23. 貴方を頼ることはできない
ナディーンを交えた領主との会談は波乱なく終えた。タインは同じ部屋で警護に立ち一部始終を見ていたが、懐疑的なものを含んだままの領主を相手に堂々たる振る舞いであったと、誇らしい気持ちになった。軽んじていた相手の気持ちが変わってゆくのを目にするのは、胸がすくものであった。
一方で、ツァマーグ族を領地から追い出したのだから、領内での危険は去った。これを以て対処を完了する、との領主の態度には不満を覚えた。領内で起こった出来事であるのに当事者意識が希薄に映ったのだ。これはタインに限らず、騎士達は多かれ少なかれ不満に思っている。ウィンダムやイーノック達外交官がその限りではないようなのは、グルバハルに対しての理解度の差であるようだった。
責任の追求や犯人の引き渡しの交渉は、直接ツァマーグ族と行うようにとのことだが、グルバハル国内での移動経路は神王によって指定されている。それを無視して沿岸に向けて戻るわけにはいかない。これはつまり、何も解決せず、次の領地でも同じことが繰り返されかねないということである。神王へはこの一件を記した書状を、ツァマーグ族には抗議、次の領にはツァマーグ族の一時的な締め出しを願う書状を届けさせたが、どれ程の効力があるか判らないというのがウィンダムの見立てだ。
領境では、それまで一行の護衛についていた領兵と、次の領の領兵との引き継ぎがあり、タイン達も次の領の馬に乗り換える。馬を換える必要のない神王の兵が外周を囲んでいるとはいえ、隙の出来やすい工程であるから警戒値は一段階上がる。それでもこの一連の流れは二度目であったから、滞りなく行われた。
移動距離は長い。ずっと張り詰めていてはもたないから、気の緩め時を見極めるのも大事である。暫くするとタインは、ナディーンの乗る馬車の少し前で馬を歩かせながら気を緩めた。グルバハルの大地は全体的には乾いている。その中でも安定して水を確保できる場所に集落があり、そこから遠く離れた領境は暫くは草木がまばらで、全く無い地域もある。良からぬ輩が身を隠せる場所も多くはないのだ。
但し、気を緩めながらも警戒は怠らない。岩陰があれば射線を遮る角度で馬車と並ぶ。丘が近付いてきた時も同様に。そういったことを考えながら視線を巡らせ、馬車との位置関係を調節している。馬車の窓は風通しを良くする為に大きく、簾が垂らされているだけであるから、防衛の観点からすると大層心許なかった。タインだけがこのようなことをしているわけではない。馬車の反対側では別の騎士が同じことをしている。特別なことではなかった。
タインは思う。タインの馬の進め方にそんな思惑があると知れたら、ウィンダムはまた、退役させたがるのだろうと。ウィンダムの望むものがタインの命では、説得材料を見出せなかった。幸い、直ぐに辞めることはできない。早くてもユールガルに帰国した直後だ。それまでに何か考えなければと思い、そう思うのには今までにない心苦しさが伴った。
近衛騎士にすると決めた時点で、家族はタインの死を覚悟済みである。それに対してタインはなんら責を負うことはない。何故なら父が望んだ覚悟であり、母や兄弟姉妹は父の意を受け入れたものであるからだ。そこにタインの意思は介在していなかった。翻って現在は。始めがどうあれ、近衛騎士であることはタインの意志であり、誇りである。ウィンダムの覚悟は、タインが強いるものなのだ。ウィンダムの辛そうな様を思い出すと、自分が酷い人間であるかのような気さえしてくる。
「タイン。どうした。なにか気になるのか」
周囲に鋭い視線を巡らせながら、前を行っていたクレイグが速度を落として馬を寄せた。
「異常はないよ。そっちこそどうしたの」
問い返すと、クレイグは拍子抜けしたように緊張を緩める。
「いや、今すごい顔してたぞ」
「顔」
タインは頬を撫でた。
「嫌なことでもあったか」
タインと同じように馬の位置を調節し、二重の遮蔽物になるようにしてクレイグは隣に留まった。タインはクレイグにそう問われれば、訓練や仕事のことなら話していた。同僚としては、一番頼れる人間だったのだ。今もそれは変わらないが、ウィンダムが関係することをクレイグに相談するわけにはいかなくなってしまった。
「別に。ないけど」
何事もない風を装っても、クレイグはまだ馬を並べている。あまり長く隊列を乱すようだと、他の騎士達からの不審も招いてしまいかねない。
「クレイグは家族とか親しい人に、危ない仕事してるって心配されたことある?」
タインは観念して、迂遠に問うことにした。
「ないなあ。騎士になるって言ったら喜んでたからな。うちは爺さんが英雄だろ? 爺さんの名に恥じないようにしろよっていう心配のされ方だった」
「ああ、そういえばそうだったね」
タインの声に抑揚がなくなる。
ユールガル王国に於いて、王族を護る役目の近衛には、戦で武勲を立てる機会はほぼ巡ってこないといっていい。殊に王女の近衛に敵対勢力の刃が届くということは、それはもう王朝の最期だ。仮令千の敵を葬ったとしても、武勲にならないまま闇に葬り去られるだろう。クレイグはだから、第一王女隊への配属となった時には家族が落胆したのだと、以前言っていたのを思い出した。価値観が違いすぎて参考にならない。
「急に興味なくすなよ。……あ。家出る前なら、乳母には心配されたな。戦があれば行くことになるかもしれない、死ぬかもしれないって」
「なんて答えたの」
「確か……戦になったら騎士でなくても出なきゃいけなくなる。戦い方を知ってた方が生き残れるし、乳母も守れる、みたいなこと言ったと思う」
「納得してた?」
「どうかな。妙な顔はしてたけど、それ以上は言われなかった。まああの頃も、戦が起こるような空気もなかったからな。……なんだ、辞めさせられそうなのか」
クレイグは周辺警戒をしながら話していたが、最後の言葉は探るようにタインを見て発せられた。タインは馬車の様子を確認するついでのように、クレイグを視界から外した。
「そういうことにはなってない」
まだ、とは音にしない。クレイグは物言いたげな顔をしたが、いつまでも私語をしているわけにもいかず、馬を早めて戻って行った。




