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1話


「それじゃ、トシくん。今日はありがとね、またね」

 

夜の改札。人波に紛れながら、彼女の手だけがこちらに向かってひらひらと残った。指先が見えなくなるまで、俺はその場に立っていた。

 


(ふぅ……疲れた)

 

バイトを始めて一ヶ月──手は覚えたが、心はまだ慣れない。改札の蛍光灯が目の奥に刺さる。

 

きっかけは、たまたまスマホの広告で見かけたレンタル彼氏の求人募集。時給が凄く良くて、気づいたらこの求人先に連絡をしていた。


父さんが早くに死んで、家は母さんと妹・弟の三人を支えるために必死に働いてくれてる。


でも俺が少しでも稼げば、母さんの肩が少しでも軽くなるだろう──そんな単純な理屈が、電話を押させた。


前のバイトも悪くはなかったが、時給の差が一目瞭然だった。


 ――俺、和泉敏之(いずみとしゆき)。そんな理由で、ちょっと変わったバイトをしている高校2年生だ。


(あぁ〜、さっさと帰ろ。遅くなったら母さん、心配するし)


 夜風に当たりながら、思わず溜め息が漏れた。


「……明日から学校かぁ。はあ……、ただでさえ疲れてんのに」

 

――翌朝。


体育館に全校生徒が集められ、蒸し暑さとざわめきが渦を巻いていた。開け放たれた窓から夏の風が吹き込み、むしろ暑さをかき回してくる。


(……暑っつい)


壇上では校長先生のありがたいお話が続いている。けど正直、誰の耳にも入っていない。


(……長い)


「――続きまして、生徒会長からのお言葉です」


(……ん?)


その一言で、体育館の空気がすっと変わった。壇上に上がったのは、黒髪の少女。


「皆さん、夏休みはいかがお過ごしでしたか?  私は妹たちとちょこちょこお出かけして、のんびり楽しく過ごしました。

……皆さんも元気に過ごせましたか? 体調は大丈夫でしょうか?」


柔らかな声が広がって、さっきまでのだるさが少しだけ薄れる。

 

「やっぱ百合(ひゃくあ)先輩、可愛いよなあ……」


「だよな……それで性格も良くて頭もいい。非の打ち所がねえ」


近くにいた友人、村田と吉村が感心したようにひそひそ言い合っている。


容姿端麗、品行方正、成績優秀。


それでいて誰にでも分け隔てなく接する、人当たりの良さまである。


――百合遥香(ひゃくあはるか)


学校一の美少女と呼ばれるのも、まあ当然だ。


「しかも、おっぱいもデカい」


「反則だよな……あれは」


「な? お前もそう思うよな、敏之」


村田が肘でつついてくる。


「ん、あぁ……そうだな」


「反応薄っ。……はっ、まさかお前、反巨乳勢力か!?」


「いや、そういうわけじゃない。デカすぎると、ちょっと萎えないか?」


「んなわけねーだろ!! デカければデカいほど正義だ、ロマンだ!」


「……俺は“小さすぎず大きすぎず”、手に収まるくらいがベストだと思う」


「予想以上にスケベニストだったわ」


(……始業式の体育館で何を語ってんだ、俺たち)


そのとき、視線を感じて顔を上げた。


列の前のほう――金髪の少女と目が合う。

尖った瞳が、針みたいにこっちを刺してきた。


(……ちょ、めちゃくちゃ睨まれてるんですけど!?)


「どうした? 敏之」


「……いや。百合がこっち見てた」


「あー、うちのクラスの方の百合ね。聞かれてたんじゃね?」


「……わかんね」


「陽キャに目ぇつけられたな、俺ら」


「終わった……ボコられる……?」


「落ち着け。あいつらが俺らに興味あるわけないだろ」


――百合菜月(ひゃくあなつき)


生徒会長・百合遥香の妹で、うちのクラスの中心にいる陽キャグループの一人。


成績優秀で清楚な姉とは対照的に、派手な見た目とノリの良さで知られるギャル。


俺たちとは縁のない、クラスのカースト上位。


「百合先輩の妹だけあって、顔はいいんだけどなぁ……」


「出来のいい姉がいる反動でグレた、とか?」


「かもな」


村田と吉村が、またひそひそ盛り上がっていた。

 

「……てかさ、敏之」


「ん?」


吉村が身を寄せてくる。


「今日、学校午前中までだろ? 放課後、どっか遊び行かね?」


「あ〜……」


「お前、夏休み中もことあるごとに断ってきたし。今日こそ行こうぜ」


夏休み中は稼ぎ時で、ほぼバイト漬けだった。

そのせいで、こいつらの誘いは散々断ってきたんだよな。


……ちょっとこいつらに悪いことしたかもしれない。

今日は予定もないし――まあ、たまには付き合ってやるか。


「……OK。行くか」


「ま!? しゃ! じゃゲーセン行って、ボウリングして、次郎キメて、〆に焼肉!完璧っしょアハハハハ!」


「そこまでは行かねえ!」


俺は即ツッコんだ。

 

 

 ◇◇◇◇


放課後の昇降口。


帰り支度をする生徒たちのざわめきが響いていた。

夏休み気分がまだ抜け切れていないのか、あちこちの声がどこか浮ついている。


「ほら、行くぞ和泉」


「敏之、はやくしろよ〜」


……ここにも、抜け切れてないバカが二匹。


「お前らが早すぎるだけだろ……」


小さくぼやきながら、自分の下駄箱を開ける。


(……ん? なんだこれ)


靴の上に、一枚の封筒が置かれていた。

淡い色に、小さな飾り模様。どう見ても――


(──ラブレターだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!)


俺は二人にバレてないことを確認して、そっと封筒を掴む。


(いや待て待て待て。落ち着け。こんな古典的なこと、今どきあるわけない。罠だ。ピュアな男子高校生の心を弄ぶための罠だ)


……そう思いながらも、気づけば封を切っていた。


『今日の放課後、屋上であなたに大切なお話があります。百合より』


(なにぃぃぃぃぃぃぃっ!!!?)


声が出そうになるのを必死にこらえる。


これは――どう見てもラブレターだ。どっから見てもラブレターだ。


(ついに俺にも春が来た。春はとっくに過ぎたが、春が来た! 地味で終わりそうだった高校生活に、恋という眩い青春の光が差し込んだ……!)


……と、浮かれた脳みそが走り出したところで。


俺の視線が、手紙の最後に吸い寄せられる。

そこにあったのは、煩悩まみれの頭を一発で冷やす四文字だった。


『――百合より』


「…………」

 


(……そういえば俺、今朝の始業式で“百合”に睨まれたよな)

 

(……放課後)

 

(……屋上)


「……っ!?」


頭の中で単語を並べた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


『あんたさぁ。始業式で私のことバカにしたでしょ?』


『……死になさい』


(……殺害予告だあああああ!!!)


 脳内に浮かんだのは、百合がニヤニヤ見てる横で、俺が陽キャどもに袋叩きにされてる光景だった。

 

 やばいやばい、どうしよう。


……いや、屋上に行かなきゃいいだけだ。そうだろ。大丈夫。


――大丈夫じゃねえ。行かなかったら行かなかったで、次の日殺されるだけだ。


なんで俺だけなんだよ……。村田も吉村も言ってただろ……。


俺だけピンポイントで処されるのおかしくない?


あぁ……どうしよう。


……お願いだから、なんかの間違いで「百合」って百合先輩のほうだったりしないか――


「……ッ!?」

 

(ワンチャン……その可能性もあるのかああああぁ!?)


今度は脳内スクリーンが一転する。

浮かんだのは、爽やかな笑みを浮かべる学校一の美少女――生徒会長・百合遥香先輩。


屋上で――


『ずっと前から好きでした』


そんな告白シーンが、勝手にフル再生されてしまった。


こんな紙一枚で、天国にも地獄にもなり得るとか……怖すぎるだろ。


──屋上に行くか?


……いや、冷静に考えろ。俺は百合先輩と、微塵も接点がない。


ってことは――やっぱり、手紙の「百合」は妹のほうだ。


だとしたら、屋上は罠。行ったら死ぬ。


……でも。


もし万が一、姉の方だったら?

屋上で待ってるのに、俺が無視するってことになる。そんなの、人生で一番もったいない。


クソ。どうする。どうしたらいい――。

 

(……男には、たとえそこが死地でも進まなきゃいけないときがある)


「敏之、いつまで突っ立ってるんだよ」


「――した」


「……? なんだって?」


「忘れ物した!!!」


「……お、おう」


「取りに戻るから先行っててくれ!!」


 そう言い残すと、俺は心臓をバクバクさせながら屋上へ向かった。


 ◇◇◇◇


階段を登り切ると、屋上へ続く鉄の扉が目の前にあった。


(そもそも開いてるのか……?)


屋上って、何かあるといけないからって普段は鍵かかってるイメージだ。

やっぱあの手紙、誰かのイタズラかもしれない。


そんな考えがよぎったけど、ものは試しだ。

手を伸ばして、ゆっくり取っ手を回す。


ガチャ。


(……開くんかい)


呆気なく回った取っ手のまま、扉は重たい音を立てて開いた。


屋上に出た瞬間、熱気を含んだ風が吹き抜ける。

季節は進んでるはずなのに、空気だけはまだ夏の続きみたいだった。


目に飛び込んできたのは、校舎の向こうまで広がる空と街の景色。


そして、その手前――フェンス際に、ひとりの女の子が立っていた。

 


腰まで伸びた黒髪。


ぱっちりとした瞳。


俺より一回り低い、小柄な体つき。


――そして、俺の好みから大きく下回る胸のサイズ。


目が合った瞬間、彼女はぷくっと頬を膨らませ、唇を尖らせた。


「やっと来ました。遅すぎです」


……可愛らしい女の子だった。

 

 でも――百合先輩でも、百合でもなかった。

 胸の奥に、残念感と安心感が同時に押し寄せる。


……にしても誰だこいつ。見たことねぇ顔だぞ。


 一年か? よりによって百合先輩の名前を騙ってラブレターなんて送りつけてくるとか、いい度胸してんな。


「お前、誰だよって顔してますね」


「いや、そのまんまだけど。てか、あのラブレターお前が置いたのか?」


「はい」


「……はあ。あのな、人の名前勝手に使ってイタズラはやめろよ。騙された俺はまだしも、百合先輩に失礼だろ」


「別にイタズラじゃないですよ〜」


「は?」


「私も“百合”なので」


「……え?」


「3年で生徒会長をやってる学校1の美少女と呼ばれる、百合遥香。先輩のクラスメイトでギャルの百合菜月。 その2人は、私の姉です」


「…………」


「そして、私の名前は――百合千亜希(ひゃくあちあき)。1年生です」


 まあ、確かによく見ると、あの二人の面影がこの子にもある。


「まさか三姉妹とは……しかも一年にいるなんて聞いたことなかった」


「私は、目立ちたがり屋の姉たちと違うので」


「そ、そうなのか……」


「話が逸れましたね。本題に入ります」


「……お、おう」


本題。


つまり、あの手紙の続きってことだ。


……いや待て。冷静になれ。


相手は可愛い後輩。屋上。呼び出し。ラブレター風の封筒。


これ、どう考えてもそういうイベントじゃね?


やべぇ。今さら心臓がうるさい。


彼女はまっすぐ俺を見据えて、ひとつ息を吐く。


そして、静かに口を開いた。


「……先輩。私の姉さんたち、寝取ってください」

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