酷め。無機質な女性の声が淡々と読み上げる。喘息の方はマスクを着用した方がよいでしょう。

「今週一杯は結構酷いんだってさ。」

 やーがボロボロの長机に腰掛けて、割れた窓ガラスの外を眺めながら言った。

「じゃあ、タネリは結構しんどいだろね。」

「あいつももう長くはないだろうなぁ。」

 頷いて、やーは溜め息を吐く。溜め息は一瞬白く曇って、それから冷たい空気に馴染んで消えていった。

 冬は寒くて夏は暑い。そんな廃ビルの三階、ここが私の住処。

 ちょっと前までは四階にも住民がいたんだけど一週間くらい前に死んだから、今この四階建ての廃ビルにはハッカと私の二人しか住んでない。とは言え私はやーをよく呼ぶし、ハッカは二階の住処に男をとっかえひっかえ連れ込んでるから、いつも割と賑やかだ。

 発電機に繋いでいたケトルが、ぐつぐつとお湯の沸いた音を立てる。カップを二つ、半分壊れた食器棚から取り出して、メープルティーのティーバッグを入れてお湯を注いだ。湯気と一緒に立ち上ってくる、甘い香り。

「それは水道水?」

 やーがカップを覗き込んで言った。

「うん、ここまだ水は来てるからね。」

「でも汚いじゃん、水買いなよ。」

「バカなこと言わないでよ、どんだけ高いと思ってんのさ。」

 そう言いながらティーバッグを引き上げて、ゴミ箱に放り込む。角砂糖を二個ずつ入れて、片方のカップをやーに渡した。

「ありがと。」

 やーはそう言ってすぐに口をつけた。私は猫舌だからしばらく冷ましてからじゃないと飲めないので、紅茶を飲んでいるやーのまるで女みたいな顔を眺めて時間を潰す。それに気づいたやーはカップに口をつけたままはにかんだように笑った。私は何だか恥ずかしくなって目を伏せた。汚れた自分の足と、ひび割れたコンクリートの床。靴が欲しいなぁ、なんてぼんやりと考える。せめてサンダルを。だけどそんな贅沢品、買ってる余裕はどこにもない。いやあるとこにはあるんだろうけど、少なくとも私の手元にはない。

 紅茶に口をつける。思ったより熱くて、舌が焼けた。

「ニーナは相変わらず熱いのが駄目なのな。」

 舌を出してる私を見て、やーがおかしそうに笑った。私はむっとして言い返す。

「熱いの飲みすぎると喉にがんが出来るから、それを防いでんの。私のベロはやーのより進化してる次世代型だから。」

 やーはそれを聞いて、またおかしそうに笑った。私はやーの笑顔に弱いから結局のところ黙り込んでしまうのであって、ちょっと悔しい。

 窓の外では相変わらず時計塔が煙を吐き出している。私はラジオを消して、ベッドの上に転がっていた双眼鏡を手に取って覗き込んだ。時計の針は、三時半を少し過ぎた辺りを指している。

 この街のどこから見ても時間が分かる時計塔。

 そう。ど真ん中に堂々とそびえ立つあの時計塔は、この街を支配している。私の生まれたときからずっと。いや、生まれる前からずっと、だ。この街のみんながあの時計塔の下で生まれて、この街のみんながあの時計塔の下で死んでいった。だから、私もやーもそうやって生まれ、きっとそうやって死んでいくのだろう。

 ひゅう、ひゅう。割れた窓から流れ込む風の音が部屋の中に響いている。私は目を閉じて、その音に耳を澄ました。かち、かち、と時計塔の時計の針が時を刻む音すら聞こえてくるような気がしたけれど、きっとそれは気の所為に違いなかった。

 目を開けると、やーはもういない。空になったカップが床にぽつんと残されている。

温くなった紅茶を一息に飲み干して、ベッドに倒れ込んだ。私がこの廃ビルを住処にする前からすでにこの部屋の主だったベッド。もうボロボロで、スプリングが飛び出している。そのスプリングが刺さらないように倒れ込むのが私のたった一つの得意技だ。いや、流石にたった一つではない、と信じたいけれど。

 外から誰かの話し声が聞こえてくる。でもさ、やり方、錆びたんだけど、他に、かも、それって凄く、パインの味と匂い、砂糖。途切れ途切れに聞き取れる単語に私の意識は奪われる。どんなこと話してるんだろう。どんな顔をして喋ってるんだろう。明日この人たちは生きているんだろうか、それとも眠って二度と目覚めやしないのだろうか。なんて、取り留めなく思いを巡らせてみる。その想像に埋もれて、それからその想像を破り捨てて深呼吸をする。そんな平和な午後の時間を愛している。やがてその声も聞こえなくなって、街は決して無音ではない静けさに包まれる。

 その静けさを破るように、こんこん、とノックの音が聞こえた。身体を起こして入り口の方を見ると、ハッカが壁にもたれ掛かって気怠そうに立っていた。扉はとっくになくなってるから、壁をノックしたんだろう、とか考えながら

「おはよ。」

 と手を振る。ハッカはそれには答えずに歩き出して、ベッドのすぐ横の床に腰を下ろした。

 ハッカは何故か床をこよなく愛していて、いつも床に座る。座るだけじゃなくて寝るのも床。だから二階のハッカ宅にはベッドも椅子もクッションも何もない。

「どうしたの、何か用?」

「別に。」

 ハッカはぶっきらぼうに答えると、パーカーのポケットから煙草を取り出して咥えた。

「嘘だ、ハッカがそう言うときは大体何かあるじゃん。」

 そう問い詰めると、ハッカは

「……ミーネがさ。」

 と溜息を吐いて、それから煙草に火を点けた。煙がゆらゆらと天井に向かって昇り出す。

「ミーネがどうしたの?」

「さっきあたしんとこ来てさ、一緒にここを出てこうって言ってきたんだ。」

 その言葉に私は思わず耳を疑った。この街を出て行く、なんて。あまりにも無茶だ。というより、狂気の沙汰だ。

「あんなことがあったばっかなのに何でそんなこと……!」

 そう言うと、ハッカはゆっくりと首を横に振った。煙草の煙もつられて揺らいだ。割れた窓から流れ込む風は、相変わらずひゅう、ひゅう、と鳴き声を上げていた。

 ハッカがどこか諦めたような表情で口を開いた。

「あんなことがあったばっかだからこそ、だよ。」


 ミーネが私の住処を訪ねてきたのは、その日の夜だった。窓のないこの住処は、夜になると酷く冷え込む。私は白い息を吐きながら彼女を迎え入れた。

「これ見ろよ。」

 そう言ってミーネが肩に担いできた大きな鞄を開けた。覗き込むと、中には黒々とした何かが所狭しと詰め込まれていた。

「これは?」

 よく見るためにその黒い何かに手を伸ばしながら聞くと、

「爆弾だよ、爆弾。」

 とミーネが自慢げに答えた。私は驚いて手を引っ込める。

「触ったぐらいじゃ爆発しねえよ。」

 彼女はそう言って笑った。

「ユトが作ったんだ。ゴミの山から使えるもん見つけてきてな。凄いだろ。」

 楽しそうに語るミーネを見ていると逆に気分が滅入ってくるのを、私は何となく他人事のように感じていた。この爆弾の山が示す意味を私は知っていたけれど、それでも、と小さな希望を込めて、

「何に使うのさ。」

 と尋ねた。

「もちろん、ここから出るのに使うんだよ。」

 何の躊躇いもなくそう答えるミーネ。私は思わず目を閉じて溜息を吐いた。文字通り、目の前が真っ暗になるってやつだ。そんな私を置いてけぼりに、ミーネは作戦を語り出した。

「まず一番警備が緩い南第二ゲートをこれで襲撃して、武器を奪うんだ。んでそのまま南第一ゲートを破って外に出たら、今度はどっかで人質を取って立てこもる。それからマスコミを呼んで封鎖地区の中がどんなことになってるか世間に広めてから、この地区の開放を要求する。そしたら流石に政府も、」

「あのさ。」

 私はミーネの言葉を遮った。

「そんなのうまく行くわけないって。冷静になりなよ。」

「お前っ……!」

 ミーネは信じられないといったふうに私の顔を見つめて、

「ニシのこと忘れたのかよ。」

 と言った。

「忘れてるわけないじゃん。」

「じゃあ、お前、悔しくないのかよ。え? 仲間殺されたんだぞ。ニシ一人相手に、五人がかりで銃弾の雨だぞ? お前、それ許せんのかよ……!」

「ニシを殺したのはあんたらだろ。」

 そう言うと、ミーネの表情が変わった。驚愕から、憤怒へ。これ以上言えば、私はきっともう二度とミーネと友達に戻ることは出来ないだろう。それでも私は溢れ出る言葉を止められなかった。

「お前らがバカみたいに脱出計画なんか立ててたから、ニシはそれが無茶だってことを自分が死ぬことで教えようとしたんだよ。あんたのことが大切だったから、あんたのバカな行動をやめさせようとしたんだよ。じゃなきゃ一人でゲートに突っ込んだりしねえだろうが。分かるか? ニシを殺したのは、ミーネ、あんたらなんだよ。」

 言い終えた瞬間、私は床に転がっていた。遅れて左頬に鈍い痛みが訪れて、ああ、私は殴り倒されたんだ、と気づいた。

「お前がそんな奴だとは思ってなかった。仲間の敵討ちすら出来ねえようなチキン野郎はこの街でのたれ死んでろよ、タネリみてえにな。」

 ミーネはそう吐き捨てると、私の住処からつかつかと荒い足音を立てて去って行く。私は一人、床に転がったまま、天井のひびを眺めた。不思議と気分はすっきりとしていた。ニシが一人で、たった一人で、ナイフだけを持ってゲートに突っ込み、蜂の巣にされたあの日からずっと心を覆っていた靄が晴れるのを、私はぼんやりと感じていた。

 ずっと気づかないふりをしていたけれど、多分私はミーネのことを憎んでいた。ニシにあんな無茶な行動を取らせたミーネを憎んでいた。自分のことを省みずに全てを政府の所為にしてキレているミーネを、憎んでいたんだ。

 けれど。

 ニシの死をこんなふうに冷静に捉えている自分が酷く虚しかった。例え自分勝手であろうと、ニシのために激怒しているミーネがうらやましかった。多分私もあんなふうに、恋人の死を悲しみ怒れるようになりたいのだろう。もしやーが死んだら、私はミーネのように我を失って激怒出来るのだろうか。

 それとも、冷静にその死を受け止めてしまうのだろうか。


 翌日、やーは私の住処に来なかった。

 その翌日、ミーネ達が作戦を開始したことを知った。

 その翌日、やーがその作戦に参加していたことを知った。

 そしてその翌日、作戦が失敗して全員が死んだことを知った。ミーネも、そして、やーも。


 悲しみはなかった。けれどどうしようもない虚しさが、私の住処と心を満たしていた。きっと冬の寒さの所為で少しセンチメンタルな気分になっているだけで、別にミーネとかやーとかたくさんの友達が死んだこととは関係ないんだと思うけれど、それでも虚しいのは虚しいし、寂しいのは寂しいし、悲しいのは悲しかった。これだからは冬は嫌いなんだ、と私はぽつり呟いた。

 ハッカは私の背中をさすって、

「無理すんなよ。泣きたかったらいっぱい泣けよ。」

 と慰めてくれたけれど、別に私は冬だからセンチメンタルなだけであって、別に泣くようなことなんて何もなかった。ただ、救いようのないバカがそのまま救われずに死んでいっただけだ。

 私は一人でベッドに寝転がった。

 私は一人でメープルティーを飲んだ。

 私は一人で天井の日々を眺めた。

 私は一人だった。

 やーがこの部屋にもう二度と帰ってこれなくなってから五日が経って、私は気づいた。ミーネも、やーも、この街から出て行こうとしたみんなは、実際のところ死にたかっただけなんだ、と。終わりの見えない、そして終わりしか見えないこの街での暮らしから逃げるには、きっと自ら行動を起こして死ぬしかなかったんだ。

 だけど、それなら。何でやーは私の目の前で死んでくれなかったんだ。わざわざあんな作戦に参加しなくたって、私に一言「殺して」と言ってくれれば殺してあげたのに。そういうことじゃないっていうのは分かっていたけれど、そう考えずにはいられなかった。

 ああ、ああ。もう嘘を吐くのは限界だ。自分に嘘を吐くのは。私はどうしようもなくやーがいなくなって寂しいし、ミーネがいなくなって悲しいし、バカどもの後を追って死にたかった。けれどそうするには私はあまりに冷静すぎた。死んだってどうにもならないことを私は知っていたし、そんなことをやーが望んでいるわけもないって理解していた。

 私はきっとこの悲しみを、この寂しさを背負って、この街の汚染に蝕まれて死ぬまで生き続けるしかないんだろう。死にたい、なんて時々思いながらも漫然と日々を生き延びて、誰かとセックスして子供を作って、その子供たちの世代にバカたちのことを語り継ぐんだろう。語りながら、少し涙を流すのだろう。癒えない悲しみに、拭えない寂しさに、小さな嗚咽を漏らすのだろう。


 けれど、一ヶ月も経つ頃には私は結構平気だった。やーも、ミーネも、ニシも、みんな過去だった。過去の大切な人で、過去の失いたくない人で、みんなともう二度と会えない悲しみも過去だった。きっと、人間というのはそういう生き物なんだ、と思った。たくさんのことを忘れて、たくさんのことを過去の記憶にしてしまって、強かに生きて行く。そういう生き物なんだろう。

 時計塔は相変わらず煙を吐き出しながら時を刻んでいた。この街の人は相変わらず一人、二人と汚染にやられて死んでいった。

 そして、私は相変わらず生きていた。

青春の痛みに捧ぐ。




長編用のプロトタイプです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 具体的にどこがいいとはうまく言えませんが、雰囲気が好きです。切迫感に追われている世界のはずなのに、私(ニーナ)はそこから距離を置いているような、世界に置いていかれているような。時間が解決する…
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