17:中身のない娘たちへ(空蝉)
スワロは、蝉の羽化を一回だけみたことがあります。
透明な蝉がぬるりと古い皮を脱ぎ捨てて、白い体を表します。
そのとき、ふと、隣で見ていた蝶々の声が聞こえました。いえ、蝶々でなくて、あれは、蝶の姿をしたアシスタントでした。
彼女はスワロと違ってとてもうつくしいです。
そして、どうしてでしょう。
スワロ、その時の彼女の言葉が忘れられません。
*
真夏のシャロウグ管区は、都会特有の暑さもあって、すごく高温です。
「あっちーなぁ」
流石のご主人もジャケットの上を脱いで肩にかけていますが、ヘロヘロしています。
お仕事の帰り道。帰還はお昼でしたが、管理局の建物に寄ったので、街中を歩くのです。
「こんな鉄板の上みたいなとこ、歩いてられっか。涼しいとこ寄るぞ」
真夏の街はすごく暑いので、スワロとご主人は木陰を求めて、緑地公園にやってきました。
この近未来的な街中には、緑地公園はたくさんあります。緑を植えた方が人々の精神に良いらしいですからね。
確かに、高層住宅がみっしり並んでいる様子を見ると、それもそうかなと思います。
でも緑地みたいな影の多い公園は、好ましいことだけでもないらしく、ご主人によるとフェンスを越えてきた汚泥が貯まったり、囚人が潜んだりしてたいへんだったりもするらしいですよ。巡回はちゃんとされているようですし、ご主人も排除に駆り出されたことがあるっていってました。
そもそも、安全に住めるところは、そこまで多くはないんです。
フェンスに近い所は、囚人と鉢合わせする可能性はゼロでなくて、ご主人が住んでいる廃墟街みたいな場所は存在します。
人々が密集しちゃうのも、仕方がないのかもしれませんねえ。
ご主人と木陰のベンチで一休みです。他に人はいないようです。暑いから家の中に引きこもっているのかな。
「ああ、くそ暑いなー」
ご主人は暑がりです。
寒いのは耐えられるけど暑いのは耐えられないらしいですね。
流石にかわいそうなので、スワロは、ご主人の手持ちの扇子をあおいであげています。
扇子には金魚の絵があって、涼しげです。龍とかの絵でなくて平和。これくらいのセンスでいて欲しいものですよね。
「まったく、オーバーヒート予防の冷却装置をつけてくれればいいのにな。そういうのはないんだよなー。不凍の対策はされてんのに」
と、ご主人はブツブツ言います。
ご主人、時々、自分のことも機械みたいな言い方をします。
スワロはご主人と接続して、神経関連の管理もすることもありますから、少しは知っていますけれど、ご主人は普通のひとどころか、普通の獄卒のひととも違いそうで、何かしらの改造はあるのです。
けれど、スワロにも謎なところは多いです。
その理由、スワロはまだ聞いていませんし、なかなか聞けないところです。
「俺のことあおいでくれんのは、ありがてえけど、お前もあんまりやると熱暴走するぞ」
だいじょーぶです!
スワロは暑がりですが、耐熱用の装備をしています。そんなに簡単に熱暴走しませんよ。まあ、あまりに暑いところで、長時間活動するとオーバーヒートの危険がありますけれどもね。
「ああ、もうダメだ、スワロ。扇子じゃ足りねえ。俺は氷かアイスクリームかなんか買って来るぞ」
甘いもの苦手なご主人ですが、今日は暑さに負けたみたいです。
「コンビニ行ってくるから、そこで待ってな」
スワロが買ってきましょうか?
「んー、いいぞ。お前も表面熱くなってるし、涼んでな」
確かにそうですね。ご主人の肩に乗ったらご主人が余計温まっちゃう。
ご主人がいうなら、ここで待ちますか。
でも、ご主人を待つ間、表面を冷やすといってもちょっと暇。スワロはゆるやかに周りを散策してみることにしました。
この緑地公園は、気温が周りより低いですから、夏でもいきものの気配がたくさんです。
特にセミがいっぱいいます。
ミンミン、ジージー鳴いたりしています。
スワロはいわゆるセミファイナルは苦手ですが(怖いし、落ちているセミは念入りに遠巻きに確認します)、鳴いているセミは夏っぽくて、情緒はあるので、嫌いではないです。
ただ、近代的なシャロゥグでは、そこまでセミに触れる機会はないので、じっくり見てしまいます。
ちょうど、スワロの目の前の木に、茶色の半透明のものがありました。
これは、セミの抜け殻かな?
セミの抜け殻は、とっても虫ってわかる形状をしているのに、不思議ととても綺麗です。
中身がないのに、外側だけ元のまま残されています。
セミが地上に出てきてからながいきできないのもあってか、とても儚い感じがします。
中身がないのかあ。
その時、不意にカナカナという切なげな声が響きました。夕暮れに近づく時間、ひぐらしの声が聞こえます。
なんとなく物悲しい気持ちになります。
その時に、ふと、スワロ、昔のことを思い出しました。
あれは、確か森での戦闘のあとでした。
ご主人を待ちながら、枝で休んでいると、セミの幼虫を見つけたのです。
そのセミはまさに、羽化の途中でした。
見ていると、透明な白い体がぬるりと茶色の体から出てきました。なんだか神々しいくらい綺麗です。
『私たちと同じね。古い体を脱ぎ捨てて、別のものになっていく』
そういったのは、ともに戦っていた獄卒のアシスタントの蝶でした。
蝶々の姿のビーティアさんは、確か昔は本当に人間だったって噂、聞いたことがあります。妻が亡くなってしまって、蝶の姿で人格が残って、そのまま夫とともにいる。
ご主人がそういってました。どうしてその姿なのかはわかりません。
けれど、その言葉が残ります。
ビーティアさんは、この蝉みたいに……、蛹から蝶になるみたいに、元の体を捨ててきてしまったのかな、と思いました。
一方、スワロは、どうなのでしょう。
スワロも同じなのかな。それとも、蝉が抜け出た殻がスワロで、抜け出た何かは別のきれいなものになったのかな。
どうしてでしょう。
スワロは、その時にそう思ったことを、今、まざまざと思い出しています。
これはメモリに刻まれているようで、思い出したいわけではないのに、再生がされてしまいます。
と、その時。
「おやおや、おチビさん、キミ、抜け殻に興味があるのかな? 綺麗だよね」
と、ふいに声が聞こえました。
と同時に、赤くて長いおさかなのしっぽが、スワロの視界をかすめます。
機械仕掛けの金魚が空を飛んでいます。彼女は、アシスタント仲間のマルベリーさんです。
ということは、声をかけてきたのはマスターのロクスリーさんなのでしょう。彼も獄卒の一人ですね。
ご主人とも旧知のかたですが、色褪せたような金色の髪をしたキザな男前ですが、外見以上に年上のひとにみえる不思議なひとです。美男子なのに、なぜか俗世から離れたような雰囲気もあります。
今日は、作務衣感のある服を着ています。ご主人よりは趣味は良いですが、ロクスリーさんもなかなか独特ですね。
とりあえず、お二人に挨拶をしますと、ロクスリーさんはにこりとします。
「今は散歩の途中なんだよ、スワロくん。もうすぐ夕方だから、暑いさなかにでてきたのさ」
そうなんですか。
「しかし、蝉の抜け殻って、実に綺麗だけど、物悲しいものがあるよねえ」
ロクスリーさんは、不意にそんなことを言い、青い瞳を細めます。
「ところで、キミのご主人、どこかに行ってるのかい?」
ご主人は、暑いので冷たいものを買いに行きました。
スワロの言葉は、ロクスリーさんとは直接やりとりできませんが、同じアシスタントのマルベリーさんを介しておしゃべりできます。
「おやおや、あの男、暑さに弱いからねえ。こんな可愛い子を一人で置いておくとは、過保護なくせに抜けているよね、カレ。結果的にわたしのナンパを許してしまっているじゃないか」
ロクスリーさんは、いつも通りキザです。前髪をさらっとかき分ける所作もきまっていますが、とてもナルシーです。
マルベリーさんが、時々、『ナルシストすぎてウザくて腹が立つ』って言ってましたが、うーん、確かにわからないでもない……かも?
「しかし、浮かない顔だね。……キミ、少し空蝉に当てられちゃったかい?」
ロクスリーさんに言いあてられて、スワロは彼を見上げます。ロクスリーさんの色褪せた金髪とは裏腹の青い瞳に、焦点があいます。
「蝉というのはね、透明で美しく抜け出た成虫も長く生きられるものではなく、一夏で命を燃やし、そして抜け殻は脆く力を入れると、バラバラに壊れてしまう。儚いものだ」
彼は言いました。
「それだけでも大概なのに、特に夕暮れを前にしたひぐらしの悲しげな声は、わたし達を儚い幽玄の世界に連れていってしまうものだよ」
ロクスリーさんはそうキザにいって、手のあたりにゆらゆらとマルベリーさんをまとわりつかせました。
「キミは、空蝉を見て自分も空っぽな機械なんじゃないかと思ったのではないかな?」
それをきいて、スワロ、なんでこんな気持ちになったのか、わかりました。
スワロたち、アシスタントは、作り物です。
システムが停止しても、ガワだけは丈夫で残ります。
そしてビーティアさんのように、そもそも、スワロたちにも何かモデルになった存在がいたのかも。
でも、その結果はさまざまです。
ビーティアさんはそれそのものが抜け殻を置いて出て、美しく変化できたのかもしれませんが、スワロは綺麗なものが出ていったあとの、ただの残骸のような気がしていました。
だって、スワロ、ビーティアさんみたいに、芯になるものが希薄です。作られた人工知能はまだおさなくて、できないことやわからないことだらけで、中身がない感じすらします。
きゅー、とスワロが鳴くと、ロクスリーさんは心得たとばかり笑います。
「アシスタントのキミたちは、もともと儚くて美しいものだったから、きっとそう感じてしまうんだよ。自分の中に何が足りない気がしてしまうのだね」
そうでしょうか。
「そうだよ。スワロくん、キミは、カレに大切に育てられているからねえ。感受性が強くなっている。……ふふ、でも心配はいらないよ。抜け出た美しい存在も、存在したことを示すような残された抜け殻も、きっと尊いものじゃないか。そしてマルベリーもキミも、初めはたとえ空虚なものだったとしても、いつまでもそうじゃないだろう? そんなふうに自分を感じられるのは、中身があるからだよ」
ロクスリーさんは、苦笑します。
「……寧ろ、私の方が、醜く老いさばらえて生き延びただけの、取り残された抜け殻のようなものさ。未来あるキミたちとはちがうよ」
ロクスリーさんは口元のひげを整えたあと、長い前髪をサラリとかき分けます。そんなキザな鬱陶しいような仕草に、なぜか少し救われそうです。
「まあ、そんなわたしも、ただの枯れたジジイのつもりはないけれどもね」
ロクスリーさんは、くすりとしました。
「まったく、カレはいけないひとだな。こんな可愛い子をひとりにしちゃあ。どこかにつれていからちゃうよ」
そういって、ロクスリーさんはスワロに何かを渡してくれます。
「さあて、いけないものに惑わされないよう、良いものをあげよう。これは提灯だよ。……マルベリーによく似ているでしょう」
それは金魚提灯ってやつでした。
丸くてかわいい、ちょっとぼんやりした金魚の提灯。中は空洞ですが、火をつける代わりに安全な豆電球が仕込んであります。これは特に小さいサイズ、スワロが持つにぴったりです。
「それはお守りだよ。暗いところでは、灯りは必要なものさ」
提灯の灯りがほんのりともります。
「じゃあ、スワロくん。公園とはいっても、あまりひとりで森に入り込んじゃいけないよ。特に夕暮れに近づくと、魔の気配が強くなる。……戻ってこられなくなるとたいへんだからね」
そういうと、ロクスリーさんは、ゆらゆらたゆたうマルベリーさんを伴って歩き出します。
スワロは慌ててお礼を言って見送ります。
どちらに行かれますか?
「この先でお祭りをしているんだよ。……この提灯がたくさん飾ってある。……キミのご主人を誘っておあげ。あの子、かわいいものがすきだから、きっと喜ぶよ」
ふわっとロクスリーさんは、そのまま、森の向こうにとけていくように去っていきます。
ご主人を「あの子」呼ばわりとは、流石にロクスリーさんですね。
もらった金魚提灯を手にして周りを見ると、いつのまにか、不思議なことに枝の蝉の抜け殻はなくなっていました。
ぜんぶ、夢だったみたい。
「おーい、スワロ。待たせたな。どこにいる?」
道の方から、ご主人の声が聞こえます。スワロは我に帰りました。
ご主人、こっちです!
間違うような道じゃなかったですが、スワロは、ねんのため、道に迷わないように、もらった金魚提灯を手にしてご主人の元に飛んで行きました。
スワロのおこづかい帳
残高:6,200円(+500円)
ロクスリーさん、実は「このロクスリーおじさんがいいこのキミにおこづかいをあげよう」と千円くれていました。遠慮しようかとおもっとんですが、ロクスリーさん曰く、自分はご主人の兄のようなものだから気にしないで良いってことでした。スワロは姪(甥?)を見てるような気持ちなんですって。
でも500円はお祭りで、金魚のついた光る腕輪(スワロは首にかけてもらいます)を買ったので貯金は500円です。だって、かわいい金魚提灯のたくさんたなびくお祭り、ついテンションあがってしまいますよ。
目標まで3,800円