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22. 揺らがざるを得ない


 これ以上他国の人間に捜索はさせられないと、射手が捕まらないまま近衛騎士は全て領主邸に戻っている。ゴーウーボーの働きかけもあり、領主はツァマーグ族の者を領から締め出すべく領兵を走らせた。ウィンダムはナディーンに、領主との会談に臨むにあたっての諸注意を伝え、ロチェスターと予定の変更を話し合う。タインはロチェスターに命じられて共にウィンダムの部屋を訪れており、長椅子に座すロチェスターの後ろに控えていた。


「ラザフォード卿もお疲れでしょう。街の視察はなくなったことですし、会食までゆっくりお休みください。警護にタインを残していきます」


 タインは随伴を命じられた時点で予感はしていたから驚きは小さくて済んだが、素直には承服できない。


「この後立哨の交代ですが」

「代わりが行っている」


 タインの遠回しの抗議は敢えなく封じられた。


「ではラザフォード卿、失礼します」


 ロチェスターはタインに目配せをして退室していった。


「女性騎士は殿下の担当から外れないことになっていなかったか」

「心配しているんですよ」


 不審を口にするウィンダムに、タインは小さな溜息をつく。ロチェスターの目配せは任務の激励時と同じ目付きだった。流石に同僚達のように色仕掛けを頑張れとの意ではなかろうが、他の女に靡く隙を作るなという意は感じる。婚約を解消しない旨を報告した際に、ウィンダムの態度が演技ではないことは知られていた。


「心配? ……ああ。ヌースラか。あれは忠告を受けた時に心配ないと伝えたのだが」


 直ぐに何に対してか思い至ったウィンダムは、心外そうに眉を顰めた。


「だが、こうして時間を作ってもらえるなら悪くないな。これも嬉しかった」


 ウィンダムの懐から出てきたのはイーノックが作ったメモだ。署名した時はイーノックの手際に気を取られていて何も感じていなかったが、改めてウィンダムの手にあるところを見ると、タインは気恥ずかしくなった。そっと目を逸らす。


「話したいことがあったものですから」


 予定が変更されたために、メモ通りの呼び出しもついさっき叶わなくなっていた。そういう意味ではロチェスターは良い仕事をしてくれたとも言える。ウィンダムが長椅子の隣を促すので、タインは少し迷ったが腰を下ろした。ロチェスターの言葉は明らかに建前であったから、構わないだろうと判断したのだ。


「不安にさせたか」

「いえ、それは大丈夫です」


 タインのあっさりとした返事に、ウィンダムは微妙な顔をした。


「説明はいらないか」

「見たままでは」

「それはそうなんだがもう少し……いや、疑われていないならいいのだ。いいのだが……まあ、なんだ、貴女の話を聞こうか」


 ウィンダムは少しばかり気落ちした様子で促す。ウィンダムはおそらく、すれ違い要素は排除すべし、を体現していたのだ。伝わっているのだから満足するところなのではと、タインは首を傾げた。だが折角話せる場が調ったので、そちらを優先することにする。


「結婚に大事なことを何も話していなかったので」

「ああ、そうだな。貴女の特別任務が解かれてからと思っていたんだが、時間が取れなくてすまない」


 ウィンダムは直ぐに気持ちを切り替えたように姿勢を正した。


「いえ。私も帰国してからと思っていたんです。でも、よく考えたら帰ってからも忙しいですよね」

「そうだな、暫くは」


 帰国後も本件の結果を纏め報告、各所との交渉、会議と、ウィンダムに休んでいる暇はない。話す機会がある時に済ませてしまわないと、何も話さないままの結婚になりかねなかった。


「私の進退についてなのですが。私はあと五年は辞すつもりがなかったものですから、結婚を機に、というのは少し……いえ、大分抵抗感があるんです。……ウェンは子供についてはどう考えていますか」

「子供は欲しいよ。ただ、まあ。五年ならまだ、可能性はあるだろう。貴女の身体の負担が心配ではあるが」

「そこは……私の身体はそこらの貴族女性より余程頑丈にできています。幾らかとうの立った出産にも耐えられるよう、身体造りを怠りません」


 タインは話を聞いてくれると思ってはいたが、丸々五年待ってくれるとは思っておらず、驚き半分、期待半分で声が弾んだ。

 ウィンダムは言葉を発しようと口を開いた状態で止まり、出かけた言葉を呑み込むようにして天井を見上げた。そのまま腕を組み目を閉じると、苦行を強いられているかのような重苦しさが漂い出した。


「……ウェン?」


 不安を覚えて、タインの問う声は小さくなる。


「私は度量が小さいのだろうな」


 やがてぽつりと零された言葉に、今度はタインが様子を伺うように黙った。


「この程度のこと、私にも頷けると思っていたのだ。貴女が近衛騎士であることを誇りにしていることは知っている。そうなる為に生きてきた過程があったからこそ今の貴女があって、だから私は貴女が眩しく、愛おしいのだ」


 だが、とウィンダムは言葉を切った。愛を囁くにしては空気が重く、雲行きが怪しい。タインには解けたはずの緊張が舞い戻っていた。ウィンダムの眉間の皺が深くなる。


「肩の怪我は酷くはなかったのか。服に血が滲んでいるのを見た」

「ええ、掠っただけですから。毒もありませんでした。剣を振るうにも支障のない程度のものです」


 戸惑いながら答えるタインをちらりと横目で見て、ウィンダムは眼鏡を外す。何かを拭い取りたいように顔を片手で撫でると、目元を覆ったまま俯いた。まるで項垂れるが如くの様に、タインは更に戸惑う。掠る程度で皮膚が切れたのは、暑さで倒れるよりはと鎖帷子を脱いでいる所為であり、騎士達の間では何事も無いに等しい程の軽傷なのだ。


「貴女は殿下の代わりに死ねるのだな」


 タインは一瞬、何を言われたのか判らなかった。重い溜息と共に言うようなことではないからだ。近衛騎士とはそういうものである。ただ王族を飾り、威厳を演出する為だけのものではない。


「私は少し、近衛の職務を甘く見積もっていたようだ」


 ウィンダムの声には苦渋の気配が滲んでいた。タインは不思議な気持ちでそれを聞く。近衛騎士にとって、王族を護って死ぬことは名誉なことである。そうして殉職した者には、勲章だって与えられるのだ。父母でさえ、今回の件を話す機会があればよくやったと褒めることだろう。


「……いや違うな。知っているだけだったのだ。それが身近な…私自身が受け入れなければならないことだと、真に理解が及んでいなかったのだ。……今すぐ辞めて欲しいと言ったら、貴女は私に、幻滅するのだろうな」


 顔を上げないウィンダムを見ながら、タインは名状しがたい感情が胸の奥で燻るのを感じた。反発ではない。世間体やウィンダムの矜持に基づいた言葉であったなら、湧き上がるのは不快感であっただろうが、それでもない。


「いえ、幻滅、は、しませんが」


 ウィンダムはタインを失うことを恐れている。これはそういうことだと理解すれば、ごく自然な結論だということも理解はできる。だからといって辞めるとも言えず、タインは言葉に窮した。


「すまない。貴女が困るというのは解っているのだ」


 ウィンダムは顔中を揉むように片手で撫でると、漸く顔を起こした。


「ウェンが、破格の対応をしようとしてくれていることは解っています。我儘を言っているのは私の方ですから」


 タインは首を振った。妻に仕事をさせない。結婚と同時に子作りを始める。それはユールガル貴族にとって普通のことだ。ウィンダムの思考が柔軟であったから、通常では許されないことも許されるのではないかと、甘えが出てしまったのだ。


「違う、そうではない」


 眼鏡を掛け直したウィンダムは、タインの気落ちしたような表情を目にして眉を寄せた。


「私との結婚を、そんな顔をさせるものにしたくないのだ。続けてもいいと答えるつもりだった。今日までは。だが───あんな身の挺し方を、あれを許すのかと思うと」


 ウィンダムは、ああくそ、とタインと反対側に顔を向けて小さく吐き捨てた。


「ただ。私の覚悟が足りないだけだ」

「……覚悟、ですか」


 ウィンダムの口から乱暴な言葉が出てきたことに、タインは少なからず動揺する。無人島で不自由な暮らしを強いられていた時でさえ、聞いたことがない。


「近衛騎士を妻にするという覚悟だ。……騎士の妻達が皆しているだろう覚悟を私ができないなどと、情けない話だな。私は彼女達を尊敬する」


 ウィンダムの声音に自嘲が混じるのも、タインは初めて耳にする。

 ただ、妻達とウィンダムでは、同列に語ることはできないのではないかとタインは思った。妻達は受け入れるしかないだけだからだ。食い扶持や騎士の妻という立場を失うのだから、次の生活基板に当てがあるのでなければ、辞めて欲しいなどと言えよう筈もない。夫の立場であるならば覚悟しない道を容易に選べるのだから、それは迷う余地もあろう。


「情けない、のかどうかは判りませんが。この件は、日を改めて話し合った方がいいというのは判ります」


 衝撃を受けた直後のウィンダムだけではなく、ウィンダムの思いがけない反応にタインも戸惑っている。互いに納得できる着地点を見出せる状態にはないのではないかと思ったのだ。


「そう、…だな。……タイン。暑いところ悪いのだが、矢張り、抱きしめてもいいか」


 ウィンダムは首肯し、指をタインの手に伸ばした。その触れ方は存在を確かめるかのようで、眼鏡の奥の目には切実なものがある。タインはおずおずと頷いていた。ありがとうと呟いたウィンダムは、タインの左肩にそっと触れる。


「痛くないか」

「大丈夫です」


 ウィンダムはそこから手を滑らせて、患部に触れないように背の中程からタインを抱き寄せた。タインの右肩で、感に堪えないような、深く、長い息が吐き出される。抱きしめる力は強く、密着していれば暑いのだが、タインは抗議をしなかった。大事がなくて良かったと、絞り出すような声が聞こえたからだ。何も言えなかった。だた、気付けばタインもウィンダムの背に手を回し、宥めるように撫でていた。






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