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6. 合理的な人間なもので


 ウィンダムの仕事は早かった。面会を終えたその足でスウェイズ家に手紙を送り訪問の予定を取り付け、正式な婚約に至るまで三日だった。侯爵家でもタインの噂をよくは思っておらず、早急に収拾すべく事を急いだと知れる。

 神職の人間を証人に契約書を交わす婚約式に臨むにあたり、タインがウィンダムと共に侯爵家を訪れると、タインの母、リンディは眦を吊り上げた。


「まあタイン! 貴女それで式に出るつもり!?」


 タインは近衛騎士の儀礼服を着ていた。騎士服は所属によって上着の色が違い、第一王女隊は濃紺だ。肩章から胸元へは飾緒が垂れている。小脇に抱えた同色の儀礼帽は円筒形で、正面には所属を示す金属の徽章を配し、上部に向けて大きな赤い羽が立っている。革製の目庇は黒い。白手袋をし、剣の柄尻には赤い飾り房が結ばれている。


「お母様、これは正装だから問題は」

「何を言っているの! 自分で用意すると言うから嫌な予感はしていたのよ。ああもうこちらへいらっしゃい!」


 タインは皆まで言わせてもらえず、速やかに階上に連行された。

 待っていたのは腰の細さを必要以上に強調しない、シュミーズドレスだった。筋肉で武装された腹部を締め上げる時間はないと見越していたのだろう。胸元や裾をレースで形作り上品さを、淡い菫色の布地を一段濃い同系色のベルトリボンで締め、控えめに腰のくびれを作り出して女性らしさを表現している。雀斑を隠す程度であった化粧には頬や唇を血色良く見せるように色味を足され、固く編み込まれていた髪も解かれ柔らかく結い直されて、花飾りで飾られる。あっという間に華やかな貴婦人の装いに仕立て上げられた。


「まあいいわ。こんなところでしょう」

「……うちのメイド達は優秀ですね」


 群がっていた使用人達がさっと引いた時には、リンディは及第点だと息を吐き、タインの目は淀んでいた。


「いいこと、醜聞が元であろうとも、この縁を逃しては結婚できないかもしれないのよ。男爵をしっかり捕まえておきなさい。今手掛けている仕事が成功すれば、子爵への陞爵だってあり得るそうじゃないの。領地だっていただけるかもしれないわ。能力で得るものなのよ。由緒だけしかない財政難の家より、余程将来に期待が持てるわ。なんて素晴らしい縁でしょう。絶対に逃しては駄目。その為には剣技ではなく、女を磨くのよ!」


 リンディはごく一般的な貴族の思考の持ち主である。歴代の娘達の献身により王家の信頼を得てきた家に嫁いできたとはいえ、女たるもの嫁いでこそ、との価値観はそのままなのだ。


「お母様、時間が押しているから」


 婚約解消をしたらおそらく母は荒れる。近く実現する未来に疲れを感じながら、タインは長くなりそうな説教を遮った。

 タインは、きびきび動かない、裾を蹴り上げない、歩幅が大きい、と注意されながら極力淑やかにウィンダムと父、レナードの元へ向かう。彼らは応接室で待っていた。現れたタインを見ると、時間を気にしていたレナードはほっとした顔で、ウィンダムは軽く片眉を上げて立ち上がった。


「お待たせして申し訳ありません」


 慣れない装いは気恥ずかしいものだ。タインはウィンダムやレナードの顔を見れずに、手前の長椅子の模様を見ていた。


「本当にごめんなさいね、時間があればもう少しきちんとできたのだけど」

「いえ、十分美しいですよ。待った甲斐がありました」


 リンディの言葉にウィンダムは淀みなく答える。タインはお堅そうに見えるのに世辞は言えるのだなと、妙な感心をした。


「ああそうだ、これを」


 ウィンダムが思い出したようにベルベットの小箱を差し出す。タインが受け取り開けると、そこにはタインの目の色に合わせたのだと判る、小振りだが質の良い蒼玉の耳飾りと首飾りがあった。


「騎士服では出番がないかと思っていたのだ。渡せて良かった」


 満足そうなウィンダムを丸くなった目で見るタインを余所に、まあ素敵ねと声を弾ませるリンディの指示によって、メイドが手早く耳飾りと首飾りを挿げ替えた。男性からの贈り物を身につけるなど初めてのことで、反応の仕方が判らないタインはされるがままになっていた。エスコートに差し出された腕に手を添えて目線を上げると、眼鏡の奥の榛色の目が真っ直ぐに見下ろしている。タインは怯んで直ぐに目線を逃した。


「あまり見ないでいただけますか」

「何故」


 タインの小声を聞く為に耳を寄せたウィンダムも、自然と小声になる。


「その、ドレスは似合わないので」


 タインは騎士服が一番自分を美しく見せる装いだと自負している。胸や尻が人並みにあったところで、筋肉の付いた身体は貴婦人らしくはない。貴婦人の装いは、普段ならば気にもしない劣等感を刺激されるのだ。


「ちゃんと似合っているよ。綺麗だ」

「ウェン、そこまでは必要ありません」


 タインはいたたまれなさを堪えるように眉を寄せる。周囲に聞こえないような小さな声での会話なのだから、仲睦まじさの演出は必要ないのだ。何も言わずに目元で笑んで身を起こしたウィンダムは、文官服ではない。白の立襟シャツに絹のタイ、灰色のウェストコートに背面の長い黒のジャケットと、格式ばった装いである。その隣に並ぶのが騎士ではちぐはぐだと思ってはいたので、これで良かったのだろうとタインは納得することにした。正面を見ると、レナードは満足そうな、リンディは微笑ましそうな顔をしていて、タインはまた怯むことになった。

 貴族の儀式を受け持つ由緒ある神殿での婚約式は恙無く終わり、侯爵家で晩餐を共にする。タインの結婚は捨てていた筈のレナードまでもが機嫌が良かった。


「ウィンダム君、君には災難であったかもしれないが、私達にとってはこの上もない良縁だ。王家に献上したものと思って、近衛騎士になる娘の期待はしないものなのだがね、こうして縁があると、実に嬉しいものだ」

「災難などと。私の方こそ得難い縁です。有事にも動じず、適切な対処をするご息女には大変助けられました。並大抵のご令嬢では、私の命はクォン島で尽きていたことでしょう」

「淑女らしいことは殆ど仕込んでいなくてな。苦労をかけると思うが、見捨てずにいて欲しい」

「芯の強さこそ何よりの宝です。不可抗力とはいえ、ご息女の評判に傷をつけたことは大変申し訳なく」

「それもこうして君が収拾をつけてくれたではないか。責任逃れをせぬ男と、王城での評価も上がろうというもの」


 レナードは喜びや褒める形をとって、その実捨てるなよと圧力をかけている。それに気付いていないわけではないだろうに、平然と流れるように会話をこなすウィンダムを、タインは感心の面持ちで見ていた。嘘が一つもなく会話が進んでいる。


「私がこれまで独身でいたのは、この時の為であったのだと思っています」


 これは流石に言い過ぎではないかとは思ったが。

 タインは晩餐を終えると、男性陣が談話室(シガールーム)で寛いでいる間に騎士服に着替えて、帰り支度をした。馬車の脇に控えて待つという騎士のような行動をとったので、エスコートを待ちなさい、殿方に恥をかかせるとはなんたることと、リンディに説教された。


「五十年も閉じていた道を開いたその口を、甘く見ていました」


 車内に二人きりになると、タインはぐったりとして柔らかい背もたれに身を預けた。数ヶ月生活を共にした相手だ。体裁を繕ったところで今更だと判断したのだ。


「見直したかな」

「そうですね。クォン島では大分頭のおかしいことになっていましたから」


 タインはしみじみと頷く。ウィンダムは唾液を飲み込み損ねて噎せた。


「それは忘れてくれ。……いや、忘れないでくれ」


 咳き込んだ所為か恥ずかしさからか、ウィンダムの耳が赤い。


「どっちですか」

「………私をこうしたのは貴女なのだが」


 ウィンダムは恨めしげに目を細めた。タインは眉を寄せる。


「どういう意味ですか」

「どうかしていたように思われるのは不本意だから、忘れて欲しい。格好の悪いことにもなっていたからな。だがあれは紛れもない事実であるのだし、私にとって無かったことにできない大事な思い出なのだから、覚えていて欲しい。このように相反するものが同時に浮かんだ時、今までであれば瞬時にどちらかを選べていたのだ。それをできなくさせているのが貴女だということだ」


 タインはまた何やら長い言い回しをし出したぞと聞き流しかけて、はたと瞬き改めてウィンダムを見た。引っかかる言葉があったのだ。ウィンダムは不機嫌にも見える顔で口を引き結んでいる。


「簡潔にお願いします」

「帰ってから改めて考えると言っただろう。考えた結果、これは恋なのだ、タイン」


 タインの思考が停止した。その話は終わったものだと思っていたのだ。直ぐには呑み込めない。そしてゆっくりと思考が動き出した時には、そんなに気難しい顔で言うことなのだろうか、と思った。


「でも」

「異論は認めない」


 タインは今回の話が出るまで音沙汰がなかったのはなんだったのかを訊きたかっただけなのだが、言わせてもらえなかった。また生理的事情と言われかねないと思ったのかもしれない。

 無人島生活中、ウィンダムは度々距離が近くなっていた。その度にタインが一言、処理、と呟き、ウィンダムが慌てて離れるといったことが繰り返されていたのだ。視力の所為だと気付いた後には改めたが、それが余程嫌だったのかと、別の考察をし始める程タインは動揺していた。

 ウィンダムは腕を組み、緊迫したように眉間に力の入った表情でタインを真っ直ぐに見つめている。何か言おうものならまた遮られるのか、それでも何か言うべきなのか。相手は武器も持っていないというのに、タインは蛇に睨まれた蛙の気持ちを体感した。耳に入るのが馬の蹄や車輪の音だけの時間が続き、やがて馬車はゆっくりと止まった。御者が連絡用の小窓を軽く叩き、到着を知らせる。ウィンダムの家の前に着いたのだ。


「本来ならば、私の意志で婚約を申し込みたかった。だがこの際だ、私はこの状況を最大限に利用する」

「………合理的、ですね……?」


 ウィンダムの堂々とした宣言に、タインは呆気にとられる他なかった。






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