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32. 事故か戦争か、選びたまえ


 医者の診察を終え軽い食事を済ませると、ウィンダムは情報を欲した。


「まだ安静にしているよう、言われたばかりではないですか」


 タインは困ったように咎める。


「そうも言っていられないだろう。話を聞くだけだ。イーノックを呼んでくれ」

「……聞きたいことはなんですか。私で答えられることなら私が答えます」


 タインは洗い物を集める手を止めて、寝台脇の椅子に腰を落ち着けた。ウィンダムは訝しげに目を向けたが、仰臥の状態では距離がある。裸眼では、抑えられているタインの表情は読みにくかった。


「私の荷物の中に予備の眼鏡がある。持ってきてくれないか」

「書類仕事は駄目ですよ」

「……いや。貴女の顔が見たいのだが」

「余計に要りません」


 タインの応対は淡々としていて、そこに恥じらいや哀願の類もない。


「何か私に知られてはいけないことがあるのか」


 身体を案じるだけではない何かを感じ取って、ウィンダムは探るような目になった。


「いいえ。知っていただかねばならないのですが。目覚めたばかりなので、……少し、迷っています」

「……タイン。私はそこまで軟弱ではない」


 心外を眉間の皺で示したウィンダムに対して、タインは沈黙で応える。タインから疑いの気配をひしひしと感じて、ウィンダムは居た堪れなくなった。無人島に加え、今回と。見せてしまったものの言い訳はきかない。


「訂正しよう。限定的に軟弱だが、もう落ち着いているよ。死の影は去った。貴女は相変わらず私の婚約者でいる。ならば何も恐れるものはないのだ。現状に迅速に対処せねばならない。情報をくれ」


 ウィンダムは少しの緩みもない、外交官の顔でタインを見上げる。血を多く失い、然程回復もしていない筈であるのによく口が回る。頭はしっかりしているように見受けられて、タインは観念したように口を開いた。

 ユールガルからの迎えは予定通り港に入っており、待機中であること。滞在が延びた分の補給は手配済みであること、領主邸に滞在場所を移しており、危険を理由に使節団の行動範囲は制限され、割り当てられた棟から出られないことを話し終えると、次は崩落の件だ。

 現在商館となっている建物は、まだグルバハルという国がなかった戦絶えぬ時代に、地域一帯を治める首長が巨大な洞窟の上に建てた砦が始まりだった。造船技術が未発達だった時代のことである。当時は北大陸からの船はなく、陸からの侵攻に備えるだけでよかった。海へつながる洞窟は逃走経路として大層有用だったのだ。ウィンダム達が落ちたのは、洞窟の天井に空いている穴を用いた隠し階段の場所だった。近代になり、海からの砲撃を警戒して領主邸が陸の奥深くに移転し、建物は商館として買い上げられた。新たな館主が隠し階段を海に直通できる運搬路として整備しようとしたが、上手くいかず、計画は中止となり階段は封鎖。それが不自然な石の量の正体であるらしかった。封鎖はしたが絡繰りは残っていて、それをツァマーグ族の男達が利用したのだ。絡繰りの仕組みや見取り図がどこから漏れたかなどは、ガーカムの方で調査中である。


「うちの者は参加できていないのか」

「逐次報告を受けることになっていますが、取調べの立会いは拒まれています」

「いくらでも捩じ込めるだろう。理由はなんだ、語学力か? イーノックは何をしている」


 タインは注意深くウィンダムの様子を見ながら、一番伝えにくかったことを言葉にした。


「行方不明です」

「……そちらも狙われたか」


 同時に二つの標的を狙うには綿密な計画や準備が必要であろう。そうまでしてイーノックを消す意味はあるだろうかと、ウィンダムは眉を顰めた。


「いいえ」


 ウィンダムが疑問を纏めるより早く、タインが硬い声で否定した。


「貴方があの時間にあの場所を通ると、事前に知ることができたのは私と彼だけでした」


 ウィンダムは瞼を持ち上げた。ゆっくりと目の力を抜く間に、その意味を理解する。なるほど、と吐息のように呟いた言葉に感情は無かった。


「実行犯の生け捕りが判った時点で逃げたか」

「おそらくは」


 イーノックは内通していたのだ。機会は言わずもがなだ。ツァマーグ領へ行かせたのはウィンダムである。何度あの時を繰り返しても同じ判断をしただろう。元々イーノックにその気があったのか、どこかの時点で懐柔されたのかは判らないが、何れにしても、起こるべくして起こった事だったのだ。

 それ以前に接触していた可能性が無いわけではないが、ウィンダムはそう結論づけることで思考が割かれることを避けた。捜査はウィンダムの仕事ではない。他に優先すべきことがある。

 右手にそっと温かいものが触れて、ウィンダムは伏せていた瞼を持ち上げた。タインの手だ。表情が判らなくても、気遣っているのがウィンダムには判った。


「私は大丈夫だ。今回は私の番だったというだけだよ」


 ウィンダムは表情筋だけで口端を持ち上げ、物言いたげなタインが言葉を発する前に話を移す。


「それで。イーノックがいないなら殿下がお一人で対応しているのだな」

「はい」

「そうか、ならばいなされても致し方ない。殿下と海軍に使いを出したい。それからロチェスター卿を呼んでくれ。あとは…ゴーウーボー卿はどこにいる」

「ウェン」


 タインの咎める声は弱い。


「タイン。事態は待ってくれない。ペンを持つなと言うのなら、代筆を頼む」


 タインとて解っているのだ。頭がしっかりしているのだから仕事はできる。信頼していた部下に裏切られたと知っても、動揺しているようには見えない。そう装っているだけなのかもしれなかったが、そうだとしても、今はそれが必要だからそうしている。ならばタインはそれに乗るしかなかった。

 寝台から出られないウィンダムの元にナディーンを招くわけにもいかず、侍女を通したやり取りとなったが、指揮権は速やかにウィンダムに戻った。ロチェスターには捜査の進捗と使節団の領主邸での扱いを含めた詳細な状況確認をし、ツァマーグ領行きに同行した騎士達を呼びイーノックから受けた報告の裏取りを行う。海軍少佐は現場を離れられないということで、ナディーンの元に訪れることを許されていた伝令が港の状況を伝え、書簡が行き来した。







 ゴーウーボーは枕を背に身を起こしているウィンダムの姿を見て、心底安堵の息を吐き出していた。


「私が呼ばれたということは、まだ、余地があると思っていいのだな?」


 ゴーウーボーは緊張した面持ちで寝台脇の椅子に座る。


「何故あると思えるのだ」


 ウィンダムは冷えた眼差しで答え、ゴーウーボーは息を詰めた。失望、恐れ、葛藤。それらの感情が吹き出しそうになるのを既で押しとどめる。


「卿は、死んでいないではないか」


 やがてゴーウーボーが絞り出すように言った。


「この身を証拠として持ち帰ることになる」


 一度目の襲撃程度であれば、脅しとして誤魔化せる範囲であった。互いに反対勢力を抱えているのは暗黙の了解である。だが隠しようのないこの大怪我を、ただで事故にしてくれるとはゴーウーボーも思っていない。


「卿は戦は望んでいないだろう」

「私はな。だからグルバハルなんぞ討てばよいと息巻く連中を抑える為に奔走したのだ。その労力を、よくもまあ台無しにしてくれる。私は怒るべきだな?」


 ゴーウーボーは、普通は怒るだろう、怒る筈だという時にも感情の窺えないこのウィンダムの目が苦手だった。ゴーウーボーはザムルを拠点に外交の経験を積んできた。だがグルバハル人なのだ。直接的な主張のぶつけ合いを好む。裏を読んだ挙句、実は表が正解かもしれないという、いつまで経っても本心を掴めないようなやり取りは、必要以上に神経を削るのだ。何を狙い、何を引き出したいのか。幾つもの推測の中から一つを拾い上げるのに、時間がかかる。


「謝罪か」


 ウィンダムの片眉が僅かに上がった。それを肯定の反応と捉え、ゴーウーボーの顔には苦渋が滲む。


「無理だ。そんな五十年も前の話。陛下の御代のことでもないものを、頭を下げる謂れはない」


 ましてやいと気高き神の末裔が。王都の会談で結論は出ている。ゴーウーボーはそれを繰り返す他ない。ウィンダムは怒りださない代わりに、表情を動かすこともなかった。それが余計にゴーウーボーの焦りを呼ぶ。

 ウィンダム(ユールガル)が望んでいるものは用意できない。最早決裂か。仕掛けてくるか。だとしてもユールガルが戦の準備をしていた気配はない。これからとなれば此方にも猶予があるだろう。海軍だけ見れば拮抗しているかもしれない。だが陸に上がれば、いや、五十年前は敗けた。然し久しく刃交えていないのだ、これも予測はつかない。いっそ、港を封鎖して時間稼ぎを────


「港が封鎖されなかったのは卿の尽力のお陰かな」


 ウィンダムは素知らぬ顔で口を開いた。丁度思考が重なったがために、ゴーウーボーの心拍数が跳ね上がった。ゴーウーボーには、魂胆は見え見えだと言われているようにも、助け舟を出されたようにも思えて、口振りは慎重になる。


「……ガーカム領主(ヒヅォーグ殿)が過剰に反応しかけたが、踏みとどまってくれた。そんなことをしても我々が不利になるだけの愚行だと、私は解っている」

「賢明だな。卿にはまだ、穏便に交渉をする気があるようだ。……卿を見込んで頼みがあるんだが」


 ウィンダムの態度が軟化したように思えても、そうではないことも多い。経験から知っているゴーウーボーは、食いつきたくなる気持ちを隠すように先を促す言葉を呑み込む。


「この通り、私は渡航に耐えられる身体ではない。だが寝て過ごすのも無為が過ぎるだろう。それで、ツァマーグ領へ挨拶に行こうと思っているのだ」


 ゴーウーボーは目を剥いた。


「何を言っている! 拾った命、捨てる気か!」

「卿が兵を貸してくれるだろう」

「リスクが高過ぎる」


 ウィンダムの要求は国内移動の許可だ。神王の謝罪に比べれば呑みやすい。だがゴーウーボーは、諸手を挙げて頷くこともできない。悪ければ命を落とし、良くても内政の不備をウィンダムに尻拭いさせる形になるのだ。何一つ、グルバハルに利はない。とはいえ取り返しのつかないこの状況をどうにかできる策が、ゴーウーボーにはない。


「ツァマーグの首長は、特に蛮勇を好むそうじゃないか」


 多くのグルバハル人は、危険を承知で身命を賭す行為を好ましいものと捉える。蛮勇は、結果が伴えば勇敢と称えられるべきものになるのだ。ツァマーグの長の傾向も、イーノックによって確認されている。イーノックは裏切ったが、報告に嘘はなかったのだ。ウィンダムはこのリスクを効果的に使えると暗に示した。


「卿らが友好を深める為に他の港町も見て回ってほしいと言うので、我々は滞在期間を延ばしたのだ。まあ、その間に、高低差のある場所でうっかり足を滑らせるのかもしれないな。私は身体能力が高いわけではないから、受け身も取れなかっただろうね」


 最早ゴーウーボーは、否やを唱えることができなかった。






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