雪合戦中に消えた少女
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
近畿地方でも特に気候の温暖な泉州地域に位置するせいか、この堺県堺市の冬は他の地域に比べてあまり雪は降らないし、仮に降っても辺り一面白銀の雪景色なんて事には滅多にならないんだ。
ところが今年に限っては冬将軍が無闇に張り切ったのか、そこそこ積もる程の雪が降ってくれたんだよ。
流石にアスファルトで舗装された路面の雪は早々に溶けちゃったけど、神社の境内や公園みたいに土が露出している所なんかは雪が積もって真っ白になっていたんだ。
そしてそれは、僕こと黄金野桂馬が通う堺市立榎元東小学校の校庭も同じだったんだよ。
「あの校庭の雪を利用して、隣のクラスは体育の授業で雪合戦をやるみたいよ。私達も雪合戦をやってみたらどうかしら?」
自分の席へついてランドセルを置いた僕に笑いかけてきたのは、同じ班の小倉メグリちゃんだった。
メグリちゃんはクラスの誰からも好かれる美人の優等生だけど、僕達男子生徒の遊びにも普通に混ざってくる程の活発さも持ち合わせている子なんだ。
「雪合戦か、ソイツは面白え!こんな感じに纏まって降ってくれねえと、なかなか出来ねえからな。」
メグリちゃんの提案に一も二もなく賛成したのは、僕と同じ班の鰐淵君だった。
ゴリラにソックリな厳つい顔と、プロレスラーみたいな逞しい巨体。
そんな屈強な外見に違わず、勉強は苦手だけどスポーツとケンカなら誰にも負けない鰐淵君は、力自慢のガキ大将としてクラスで君臨しているんだ。
「おい、修久!お前も雪合戦に参加しろよな。」
「えっ、僕が?」
坊ちゃん刈りの黒髪を揺らしながら気の抜けたような声で返事をしたのは、僕や鰐淵君と同じ班にいる男子生徒の枚方修久だった。
この修久って奴は何とも地味で目立たない奴で、オマケに覇気もなくて鈍臭いから見ているとイライラしちゃうんだよな。
今だって、分厚い丸眼鏡の奥にある気弱そうな目を左右でユラユラと動かしているんだから。
どうせ、鰐淵君の誘いに乗ろうかどうかで迷っているんだろうけど。
「当ったり前だろ?お前以外に修久って名前の奴がいるのかよ?しっかりしろよな!そんなウジウジした態度を見せられたら、俺はもうムシャクシャすんだよ!」
そんな修久の煮え切らない態度に業を煮やしたのか、遂に鰐淵君が声を荒げちゃったんだ。
「ヒッ!わ、分かったよ…行くよ、鰐淵君…」
全く、修久ったら情けないなぁ。
あんな鰐淵君の怒鳴り声なんかに、大袈裟に震えちゃってさ。
そうして他のクラスメイト達と一緒に校庭へ出た僕達は、二チームに分かれて雪合戦をする事になったんだ。
「良いか、黄金野?修久とメグリちゃんのチームに負けるんじゃないぞ。俺様の足を引っ張るようなら、ギ~ッタギタのメ~ッタメタにしてやるからな!」
「分かってるよ、鰐淵君。僕は修久みたいなドジじゃないからさ。」
こうして修久をコケにしながら御追従笑いで応じたものの、本当は僕も雪合戦にはあんまり乗り気じゃなかったんだ。
クラスのマドンナであるメグリちゃんやガキ大将の鰐淵君に流される形で雪合戦に参加しちゃったけど、雪玉をぶつけられたら僕のブランド物の三つ揃いが濡れちゃうじゃない。
何しろ僕は社長令息だからね。
ビショビショの濡鼠になって帰宅しよう物なら、「僕ちゃん、これはどうしたザマスか?」ってママに問い質されちゃうよ。
だから運動神経抜群な鰐淵君と同じチームに入っていれば安心だと思ったんだけど、こうも口うるさく怒鳴られるのには参っちゃうなぁ。
とはいえグズグズ言っても仕方無い。
僕は七三に分けた頭を左右に振ると、気持ちを切り替える為に新品の革手袋を取り出したんだ。
この革手袋はパパのイタリア土産だから、安物とは付け心地が違うんだよ。
ところが僕の気分転換は、アッサリと不発に終わってしまったんだ。
「あっ、鰐淵君!」
「おっ、黄金野ったら良い物持ってんじゃん!お前の分まで張り切るから、雪合戦の間だけ俺達に貸してくれよ。」
何と鰐淵君ったら、僕の返事も聞かずに革手袋を引ったくってしまったんだ。
「ひどいよ、鰐淵君。それはパパのイタリア土産でまだ新しいのに…」
「何だよ、黄金野?そう固い事言うなって。そもそも俺達って、友達だろ?お前の物は俺の物、俺の物はお前の物。だから今は、俺の軍手を代わりに貸してやるよ。」
こんな百均の軍手なんか、パパのイタリア土産の代わりになるもんか。
こうなったら、僕が取れる手段は唯一つ。
荒っぽい鰐淵君に革手袋をメチャメチャにされる前に、相手チームをギブアップに追い込むまでだよ!
「行くぞ、修久!雪玉でも食らってろ!」
「わわわ…」
鈍くて気弱な修久なら、僕でも簡単に倒せるはず。
そこで雪玉をカチカチに固めて、修久目掛けて次々投げ付けてやったんだ。
「それっ!えいっ!」
ところが僕の投げ付けた固い雪玉は、メグリちゃんの雪玉に片っ端から落とされてしまったんだ。
流石は文武両道の優等生、動体視力も大した物だよ。
「枚方君、しっかり!今のうちに反撃よ!」
「よ…よ〜し!」
「うぶっ!?」
そしてメグリちゃんの巧みなアシストに支えられた修久は、事もあろうに僕の顔面に雪玉を命中させて来やがったんだ。
「やるじゃない、枚方君!その調子で鰐淵君にも挑戦よ!」
「ち、違うよ…メグリちゃんが上手にサポートしてくれからだよ。」
オマケに修久ったら、メグリちゃんに褒められてデレデレしやがって。
修久の癖に、生意気だぞ!
「ガッハハ、黄金野ったらだらしねぇ!どうやらこの革手袋も、だらしねぇ黄金野より俺様に使われるのを願ってるみたいだぜ!」
この鰐淵君の馬鹿笑いがトドメになったのか、僕はすっかり頭に血が上っちゃったんだ。
「くそうっ、修久の癖に!」
割れた破片を芯にした飛び切り固い雪玉を握り締めて勢いをつけたら、後は投球フォームに入るのみ。
日頃から草野球チームで鰐淵君にしごかれているんだもの、それなりの球速は僕にだって出せるよ。
「んっ?」
ところが僕が雪玉を投げようとした次の瞬間、修久達の後ろから全く知らない女子生徒が現れたんだ。
そればかりか、左に右にフェイントを仕掛けてくるんだよ。
まるで僕の事を妨害するかのようにね。
「誰だよ、君は!修久の味方をしようってのか?!」
「…。」
声を荒げても、向こうは至って涼しい顔だった。
その事が、僕を一層に苛立たせたんだ。
後からよくよく考えたら、不自然な箇所は幾つもあった。
左右に激しく動いている割には姿勢にまるで乱れが無いし、ポニーテールに結った長髪も全く揺れなかった。
そもそもこんな寒い日に、薄手の体操服で過ごせる訳が無いもんね。
そして極め付けは、女子生徒が白い体操服に合わせている紺色のブルマーだよ。
あんな古臭いブルマーなんて、今時は何処の小学校も採用していないのに。
だけど完全に逆上していた僕には、そんな違和感なんて全く気にならなかった。
その時の僕の頭の中にあったのは、自分をコケにするかのような女子生徒の動きに対する苛立ちだけだったんだ。
「コイツめ、飛び切り固い雪玉を顔面にお見舞いしてやる!」
そうして振り被って投げた雪玉は、女子生徒の上半身目掛けて一直線に飛んで行った。
たとえ女子生徒の運動神経がどんなに優れていても決して躱せない、絶妙な球速と入射角でね。
「アハハハ、修久なんかの味方をしたからそうなるんだよ!そのまま雪だらけになれば良いんだ!」
ところが、そうはならなかった。
僕の雪玉が顔面に直撃する直前、例の女子生徒はパッと消えてしまったんだ。
「えっ、消えた?アイツ、何処へ消えたんだ?」
ギョッとする僕の顔を、鰐淵君とメグリちゃんが不思議そうに眺めていた。
「おい、黄金野…お前は一体、誰を探してんだ?」
「私達四人以外に誰も居ないわよ、黄金野君。」
「そんな…みんなも見ただろ?体操服と紺色のブルマーを着た女の子が。」
こう言っても、二人は首を傾げるばかりだった。
それじゃ僕が見たのは、一体何者なんだ…
僕達四人の雪合戦に前触れもなく乱入し、そして忽然と姿を消してしまった謎の女子生徒。
しかも鰐淵君とメグリちゃんの二人は、彼女の存在を認知していないらしい。
この異常事態に、僕達はただ沈黙するしかなかった。
だけど修久だけは、一人だけ意を消して僕に尋ねてきたんだ。
「白い体操服と紺色のブルマーを着た女の子って言ってたね?その子って、ポニーテールじゃなかった?」
「おい、修久!それをどうして…?」
僕の問い掛けに答える代わりに、修久は教頭先生から聞いたという昔話を僕達に語ってくれたんだ。
今から十年以上昔の事だけど、榎元東小学校の女子生徒が交通事故で亡くなったんだって。
その子は運動神経抜群の活発な女子生徒で、体育祭を誰より楽しみにする程にスポーツが大好きだったらしい。
「黄金野君が見たっていう女の子には、僕も体育祭の時に会った事があるよ。きっと体育祭や球技大会みたいにみんなが楽しそうにスポーツをしているのを見ていると、つい自分も参加したくなるんだろうね…」
「じゃあ、枚方君や黄金野君が見たっていう女の子は、幽霊って事?」
そう問い掛けるメグリちゃんに、修久も僕も何も答えられなかった。
頭では分かっているけど、その決定的な答えを口にするのは憚られたんだ…
その次の瞬間、僕の頭頂部に強烈な衝撃と激痛が襲い掛かってきたんだ。
「痛っ!何すんだよ、鰐淵君!」
衝撃と激痛の正体は一目瞭然だった。
拳骨を握り締めた鰐淵君が、顔を真っ赤にして仁王立ちしていたんだからね。
ただでさえゴリラみたいな顔なのに、あんな赤くなったらまるで日本猿だよ。
「馬鹿野郎!黄金野、お前には人の心って物がないのかよ。ただ一緒に遊びたかっただけの幽霊の女の子に、無神経に雪玉ぶつけようとしやがって!お前みたいな奴を、人見知りって言うんだぞ。」
「そ、それを言うなら『人でなし』だよ…」
正直言って今の僕には、幽霊よりガキ大将の方が余っ程恐ろしかったよ…