7. 大体の人間はざわつく事態
翌朝から送迎任務開始となった。タインは予定時間前に王城の外門まで足を伸ばす。
ウィンダムは小さいながらも一軒家を持っており、使用人は通いの者を一人雇っているだけだが、ゴルデアの私兵を借りた警備は日頃から万全だった。血筋と仕事柄故だろうと、タインにも想像がついた。家から王城の外門まではウィンダムの私兵が見ているとのことなので、門の内側を受け持つことになる。任務としては非常に短い拘束時間だが、日頃は王城の奥にある王宮を管轄している近衛騎士が門番の如く佇み、人の出入りに目を光らせていれば非常に目立った。登城者達はちらちらと目を向けながら通過し、本物の門衛達はそわそわしている。
「近衛騎士殿、王女殿下の査察か何かでありますか」
意を決した門衛の一人がタインに近付き、緊張の面持ちで問うた。門衛達は王城騎士団の所属で、指揮系統が異なる。話が下りてきていないのだから、不安にもなろう。タインは私服に着替えれば良かったかと思ったものの、それはそれで誰何され門衛の仕事が増える。逐一着替えるのも面倒だから、これで正解なのだと思い直した。
「いや、今私は非番だ。個人的に」
不要な誤解を与えて門衛の仕事に支障を来さない為にも、タイン自身の任務の為にもはっきりと口にしなければならないのだが、昨夜のことが頭を過ぎって言い淀んだ。
「婚約者を待っているだけだ。気にしなくていい」
僅かな間目が泳ぎ、心持ち声が小さくなったが、門衛の耳には届いたようで持ち場に戻って行った。他の門衛に伝達しているのが見て取れる。彼らの任務上ごく普通のことである。タインとしてもこの状況を自然に広めなければならないのだから、なんら問題はない。だがこれは、と思う。覚悟はしていたが、実行してみると殊の外恥ずかしい。婚約者に会いたくて仕方がないのだと公言していることになるのだ。気を抜くと、なんだその浮かれた馬鹿女はと崩れ落ちそうになる。タインは愛しい人を待つのとは掛け離れた気持ちで、早く来て欲しいと願うように開け放たれている門の向こうを見た。
程なく、文官服の上に外套を纏ったウィンダムが徒歩で現れた。目立っているタインはすぐに見つけられたようで、目が合う。その瞬間、ウィンダムの動きが不自然に止まった。もしかしたら縋るような目をしてしまったかもしれないと、タインはウィンダムが登城の手続きをしている間に表情を引き締める。
「おはよう。貴女に迎えられるというのは気分の良いものだな」
足早に近寄ったウィンダムは、目元を緩めながら肘を差し出した。
「おはようございます。いえ、手は空けておきたいので。それに騎士をエスコートする文官という絵面はちょっと」
「……それもそうか」
ウィンダムは残念そうに肘を下ろし、身を屈めるようにしてタインに顔を寄せる。
「何かあったのか」
周囲の耳を気にしたような小声が、先程の表情を読み取っていたことを物語っている。タインとしてはそれ程顔に出しているわけではないのだが、ウィンダムはそうしたことに目敏いようだった。
「何もありません」
羞恥と僅かな屈辱感で自然とタインの目は逸れた。
「任務外のことだろうか。それなら尚更話して欲しいのだが。私とのことで何か言われたり嫌がらせを受けたりするようなことがあれば、直ぐに、必ず、絶対に、言って欲しい。勿論それ以外でも」
「どれも違いますのでお気遣いなく。近いです。人が見てます」
タインは話を切り上げたくて、目を逸らしたままウィンダムの胸を片手で押した。
「見せつけているのだ」
タインは任務を思い出して手の力を緩めた。婚約者には許される距離なのだ。不仲に見える行動は慎むべきである。
「……そうだな、クォン島ではずっと貴女に頼りきりだったのだ。挽回はこれからだな」
タインが口を噤んでいると、ウィンダムは息を吐いて身を起こした。昨夜のことは本気だったのだと改めて認識して、タインのウィンダムを見る目に恨めしさが宿る。
「昨夜は何故あんなことを言ったんですか。お陰で私は」
無心で任務に取り組めない。そう続けようとして言葉を呑みこんだ。それもウィンダムの狙いのうちの一つなのかもしれないと思ったからだ。
「私は?」
平然と促すウィンダムの声に恨めしさがいや増して、タインの眼差しがきつくなる。
「もっと別のタイミングがあったのでは?」
「早い段階で言っておかないと拗れるだろう。予測できるすれ違い要素は事前に排除するに限る」
タインはなんとも言い難い顔になった。色恋に焦点を絞るなら、その通りだと思ったからだ。だが反感は消えない。
「任務終了後に改めて申し込む方が、誠実に思えるのですが」
「それは一考した。然し仲睦まじさを演出するのに、私は演技がいらないのだ」
「……そ、そうですか。………つまり?」
「改めて申し込んだところで、それまでと変わらない私の態度を信用できるだろうか」
タインは考え込んだ。演技なのかそうでないのか、疑いを持つことはあるかもしれない。
「予測できるすれ違い要素は、事前に排除するに限るのだ」
ウィンダムは大事なことのように繰り返した。
「誠実さより、効率を取ったんですね」
「そんなことはない。貴女には誠実でありたいから、私の思惑を正直に話したのだ」
効率をとったと正直に話す誠実さである。タインはそれもそうかと納得しかけたが、それはそれ、これはこれ。タインは任務に私情を持ち込みたくない。なのに警護対象者がその垣根を壊そうとする。大変厄介な状況である。ウィンダムに感じる恨めしさが深みを増す。
「貴方命を狙われてる自覚、あります?」
「あるから貴女の警護を受け入れている。あまり睨んでばかりいると不仲と思われるのではないか」
タインははっとして寄っていた眉頭を開いた。
「そろそろ行こうか、仕事に遅れる」
ウィンダムは微笑んで歩を促した。
タインはロチェスターへの報告を終えれば、ウィンダムの退城時間まで手が空く。あのようなことで心が乱れるなど弛んでいる証拠だと、練兵場に向かった。
場に足を踏み入れると、先に使用していた者が出入り口に近い順からタインに気付き、幾つかの視線が集まる。タインは何事かと一瞬怯んだが、どうせろくなことではないのだ。また何かくだらない賭け事でもしているのだろうと、壁際に位置を取る。雑念を払いたいだけだから、素振りで良い。
「タイン、相手しようか」
クレイグが刃引きした剣を二本持ってきた。タインは断る理由もないので、差し出された柄に手を伸ばす。
「ありがとう。……クレイグ?」
握った剣が差し出された位置から動かない。クレイグの顔を見ると、噛みきれないものを噛んでいるような、奇妙な顔をしていた。
「あれ、本当だったんだな」
「あれ?」
「婚約」
「ああ。うん」
配置の調整があるのだから、タインが特別任務に就くことは今朝方隊内で共有されている。ただ、話は逆として伝えられていた。婚約が決まったから、タインにこの任務が割り当てられたのだと。
「ただ責任取るって話じゃなかったのか。その、随分仲が良さそうだったって」
タインは瞼を持ち上げた。一日と経たずに噂が奥の近衛騎士にまで届いている。どれだけ目立っていたのかを思い知った。大分睨んでしまっていたが、遠目には仲睦まじく見えたということだから、胸を撫で下ろしもする。ただ、同僚にまでこうして知られるのはなんとも居心地が悪い。今まで仕事一筋、男になんか興味ありませんから、という態度を見せていたのだ。唐突な掌返しにも見えよう。
「まあ、……結婚するんだから仲いいにこしたことはないでしょ」
気まずさで目を逸らしつつもタインは頷いた。
「紳士だって言ってたもんな」
「ああ、まあ…? そうだね」
タインは心境変化の不審を問われるかと内心身構えていたが、クレイグの声には力がなくて拍子抜けする。ふいにタインの手にある剣の重みを感じた。クレイグが手を離したのだ。距離も開いたので、タインは始めるのかと一振りして具合を確かめる。目線を上げるとクレイグは背を向けて遠ざかっていた。
「いや相手」
一合もせずに取り残されて、タインは当惑した。