6話
船の甲板では手すりの前でギガたち3人が立って海を見ながら話していた。
「リナリーさんはギガ様と幼馴染なんですね」
「そうなんです。他に生き残りはヘクトとシオンがいまして…」
「あ、自分にも敬語は不要ですよ」
「いや、デインさんの方が実力も年期も上ですし…」
「嫌です。自分は2人の従者みたいに振舞いたいです」
「ええ…」
「リナリーさん、敬語を辞めるのが嫌でしたらせめて語尾にフィッシュとかウオとかつけてください。それならいいウオ、これで誰が喋ってるか一目瞭然フィッシュ」
「ええと…ちょっとギガ来て」
リナリーはギガを連れて離れ、小声で話し始めた。
「大丈夫なのあの人?」
「腕は確かだよ」
「それは私も知ってるけど、そういうところじゃなくて…」
「ちょっと変わってるだけでいい人だから大丈夫」
「うーん、本当かなあ…」
リナリーがデインを見るといつの間にか他の客と仲良くなって話していた。
「自分も今週号見ました。蘇って敵に回った兄弟子の過去回想。『師匠、なぜ俺ではなくアイツが後継者なのですか!アイツは俺より弱いのに!』や『俺と戦え、俺が勝ったら後継者は俺だ!』とまあ過去編ですから結果は分かっているんですけどね」
「結果だけ見ればそうですが、あれで終わりじゃないと思いますよ」
「続きはまた島に戻った時のお楽しみですね」
デインは客と楽しそうに話していた。
「……」
「はは、確かに悪い人ではなさそうだけど…。どうしたの?」
「えっ、ああ、いや、なんでもない。ちょっと酔っただけ」
「本当に?」
「ああ、そっとしてくれ」
「酔ったなら遠くを見るといいよ、ほら」
リナリーはギガの手を引いて海の方に向けた。青い空の下、光を受けてキラキラと白く輝く青い海、遠い陸地は青みがかって霞んで見えた。
リナリーは横に並んで眺め、無言で一歩近づいた。
デインは客と話を終えた後、後ろでギガたちを見守っていた。
3人は船を降りて待ち合わせの灯台下に歩いた。
「語尾の件、どうなりましたか?」
「分かったよ、普通に喋るわ」
「それはよかったです」
灯台の下には女が日傘をさして立っていた。ギガたちを見つけると傘を畳んだ。
「ようこそお越しくださいました、マスター・ギガ。8代目ギルドマスター」
「ああ、よろしく」
「私はアンナ、支部にご案内します」
ギガたちは宿屋奥のギルド支部諜報部へと案内され、魔物プラントの疑いがある地域周辺の地図を見ながら説明を受けた。
「よし。まだ明るいし、直近の場所にこれから行ってきて今夜はここの宿に泊まる」
「承知しました。行ってらっしゃいませ」
ギガたちは支部を出て地図を頼りに街から出て田舎道を進み、林へと入っていった。
明るい林を進んで行くと突如、女の叫び声が聞こえた。3人は草をかき分けながら声の方に走っていくと、そこには岩肌に生えた木にぶら下がる女と、その下で岩を爪でガリガリと引っ掻いている虎のような魔物がいた。岩肌はまるで砂のように容易くえぐり取られ、どんどん削られていた。
「魔物は僕とデインで引き受ける。リナリー、あの子を頼む」
「了解」
ギガは剣から火球を飛ばして魔物に当てて興味を引かせた。魔物は向きを変えて飛び掛かってきたところ、デインは地術で盾を拡張して受け止め、よろめいたところを前足を剣で斬り上げた。その直後に高速でもう一つの前足で横に引っ掻くが、斜めにした盾の表面を滑っていき、体を転倒させて背中を地面に打ち付けた。デインは盾を離して剣を両手で持って剣先から地術で岩を伸ばしつつ魔物の心臓を貫き、魔物は痙攣して動かなくなった
「あっ…」
女は捕まっていた木の枝が折れて落下した。直後、下から風が吹き上がって一瞬宙に浮いた。その下でリナリーはメイスを横に振って一回転し、風術で上向きの風を作っていた。そしてゆっくりと降りて来た女を抱きかかえて地面に降ろした。
「無事か?」
「こっちは大丈夫」
「良かった…」
ギガとデインはリナリーのもとへ走り寄った。
「あ、ありがとうございます…」
女は髪や服を軽く整え、頭を下げた。質の高そうな布地の服や鞄、健康的で綺麗な髪や肌、所作の美しさから令嬢らしい様子が伺えた。
「君は一体…?なぜこんな場所に?」
「私はレイネ。家出の途中で魔物に見つかってしまいました」
「ここは危険です。家に戻ってください」
「嫌です。絶対に帰りません!」
レイネは語気を強めて拒絶した。
「じゃあせめて街に入ってください。ここは魔物が出ます」
「この道は時々家から抜け出しているから知っています。この先に港町があるんですよね」
「そうです」
僕らが来た道を戻る方向か…。危険だから付き添いたいが戻ると調査が遅れる。何とかならないか。野宿用の迷彩ハウスを呼び出してその中で待っていてもらおうか。隠す魔術の施された魔道具だから極端に見つかりにくくなるが確実ではない。万が一、見つかって襲撃を受けた場合に脱出や応戦ができる仕掛けだが、訓練をしてないとその仕掛けは使えない。これじゃ駄目だな。どうしたものか。
「皆さんはどうしてこの林に入ってきたのですか?」
「ああ、僕たちは魔物退治ギルドの者です。魔物の発生源を潰しに来ました」
「そんなものあるのですか?」
「この近くの廃墟が怪しいと睨んでいて内部に」
「もしかして廃ホテルの?」
「知ってるのですか?」
魔物の登場によって客足が途絶えて廃業したホテルだ。そこは夜に女の幽霊の恨み声が聞こえてきて人が寄り付かないという噂だ。
「はい、たまに深夜に家を抜け出して来ていました」
「えっ、魔物に遭遇しませんでしたか?」
「いえ、少なくとも今まで10回くらいの間は一度も…」
「これはハズレじゃないの?」
「そうかもしれないが、一応この目で確認しておこう」
「そこに行くんですか?助けていただいたお礼に案内します」
街に送るべきでは?しかし一緒に行動するなら安全かも。ハズレっぽいし大丈夫だと思う。調査終わったら一緒に港町の方へ行くわけだし。
「…じゃあ、よろしくお願いします」
「はい!」
3人はレイネに案内されて廃墟へと歩いて行った。
「ここです」
ホテルの周囲は草に覆われ、建物には蔦が絡みつき、いたるところが泥やカビで黒ずんでいた。草は獣が多く通った跡はあるが、魔物か普通の獣か判断はできなかった。
扉が外れた出入口から中へ入ると、カビの臭いが鼻をついた。浸水して水溜りになっているところや
「こんなところに何をしに来ていたのです?」
「その…ストレス解消に…」
「と言うと?」
「恥ずかしいから言いたくありません」
レイネはぷいっと向こうを向いてしまった。
「じゃあせめて音や光など、目立つようなことをしたかどうかだけ教えてください」
「…大きな声や物を叩く音は出たと思います。光はランタンの明かりだけです」
「そうですか…」
それでも魔物が気づいて寄ってこなかったのか。本当に魔物がいなさそうだ。
廊下を歩き、最上階まで吹き抜けになっている階段の前に来た。
「ここでいいかな」
「そうね。じゃ、下がってて」
リナリーはペンダントからメイスを出し、前に突き出して光球を複数作り出し、風を起こして光球に浴びせた。風術と光術の合わせ技で、周囲の気を集めて光球が変化するかどうかを見て黒魔術の気配を探ることができる。
「おおー、綺麗ですね」
レイネは無邪気に拍手した。
しかし時間が経っても光球に変化は起きなかった。リナリーは術を解いてメイスをしまった。
「ここには無いみたい」
「ハズレか。じゃあ宿に帰ろう」
ギガたちは来た道を戻って受付前まで来たところでレイネ以外の3人は足を止めた。
「どうし…」
リナリーはレイネの口の前に手を出し、もう片方の手で人差し指を自身の口の前に当てて声を出さないように指示した。
「誰かいる」
ギガは小声で伝えた。
「4人程度ですね」
手鏡で反射させてみると若い男3人と老いた男が1人いた。
「あれはじいや。こんなところで会うなんて…」
「どうする?」
「絶対に帰りません」
「しかし家族がいるなら帰った方が…。僕はもう親に会えなくて、もっと一緒にいればと後悔が…」
「そんな風に思えるいい親ばかりではないのです。人と一口に言っても良い人もいれば悪い人もいる。親と一口に行ってもそれと同じことです」
「でももしかしたら悪い人じゃなくて…」
「自分の娘に自分の子を産ませようとする父なんていい人のはずがない!」
レイネは声を荒げて反論し、口に手を当ててつい大声を出してしまったことを後悔した。
老人たちはギガたちの隠れている曲がり角の方へと歩いてきた。
「ああ、お嬢様、心配しておりました。帰りましょう。旦那様が待っています」
「帰りません」
「そうおっしゃらずに」
「絶対に嫌!」
レイネは曲がり角から飛び出して道の真ん中に立ち、老人を睨みつけた。
「私の心配なんて嘘ばかり。自分の心配でしょう?私を差し出して自分の安全を確保する。じゃあ私だって同じことをするわ。私は逃げて自分の安全を確保する!」
「わがままを仰らないでください」
「わがまま?」
レイネは怒りが通り越して冷静に淡々と言葉を発した。
「みんな家庭に問題を抱えているのが普通で、わざわざ空気を悪くしたくないから人前では明るく振舞っているのだと思っていた。創作の中の幸せな家族像は話づくりに都合のいい架空のものだと思っていた。でも違った。友達の家族とのやり取りを見て、あの笑顔が演技じゃないと分かった時、私の常識が壊れた」
「……」
「私が父を拒絶すると、父は私に友達と親しくなることを禁じ、友達の家は変な噂が流れて引っ越しせざるを得なくなった。私があの家で生きているだけで皆が不幸になる。もう耐えられない!放っておいて!」
「はぁ…残念です。お嬢様…先ほど誰かとお話していらしたようですね」
「何のこと?」
「とぼけても無駄ですよ。この手は取りたくなかったのですが、優しいお嬢様なら彼らの命を救う選択をしてくれることでしょう」
レイネが横を向くと老人の連れの3人が廊下の向こう側から回り込んでいてギガたちに襲い掛かった。
「だめ!」
直後、連れの男たちは各々体術によって地面や壁に投げられて気を失った。
「なっ…」
老人は想定外の出来事に呆然と立ち尽くしていた。
「爺さん、悪いが彼女は僕たちが連れて行く。咬魔公ネザリンド・ネアルコスの名を覚えておくといい」
ギガたちはレイネを連れて立ちすくむ老人の横を抜けて外に出て林の中を港町へと向かって歩いた。
「ありがとうございます…。今日だけで2回も助けてもらって…」
「そういえばそうでしたね」
「咬魔公ネザ…なんとか、あなたは魔公爵?」
「違う違う。あれは僕たちの敵の一人でビャッキン地方にいる奴の名前で、意味ありげに言ってみただけです。僕は魔物退治ギルド、エルシュバエルのギルドマスター」
「ギルドマスター…えっ、じゃあ一番偉い人ですか?」
「うちは特殊だけどまあ名目上はそうなります。もし行く当てが無ければうちのギルドに来ませんか?本部は海の向こうの島にあるのですよ」
「いいのですか?私…戦闘はできませんし、料理なんかも召使がやっててしたことなくて…。せいぜい音楽や文学の教養と商売の計算くらいしか…」
「きっと役立ちますよ。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」