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9. 多面性があるからして


 第一王女の近衛騎士が、毎朝のように外門まで婚約者を迎えに来る。

 それは直ぐにお馴染みの光景となって、門衛達は情報を共有済みである。奇異の視線が刺さることはなくなったので、タインは意識せずとも平常心を保つことが可能になった。気難しげな表情を緩めて歩み寄ってくるウィンダムを見ながら、タインはジョセリンの言葉を思い出していた。何をどうしたらこんな男に仕上がったのか。こんなに都合の良い男がこの世にいるものなのかと不思議になる。


「外務局の方は、皆ウェンのような方ばかりなんですか」

「私のよう、とは?」

「ウェンは女性騎士に偏見がないでしょう」


 ウィンダムは少し考えるような表情を見せ、外務局がある政務棟へと歩を促した。通い慣れた道を、二人並んで歩む。


「別の文化や価値観に触れる機会が多いから、他より頭が柔軟になっているとは思う。少なくとも、自分の価値観に合わないという理由だけで相手を否定し、攻撃するようでは仕事にならない」

「偏見はあっても隠すのが上手くなるということですか」

「そうだな……我々は異国の人間を相手に、どうもってゆけば此方の利益になるかをまず考える。そうすると相手がどういう人間で、何を望んで何を嫌がるのか、正確に把握する必要がある。そこに偏見があっては、情報が濁るだろう。だから私は、できるだけ先入観を意識に上らせないようにしている」


 それで、と言葉を切って、ウィンダムはタインに視線を流す。


「女性騎士に対して、というなら、偏見はあったのだ。どうしたって筋力は男に劣る。骨格からして違うのだから、男の騎士よりは頼りなく感じる。ただ、鍛えていないその辺の男達よりは力があるのだろうし、専門の技術を身につけているのだから、そこは信頼していい。然し矢張り女性であるのだから、一般的に貴族女性がしないこと…例えば野外で寝るとか、動物を捌くとか、蛇や蛙を捕まえるとか、ましてや焼いただけのそれを食べるだとか、そういったことはできないだろう。貴女を知るまでの私は、そう思っていたよ」

「……随分と正直に話しますね」


 タインは少量の驚きを含んだ目でウィンダムを見た。ウィンダムは口端で笑む。


「貴女には好感を持ってもらいたいからな」

「しょ、正直ですね」


 タインは反応に困って正面を向く。偏見といっても事実に基づくもので、女のくせにと馬鹿にした類のものではないから、印象は悪くなりようがなかった。そもそも、日頃目にできるのは女性王族の側に立っている姿だけなのだから、そこからどのような経験を積んできたかまで想像できる者は少ないだろう。


「少しは私に興味を持ってもらえたと思っていいのかな」


 ウィンダムの声には喜色の浮いた気配が混じっていた。

 興味は持っている。だがそれを正直に口にしたものか迷って、タインは周辺警戒のついでのように視線を彷徨わせた。外門から政務棟までの長い道のりには低木が植わっている場所もあり、人が潜むことも可能だ。巡回の騎士とすれ違う時には、表面には出さないまでも警戒値が上がる。


「私達の多くは、男性に期待をしていないんです」


 迷った末に、タインはぽつぽつと話し出す。


「例の、騎士団の環境か」

「それもあります。結婚した先達も、幸せそうには見えなくて。女だてらに、というのは私達にはどうしてもついて回りますから」


 思い合っての結婚ならまだしも、王家の信頼が厚い妻を得たいだけの結婚では顕著なのだ。ユールガル貴族の結婚は基本的に政略結婚であるから、本人に付随するものを欲されるのは特別なことではない。ただ、近衛騎士の経歴を欲しておきながら、その誇りは認めず、折ろうとさえするのだというからたまったものではない。御し易い他の女に走るという話もある。ロバータの豪語は現実を踏まえているのだ。大抵の男は、自分より強く賢い、優れた妻を認められない。


「それで外聞が悪くても生涯独身を選ぶ者も多いんです。ただ、貴方のように理解のある人間ならばと思う同僚もいまして」

「なるほど。それで外務局の人間」

「はい。どなたか良い方はいませんか」


 目線を上げるとウィンダムの嬉しそうに細めた目と合って、タインは怯んだ。


「なんですか」

「いや。貴女にとっての私の評価が、悪くないようだから」


 タインは気付く。同僚の気を変えさせるほど良く言ったと受け取れる話だったと。


「いっ…今はそういう話ではありません」


 タインとしては殊更良く言ったつもりはない。事実を述べたら、思いの外好条件だっただけだ。顔を覆いたくなったが、警護中に自ら視界を塞ぐなど言語道断。歩む先を睨むようにして堪えた。政務棟の入り口の立哨がびくりと背筋を伸ばす。気の緩みを咎めたわけではないが、ご苦労、と一声かけて棟内に足を踏み入れた。


「女性騎士に偏見のない人間か…うちは既婚者も多いからな」


 廊下を進み立哨の気配が遠くなると、ウィンダムが思考を巡らせるように口にする。先の話を追求する気はみられず、タインは胸を撫で下ろした。


「難しいですか」

「私より若くてもいいか」

「三十一でしたっけ…十代でなければ。それなりに人生経験を積んでいてほしいそうです」

「平民の者もいるが」

「そこは問いません」


 ジョセリンの希望をいくつか述べるうちに、外務局の区画に差し掛かる。ここにも立哨がいて、予定外の人間を誰何する役目を負っている。局の人間であるウィンダムには挨拶だけで、特別な手続きはない。ウィンダムが事前に話を通していたらしく、タインも今まで一度も止められたことはなかった。

 区画内では下位の局員が書類を持って行き来しており、ウィンダムを見ると挨拶の言葉がかかる。隣を歩くタインへの目礼には初め、戸惑いのようなものがあったが、今となっては馴れたものだ。タインも朝から忙しないこの空気にはもう馴染んだ。すれ違う者の特徴は把握しており、どこの部屋付きかも覚えている。北東方面担当の第一、南西方面担当の第二と、外務局は二つに分かれており、第二外務局の執務室まで無事送り届けるのがタインの任務だった。


「お仕事頑張ってください」

「ああ。行ってくるよ」


 ウィンダムはタインの手をとって、指先に口付ける仕草をする。

 婚約者らしい別れの挨拶は、と模索してこの形に落ち着くまで、抱擁、頬への口付け、額への口付けと議論した初日のことは、タインはあまり思い出したくない記憶である。タインは気恥ずかしさで目が泳ぎ、ウィンダムは照れ故か気難しい顔がより気難しく、耳が仄かに赤くなっていた。部屋の前でまごついている二人に痺れを切らしたウィンダムの部下が、指先を提案して事の決着がついたのだ。その時点で部屋に入ろうにも入れず、遠巻きに待機する局員の数は増えていた。一連の流れを見ていた者達の前で行うのはウィンダムも恥ずかしかったらしく、その日は彼らを部屋の中に通してからの実行だったが、タインは後で思ったものだ。誰も見ていないのにする必要があったのかと。

 どこか満足げに部屋の中に消えるウィンダムの背を見届け、タインは踵を返した。


「おはようございます。今日も仲睦まじいですね」


 件の提案の男、イーノック・ガイルが書類を手に歩み寄ってくる。文官服のカラーとラペルが紺色なので、五人いる補佐官の内の一人である。細い目を更に細めるようにして微笑むと目の表情が読みにくくなるのだが、親しみ易い空気があるので距離は然程感じない。


「おはようございます。お陰様で」


 タインは初日を見られているとあって初めのうちは苦手意識があったのだが、度々立ち話をするようになるとそれは次第に気にならなくなっていた。


「局長、驚きの変わりようですね。愛する女性というものが如何に影響力があるものなのかがよくわかります」


 イーノックはウィンダムが消えた扉を見て、感慨深そうに息を吐いた。


「そ、うなんですか」


 タインはなんとも返しようがない。タインが知っているのはタインといる時のウィンダムだけだからだ。


「あの人はねぇ。基本、冷たいんですよ。本来なら令嬢の評判に傷が付いたって、利がなきゃ手を差し伸べもしない筈なんです。だから失礼な話、侯爵家が目当てだと思ってたんですけど」


 タインもそれは考えたことがある。ウィンダムは実利を重んじる人間である。婚姻とて、色恋より政略を選ぶ人間に見える。ただ、ウィンダムの主張する恋は疑いようがなかった。演技を疑うには言動が洗練されていないのだ。勿論、侯爵家と縁続きになる利点に気付いていないわけがないが、ウィンダムのことだ、堂々とそれもあると答えかねない。だから直接訊くまでもなかった。それもきっと、この際だから最大限に利用するのだ。


「そういう人ですよね」


 タインがしみじみと呟くと、イーノックが驚いた顔をした。


「あれっ? 貴女にも冷たいとこあります?」

「いえ、巡ってきた機会を最大限に活かす人だなと」


 タインは話がつながっていなかったようだと言葉を足した。


「あー………、そこ解ってましたか。あの人ほんっと怖いですよ。機会を捉える嗅覚といい、一つの機会で絞り取れる全ての成果を絞り取ろうとする貪欲さといい。僕あの人の部下で良かったなって思いますもん。交渉相手に回りたくない」


 イーノックが真顔で震えた。


「何があったんですか」


 タインには優秀だと言っているようにしか聞こえないが、それにしては様子がおかしい。イーノックは束の間沈黙し、視線を彷徨わせる。


「聞きたいですか?」

「…無理にとは言いませんが」


 外務局にも守秘義務があるだろうから、タインは控えめに頷く。イーノックは探るような目をした。


「本当に?」


 頷きに対してか、無理には聞き出さないということに対してかは判らないが、そんなに念押しをするようなことなのかとタインは戸惑う。


「……やめておきます。それで婚約が破談になっちゃったら僕、局長に申し訳立ちません」


 タインの戸惑いをどう受け取ったのか、イーノックは物憂げに目を伏せた。


「でも怖いなって思ったら、いつでも相談してください。僕は局長の幸せを願っていますが、それには貴女の幸せも不可欠だと思っていますから」


 真摯な眼差しで見つめられて、タインは尚戸惑った。






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