プロローグ 2
1913年・・・ 世界はかつて遭遇したことの無い大きな事件がきっかけで大きく変貌した。
地下資源の採掘中に偶然発見された『遺跡』の存在。それまでに発見された古代文明の遺跡と大きく異なる点、それは現代の科学を明らかに超越したありとあらゆる科学技術が凝縮されていた物であった。
列強各国はこの発掘調査に乗り出し、その翌年には発掘競争が激化しついに人類史上初の世界大戦(第一次世界大戦)へと発展する。軍事力同様に『遺跡』の所有こそが国の優劣を決めたのである。
しかし、『遺跡』を所有するも、当時の世界では超越した科学技術を理解する事もできず、列強各国は『遺跡』の科学技術を理解する為の莫大な時間とコストを費やすのみで『遺跡』発掘という熱病に犯された列強は世界大恐慌もあり途絶えていった。
その中で『遺跡』発掘と研究を継続した国が存在していた。日独である。日独は無資源国であり、『遺跡』の新エネルギー解析に国運を賭けていたのだ。ドイツは第一次世界大戦の敗北後も戦勝国の監視を搔い潜り、独自の解析を急いでいた。
欧米の『遺跡』への無関心が手助けをし、日本が1920年に満州の長春にて発見された『遺跡』に対しては欧米列強も『遺跡』に対しては冷めており何の干渉も受けなかった。これが日独にとって好都合であった。
1930年、日本はついに『遺跡』の研究成果第一号ともいえる核エネルギーの開発に成功した。鉱山から採掘したウランの他に、海水の中から微量の海水ウランを抽出する事により、石油に代わり日本の産業を支える新エネルギー源になったのである。この時代の科学水準の関係でウランからエネルギーに変える原子炉の安全小型化や海水ウラン抽出のリスクの問題には未だ多くの課題が残るが、広大な土地に構える重工業の世界に於いてはその様な制約は必要なかった。アメリカ、イギリスはこの新エネルギーに目をつけ日本に干渉するが、日本はそれを逆手に取り、技術の提供と引き換えに東アジアの不干渉を持ちかけることとなる。未知の新エネルギーを手にした日本でもこれは大きな賭けであった。しかし、1932年日本は見事米英から東アジアの不干渉と満州国の容認を獲得した。
一方、欧州ではナチスドイツの台頭により欧州事情は険悪なものとなる。日本と同様に新エネルギーの発見、開発に着手した独逸第三帝国は1938年、周辺諸国であるポーランド、オーストリア、フランス等を破竹の勢いで侵攻。欧州の大半を席巻した。ほぼ欧州大陸の中央に位置し、半内陸国である地理的条件から、重厚長大な潜水艦や重爆撃機の開発が急ピッチに行われていた。従来の石油に比べ新エネルギー開発の影響は陸海空の様々な兵器の活動時間を延長することが出来、戦火を急速に広げていったのだ。
1940年、スペイン、オランダ、ベルギーはフランスを制圧した第三帝国侵攻の恐怖から和平条約を持ちかける事となる。欧州各地でナチスを容認し、ナチス賛礼がある条件下に於いてはこの和平は第三帝国の事実上の降伏宣言ともいえる。石油等の資源に困窮する事を知らない第三帝国は圧倒的戦力を見せつけついに欧州全土を席巻した。こうして欧州を平定した第三帝国が目を付けた次なる目標はソ連が陣取る広大なユーラシア大陸である。欧州の歴史において苦い経験のあるモスクワ進行は第三帝国の情報宣伝を用いてソ連軍の士気を低下させモスクワ制圧を容易にさせた。第三帝国勢力圏内の市民や農民の裕福な生活を見せ付けられたソ連の庶民たちは次第に第二の革命を各地で引き起こし、ソ連の事実上の解体へと繋がっていった。
第三帝国情報宣伝部と呼ばれる刺客たちはナチス版コミンテルンを彷彿とさせた。一足早く新エネルギーの実用化に成功した第三帝国は新エネルギーを持ったライバルである日本並びに満州国を仮想敵国としたのだ。日独情勢は緊張状態となり、日本の米英との連携を牽制した。欧州で未だ第三帝国に反抗する英国と反独政策に踏み切った米国は日本に対し、対独宣戦布告を持ちかけていた。これは、日独を直接対決させ、日本の弱体化を狙う米英の下心も見え隠れしていた。第三帝国に比べ国力が十分の一である日本にとってはこれは死刑宣告と同様の意味を持っていたのだ。