27. 直ぐそこにある闇
予定の日数を使い切り、大綱を定めて使節団一行は王城を後にする。ガーカム領までの道程で妨害はなく、イーノックも無事合流した。
ツァマーグでは実行犯が既に捕らえられていたが、厳罰を与えられてはいなかった。前領主に心酔していた者で、強引な首のすげ替えに納得がいかないのは当然であり、命を賭した抗議行動に敬意を表したとのことだった。イーノックは自国の王族の命を狙ったのだからと極刑を求め、現領主の責任にも言及した。だが事は神王の不徳が発端である、問う先を間違っていると退けられ、苛烈な舌戦にもつれ込んだという。結果、話は決裂したのだが、単身であるのに一歩も引かないイーノックの意気は気に入られたようだった。時間切れでツァマーグを去るとなれば、ユールガルには気骨のある人間を育てる土壌があるようだ、まだ来る気があるならお前の主を連れて来い、と送り出されたのだ。どういった意図かまでは計れなかったが、次に繋げられたということである。
「良くやった。少なくともツァマーグを訪れても門前払いはされないということだ。君を連れてきて正解だったな」
ウィンダムは出港を待つ間に、イーノックの無事を祝い労を労うための細やかな宴を用意した。
「今回、グルバハル用の応対を直接見せていただきましたからね。でも冷や冷やものでしたよ。あんな喧嘩腰の応酬、僕ができると思っていませんでした」
「だがやりきっただろう。君の力だよ。自信を持っていい」
イーノックが何よりも優先すべきことは、相手に舐められないことだった。身分も平民で、役職も高くはない中、自身の才覚のみでそれを成したのだ。この場合は肩書きが強くなかったことが功を奏したとも言える。頼もしい部下にウィンダムは杯を軽く掲げてみせる。
「君の労力には見合わないが、帰ったら酒を奢ろう」
宴と言っても、ウィンダムの客室にイーノックを招いて少し豪華な料理を並べる程度のもので、酔い潰れるわけにもいかなかったから、杯の中身も果実水だった。
「ありがとうございます。でもそんな暇ありますかね」
帰国後にすべきことを思ったのか、イーノックは遠くに目線を泳がせた。
「一杯奢るくらいの時間は作るさ。忘れた頃になるかもしれないが」
ウィンダムは苦笑いだ。
「期待せずに待ってます。でも僕より、婚約者を気にした方がいいと思いますよ」
イーノックは懐から紙片を取り出し、ウィンダムに差し出す。ウィンダムは紙片を開くと、片眉を上げた。イーノックの筆跡で時間と場所が書かれ、タインの署名があるそれは、いつかの呼び出しのメモと同じ形式だった。
「帰国したら当分会えないと仄めかしたら、快く応じてくれました」
「いつの間に」
ウィンダムは警護中のタインに話しかけることはない。イーノックには私的に気遣いをする理由がないとはいえ、二度もそれを成したのだから、驚くやら呆れるやら、といったところだ。
「僕は上司思いの有能な部下なんです」
イーノックは澄まし顔で料理をつまむ。ウィンダムは全くだなと、感慨深く頷いた。
指定の時間が程なくだからと、イーノックは手早く腹を満たして辞した。商館の使用人が片付けるのを見届けて、ウィンダムも部屋を出る。部屋を見張る立哨とは別の当番騎士に同行を願おうとして、一旦口を閉じた。二人の騎士のうち片方がクレイグだったのだ。
気兼ねする理由はないが、こういう時の警護がクレイグであるのは如何なものかと思う。
「婚約者との逢い引きなのだが、ついてくるのかい」
直接的な表現で反応を見るのは、ウィンダムが消えて得をする理由がクレイグにはあるからだ。
クレイグは一瞬の動揺を抑え込んで、表情を引き締めた。
「私情で職務を放棄するような人間は近衛にはいません」
「そう願おう」
どれだけ職務に忠実な人間であろうとも、魔が差すということがある。ウィンダムは最小限の言葉で釘を刺した。もう一人の騎士が気まずそうに身じろぎをして、ウィンダムは何気なくそちらに視線を移す。その騎士はそう崩れてもいない姿勢を正した。
「王女殿下に誓って、お護り致します」
「……そう願おうか」
この騎士にとってはとんだとばっちりであろうと思えば、ウィンダムは少しばかり語調を緩めた。
入国時とは異なり、一行は港に程近い商館に滞在している。切り立った崖の上から海や港を直接見下ろせるその商館は、元は砦として建てられたもので、当時は兵を収容していたのだろう棟が複数ある。一行を迎え入れても尚建物が余るほどの敷地面積を有していた。長い渡り廊下を、ウィンダムは足速に進んだ。昼間の茹だるような暑さが嘘であったかのように夜は冷える。廊下には壁がなく、夜気を遮るものはない。見晴らしの良いその場所を通る人影は他には見当たらず、三人分の靴底が石畳を打つ音だけだった。
明日には出港だ。タインとは別の船に乗ることになる。大事な話をする機会は今夜をおいて当分は作れそうになかった。おそらくタインの進退の話を詰めることになる。ウィンダムは方針を固めていた。足は鈍らせないが、気は重い。理解のある男という魅力的な評価を捨てに行くのだ。
騎士の経歴を活かせる案は幾つか用意しているが、タインは落胆するだろう。一度は期待させてのことであったから、尚更だ。タインから話題に挙げたということは、結婚を意識するようになったということではあるが、積極的になったということではないと目している。焦ってはいない。タインに関する全ての権利は、確保済みなのだから。だが一度悪くなった心証を好転させるのは難しいものだ。
ウィンダムの人生の大半は、不利な状況から好転を積み重ねる作業であったといえる。だから不利を過剰に重く捉えることはないのだが、今は必要以上に気が重かった。
だから足が沈んだのは、気の重さからの錯覚かと、その瞬間は思った。
「ラザ……ッ……!」
誰かが服を掴んだ感触を感じながら、ウィンダムは暗闇の中に落ちていった。




