31話
(……さて、どうするか)
授業の内容は右耳から左耳へ抜けていく。
黒板の文字を眺めながら、俺の頭の中はそればかりだった。
百合先輩と別れて、そのまま教室に戻った。
――でも、百合の周りには相変わらず松田たちがいて、声をかける隙がない。
授業の合間の休み時間じゃ、ちょっと話すだけじゃ足りない。
ちゃんと腹を割って話すなら、時間が要る。
放課後は放課後で、千亜希が来る。
来たら最後、連行されて終わりだ。
――だからって、百合が一人になるのを待って、都合のいいタイミングが来るのを待つ。
そんな甘い考えしてる場合じゃない。
今日、ちゃんと話をしたい。だから――
放課後。千亜希が来る前に、百合を教室から連れ出すしかない。
でも、今の百合に普通に声をかけても、陽キャモードの仮面で――
『はあ? なに。あんたみたいな陰キャと喋ってる暇ないんだけど……』
みたいに、軽くあしらわれて終わる未来しか見えない。
だから、あえて逆手に取る。
百合のことだ。松田たちが見てる手前、その仮面を今さら外せるはずがないから話に乗ってくるしかない。
そうすれば嫌でも二人きりになる状況を作れる。
放課後を告げるチャイムが教室に響き、担任が教室を出ていく。
その瞬間、俺は席を蹴るように立ち上がった。
一直線に、百合の席へ向かう。
やっぱり人気者は違う。チャイムが鳴って数秒なのに、百合の周りにはもう陽キャ女子たちが寄っていこうとしていた。
――だが、そんな暇は与えない。
俺はその輪に割って入るように前へ出て、座っている百合の前に立つ。
百合は驚いたように顔を上げて――すぐ、気まずそうに視線を逸らした。
……一拍。
俺は腹を決める。
「すいませんでしたああああっ!!!」
勢いのまま、その場で土下座した。
「は、えっ……ちょっ……!」
百合の声が上ずる。
同時に、周りの陽キャ女子たち含め――教室中の視線がこっちを向いた。
「大切な妹さん――千亜希さんに手ぇ出して、申し訳ございません!!」
「え、なっ……何言って……!?」
「……言われた通りの物、持ってきました……だからっ! だからっ!!」
俺はわざとらしく切羽詰まった声で畳みかける。
教室の空気が、さらに固まったのが分かった。
百合が一瞬、言葉を失う。
――そのあと、周りの視線を意識したみたいに、表情を陽キャモードに戻した。
「……へ、へぇ〜? そ。なら、ここじゃなんだし」
百合は笑ってみせる。声が、ほんの少しだけ震えてるのに。
「……別のとこ、行こっか」
周りを一瞥してから、立ち上がる。
俺も、ようやく土下座から立ち上がった。
わざとらしく、震えるふりをしながら。
そして俺たちは、揃って教室を出た。
廊下にいた生徒たちが「え、なに?」って顔でこっちを見る。
――その中に、千亜希がいた。少しだけ、驚いた顔。
けど構っていられない。
千亜希に捕まる前に、俺は百合の袖を引いて――踊り場へ逃げ込んだ。
――階段を上る。
一段、また一段。
背中に残ってた教室のざわめきが、少しずつ遠ざかっていく。
屋上へ続く鉄の扉の前まで来たところで、ようやく足を止めた。
下の階から放課後の騒がしさはまだ聞こえる。でも、この踊り場まで来れば――
やっと、二人で話せる。
足を止めた俺は、百合と真正面から向き合った。
百合は勢いよく振り返って――俺の顔を睨む。
……いや、睨んでるつもりだ。
目が定まらない。視線が俺の目から一瞬で逸れて、頬がかっと赤くなる。
耳まで真っ赤に染まっているのに、それでも強がって声だけは尖らせる。
「……何言ってんのよ、和泉くんっ!」
言い終わるより先に、百合は目をぎゅっとつぶって――
ぽかっ。
腹を小突いてきた。全然痛くない。
むしろ、震えが伝わってくる。
「こうでもしないと、二人で話せないだろ」
「……もっと他に、やり方あるでしょ……あれじゃ、みんなに変な――」
そこで百合は言葉を飲み込んだ。
顔が赤い。怒ってるのに、視線が定まらない。
「……誤解されるじゃない」
百合は恥ずかしさと呆れをごちゃまぜにして肩を落とした。
文句のはずなのに、声が小さく震えていた。
「普通に話しかけたら、相手にしてくれたか?」
「…………」
百合は返さない。
代わりに、視線を足元に落とした。
「……確かに、強引だった。ごめん」
俺は一度だけ息を吸って、続ける。
「でも俺、百合と話がしたかった」
「……話ってなに。告白のこと?」
百合が、びくっと肩を揺らす。
それから、わざと軽く言うみたいに口を動かした。
「それなら、もういいよ。だって――」
百合は潤んだ瞳で俺を見て、言い切る。
「千亜希と付き合ってるんでしょ……?」
苦しそうだった。
声が、喉の奥で引っかかってる。
「……付き合ってないって言ったら、信じてくれるか?」
「…………」
百合はまた一度、下を向いた。
そして、ぎゅっと唇を噛んでから、こちらを見る。
「信じるかどうかは……分かんない」
震える声で、必死に言葉を並べる。
「でも……私が告白したとき、和泉くん、すごく困ってたし。千亜希と……あんなに親しそうだったし。デートするって言ってたし……だから、そうなのかなって……」
そこで、百合の呼吸が一瞬止まった。
「それに――」
声が、さらに小さくなる。
「……ライン、消されちゃったから……」
「それは……悪かった」
俺は菜月を見て、バサッと頭を下げた。
「ラインの件、俺じゃない。千亜希だ」
「…………」
「アイツが……面白そうだからって、勝手に俺の“彼女の真似”して。ついでに、お前とのトークも消した」
「…………」
百合は何も言わない。
でも、目だけが揺れている。
「だから――俺と千亜希は付き合ってない。これは本当だ。信じてくれ」
「…………」
言い訳に聞こえるのが怖くて、俺は一度だけ息を吸った。
「……でも。本当に俺が話したかったのは」
喉まで出てきてるのに、言葉が形にならない。恥ずかしさで、口の中が乾く。
――それでも、言うしかない。
百合があのとき言ったのに、俺がいつまでも言えないのは、ダサすぎる。
「……告白の返事のことなんだ」
口にした瞬間、心臓が跳ねた。
「あのときは、びっくりして。頭、真っ白になって……何て言えばいいのか分かんなくて」
今だって、同じだ。
恥ずかしくて、また頭が白くなっていく。
でも、この一週間――ずっと百合のことばっか考えてた。
後悔も、情けなさも、ぐちゃぐちゃに混ざって。
それでも一個だけ、分かったことがある。
「……俺さ」
声が、少し震えた。
「お前との関係が……壊れるのが嫌だった」
目を逸らしたら負けな気がして、必死に百合を見る。
「あのまま、変な誤解のまま疎遠になるのが嫌だった」
もう一度。ちょっとした話をしながら、並んで歩きたかった。
それが“好き”って言葉で合ってるのかは、正直まだ分からない。
でも――
「……でも、俺は」
身体中が熱くなる。
肩で息をし始めるくらい、怖い。
それでも、逃げない。
「付き合うかどうか――返事をするなら、俺は……」
言い切る前に。
百合の肩から、ふっと力が抜けた。
「――っ」
倒れる、というより崩れる。
俺は咄嗟に腕を回して受け止めた。
「百合!?」
細い肩が腕の中でぐらりと揺れる。
呼吸は浅くて、まつ毛が震えて――目が、開かない。
そして。
体温が、やけに熱い。
(……熱?)
首筋に手の甲を当てる。
じわっと汗ばんでいて、指先がぬるかった。




