4. 人使いが荒い
タインが鍛練しながら通常勤務に組み込まれるのを待っていると、隊長室に呼び出された。執務机の席には中年に差し掛かって美貌に渋みが入り始めたロチェスター隊長が座し、傍に副隊長が控え立っている。タインは机から二歩の距離を空けて立ち、休めの姿勢で言葉を待った。
「グルバハル王国への使節団の派遣が暫く延期になっているのは聞いているな」
「はい。新たな船の点検補修に時間がかかると聞いております」
海の向こう、南方にあるグルバハル王国への使節団の派遣は、一度事故に遭ったからといって中止にできるものではない。グルバハル王国とは昔は幾らか貿易を行っていたのだが、五十年程前に仲違いをし、国交を断たれてしまっていた。近年再開の手筈を整えるにあたり、女性である為に王位継承権の順位は低いものの、国民に人気の高い第一王女が赴くことで、内外に友好を示すことにしたのだ。
「先の船に不審な点が見つかったので遅らせているのだ」
事故の直接の原因にはなっていないが、整備に不備があり人為的な痕跡が見つかったと、ロチェスターが言った。造船所の者達は首が飛ぶと震え上がり、彼らの関与は見られなかったが、船を担当した鼠取りが一人出港直後に消えており、足取りを追っていると海軍からの調査報告を受けた。
タインの眉間に力が入る。
「リガラド侯爵が動いたのですか」
国交断絶のそもそもの発端は、当時のグルバハル王妃の生家があるザムル王国が、ユールガルに攻め入ったことである。当然ユールガルは応戦し、隣接するザムルの領土、ゴルデアを丸ごと奪った。これにグルバハルが怒ったのだ。不当な侵略戦争を仕掛けられたのだから、その補償として当然のことだとユールガルはゴルデアを返さなかった。グルバハルはザムルに戦費と兵を貸したが奪還叶わず、国交断絶による圧力へと転じたのだ。
ユールガルにしてみれば、全て向こうが仕掛けたことである。グルバハルが頭を下げてきたなら兎も角、両者の話し合いの結果という、正式な謝罪のない国交再開をよく思っていない者達がおり、又、交渉材料もユールガルにしてみれば問題のあるもので、議会は随分荒れたと聞いている。決定が下されても一部の者は納得しておらず、その中の最高位者がリガラド侯爵である。水面下で画策している者があることは王女の使節団参加が決定すると共に第一王女隊に知らされていて、グルバハルに入国するまでにタイン達が警戒すべきは、海賊だけではなかった。
「現時点では断定できない。グルバハルも一枚岩ではないようだからな」
グルバハルの妨害工作である可能性もあるということだ。
国交断絶といっても、ユールガルはグルバハル人の入国を禁じているわけではない。海岸沿いの領民達はグルバハル人でも遭難していれば助け、概ね人道的に扱っている。又、その海岸沿いの領地や嘗てザムルに属していたゴルデアにはグルバハル人と親戚関係にある者もいて、細々とした繋がりがあった。グルバハルの情報はそういったところから入ってくるのだ。
「殿下のおわす船に細工を許すなど近衛の名折れである。犯人の特定は急務であり、他軍任せにできることではない。我々も人員を割く。そこでタイン。お前の噂を活用したい」
「……ラザフォード卿ですか」
「そうだ。男爵に協力を願う。だが我々が張り付けば目立って警戒される。婚約者なら頻繁に接触しても不自然ではないだろう」
ウィンダム・ラザフォードは第二外務局の局長である。南西方面、ザムルとグルバハルを担当しており、この度の使節団の派遣を取り付けた立役者でもある。その功績を称えられ、又、今後の交渉での体裁を調えるために、男爵に叙されていた。ウィンダムを失えば話が頓挫しかねないとあって、王女よりもウィンダムを狙ったものである可能性が高いという。
又、ウィンダムは現ゴルデア辺境伯の弟でもある。
先の戦で、ラザフォード家は滅びなかった。元々侵略に難色を示し、ザムルの王家と折り合いの悪かった当時の当主が、密書を交わして早い段階でユールガルに与することと引き換えに家の存続を図ったのだ。ユールガルの王族と婚姻を結ぶという形で意思表示を行い、それから世代を重ね、ザムルの血も薄くなってはいるが、ラザフォード家に流れるザムルの血を快く思っていない者も少なからずいるのだ。憎悪や嫉妬、政治的思惑。なるほどとタインは思った。標的になる要素がウィンダムには複数ある。
「それにエグランデ侯爵と縁付くとあって、危機感を煽ることもできる」
近衛騎士達は直接政治に影響のある立場ではなく、次子以下で構成されているとはいえ、皆貴族子女である。タインの生家は代々女性騎士を輩出する、王家からの信頼厚いエグランデ侯爵家だ。ウィンダムがこれ以上の力をつけることに良い顔をしない者の行動を誘発できるということである。
「つまり、誘引剤となり犯人を絞り込み、且つラザフォード卿を護るということですか」
タインが任務の概要をまとめると、ロチェスターが満足そうに頷いた。
「君自ら噂を肯定したと受け取る者も出るだろう。断ってもいいんだぞ」
優しく口にする副隊長をタインは白けた目で見た。ここで真に受けて断ったところで、すかさずロチェスターが頷く道筋を作ることは想像に易い。個人的な領域を大きく侵害するやり方であるから、部下の気持ちを慮ったという形を取りたいだけだ。
「その目やめてくれる」
副隊長はばつが悪そうな顔をした。
王都に帰還して以来、タインはウィンダムと連絡を取っていない。ウィンダムからも音沙汰がないということは、無人島で芽生えた恋らしきものが、気の迷いだったことに気付いたということではないかと思っている。タインに訊くまでもなく、ウィンダムの方で気まずくて断るのではと思ったが、合理的だと判断すれば、個人的な感情など差し置いて賛同しかねないとも思う。そしてこの話を持ちかける順番で言うならば、命令とあらば断れないタインが最後であろう。半ば以上の確信の元、タインは確認の為に口を開いた。
「ラザフォード卿は頷いたのですか」
ロチェスターは頷き、タインは吐息する。初めから選択肢は用意されていないのだ。