21. 好機は作り出すもの
宿泊予定の領主邸では先触れが正常に働き、予定より早い使節団の到着にも慌てず招き入れられた。
領主の言い分はこうだ。グルバハルには幾つもの部族がおり、部族によって頭巾の巻き方も色も違う。射手は赤銅色の頭巾であったから海岸沿いの部族の者で、我が部族は無関係であるから、抗議は射手の部族に行うように、と。
ウィンダムはそうですか、とはしない。
「神王陛下の絶大な求心力があってこそ、異なる部族が一つに纏まっている稀有な国であることは、よく知っているつもりです」
グルバハルという国になる以前は、大きくは海の民、砂漠の民、山の民、その中で更にいくつもの部族に分かれていて、それぞれがそれぞれの地域の支配者として群雄割拠していた。それを共通の神で一つの国に纏めたのが神王の祖である。返せば神王がなければ分裂し、対立する。何百年と経った今でも隣り合った部族の仲が悪いことも多く、良くも悪くも部族間の独立性は保たれているのだ。
「私ならば、その言葉に直ぐに頷けます。ですがそれは、ユールガル王国の中で此方の文化、歴史に一番明るいのが私だからです。多くのユールガル貴族はユールガルの常識で考えるでしょう」
領主はどういうことかと眉を顰め、初対面のユールガル人よりも信頼のおけるゴーウーボーに、解説を求める視線を投げた。ゴーウーボーが神妙に口を開く。
「ユールガル王国では議会に相応の力があります。各地域の領主である貴族達が国の政策について話し合い、意見を通せるのです。そこで声をより大きくする為に派閥なるものが生まれ、派閥内の結びつきは強いものとなる。貴族達は領主としては独立していますが、結託も容易にするものなのです」
「つまり俺が矢を射掛けた部族と通じていると、そう取られると言っているのか」
言わんとしていることが正確に伝わり、領主の肘掛けを握る手に力が入った。語気が憤りで揺れている。
「やるのであれば我が土地に踏み込んだ瞬間に首を飛ばしておるわ! 他の部族を使ってではない、我々の手によってだ!」
「この地に我々を快く迎え入れ、安全に心を砕いて下さっていることは、これまでの道中で十分理解しております。神王陛下にもよく伝えておきましょう」
ウィンダムは穏やかに矛先を流し、領主は憤懣の全てを発露し損ねて、唸る。
「国交をと言うなら、そちらの国にも我らの有りようをよく理解するよう、伝え広めてもらいたいものだ」
「勿論です。私も尽力している最中ですが、実際にこの地を訪れ、学ぶ機会を得た王女殿下も力になることでしょう」
「王女が?」
領主は言葉にはしなかったが、口調に疑わしさを隠しもしなかった。
グルバハルでは神王の元に生まれようとも、女性が男性と同等の力を得ることはない。神の血は、男にのみ受け継がれるものとされているからだ。妃にしてもそうだ。孕み腹であるだけで、政に於いて、妃自身にはなんの権限もない。故にナディーンは王女とはいえ、これまで領主夫人との会食はあっても、領主との会談の類には呼ばれなかった。使節団の実質的な代表はウィンダムと見做されているのだ。団長であるから間違いではないが、このままでは我が国の王族を蔑ろにしたのかと、ユールガルの反対派に燃料を与えてしまいかねない。賛成派とて、眉を顰めるだろう。ウィンダムはこの機会を逃さなかった。
「王女殿下は王位継承権の順位こそ低いですが、婚姻により、国政に大きな影響のある有力者と王族を結びつける役目を担っています。そこから理解を広める大きな力となるでしょう」
「ザムルの王女のようなものか」
五十年程前に輿入れしてきたザムルの王女は、グルバハルでは考えられない使い道があった。グルバハルのザムルへの影響力を強めたのだ。領主には判りやすい例だったのだろう。ゴーウーボーがウィンダムの反応を気にするような目をしたが、ウィンダムは特に引っかかりは見せない。
「そうですね、ユールガルでは王の血は女性の中でも生きていますから。直接国政に携わらずとも、相応の影響力があるのです」
言葉の意味を吟味するように領主は押し黙る。
「では少し、話してみるか」
やがて出た結論に、ナディーンも会談の場に呼ばれることとなった。
会談の仕込みに取り掛かろうとするウィンダムの客室に、一言申さねば気が済まないとばかりにゴーウーボーがついてきた。
「勘弁してくれ。事を荒立てたいわけではないだろう」
共に入ってきた近衛騎士の耳を気にするように目を向け、ゴーウーボーはグルバハル語で苦情を述べた。
「彼は大丈夫だ、少し外してくれ。何かあったら呼ぶ」
ウィンダムが告げると、友好的には見えないゴーウーボーを気にしながら、渋々といった体で騎士達は出て行った。
「いや、申し訳ない。各領主の独立性が極めて高いことは承知しているのだが、どうもユールガルの常識から抜け出せなくてな」
「卿はそれを、領主の反応で直接確認したかったのだろうが、あれはぎりぎりだぞ」
ウィンダムはとぼけるも、ゴーウーボーには通用しない。
「何を言う。説明したのは卿ではないか」
「どの口が」
説明せざるを得なくしたのはウィンダムである。ゴーウーボーは恨めしさで睨みながらも、罵倒は呑み込む。それを見ながら、ウィンダムは自分がまだまだなのはこういうところなのだと思う。ゴーウーボーもウィンダムよりは年嵩だが、こういった反応を見せる程には若いということだ。
「それにユールガル人は、頭巾など幾らでも偽造できると思っているからな。うちの騎士達は全く納得していないよ」
「そんなことをしたら、誇りを捨てたのかと部族から放逐確定だ。長が指示することもあり得ない。それを理解させるのが卿の仕事だろう」
「それがユールガル人には理解し難いのだ。戦を仕掛けるのでなければ、所属表明など一族の破滅を呼ぶだけだからな」
「その行いに正義があるのだから隠すべくもない。部族を偽らねばならないなど、薄汚い行為をしているのだと言っているようなものだ」
良くも悪くも誇り高い。ウィンダムはグルバハル人の厄介なところはこういうところだと思っている。何をするにも己の正しさを疑わないから、退かせるには苦労するのだ。反面、責任の所在が明らかなのは面倒がなくて良いところだとも思っている。
「その正々堂々襲撃したのは、海沿いの部族ということだが」
「ツァマーグ族だ。あそこはつい先頃首長の交代があってごたごたしているから、纏めきれていないのだろう」
船の件で、グルバハルが首謀者として処理した領主の部族の名だ。部族の名は、そのまま首長の治める領地の名となっている。ゴーウーボーは、纏めきれていないツァマーグ族が悪いのだ、といった平然とした態度だ。だかからウィンダムは、当事者意識を持ってもらうことにした。思わず思ったことが口に出てしまったかのように呟く。
「神王陛下の威光も海までは届かないのだな」
「何を! 届いているからこの程度で済んでいるのだ!」
ゴーウーボーは神経を逆撫でされたが如く、眦を吊り上げる。
「それは後始末が迅速だったことを言っているのか。ユールガルでは証拠が出揃わないうちから国王陛下の一声で、とはなかなかいかない」
ゴーウーボーは激昂を呑み込んだ。何を言われているのかに気付いたのだ。そして失言にも気付き、咄嗟に誤魔化しが思いつかなかった。
「……もう処した。その件は終わったのだ」
ゴーウーボーも、外交官としてザムルで暮らしているのだ。他国に対してはそれが通らないことは知っているから、絞り出すような声になった。
「この国ではね」
ウィンダムはゴーウーボーのその認識を少し強調するだけでいい。
「……其方の子爵から辿り着いたのか」
ゴーウーボーは探るような目をした。ウィンダムは正直である必要はない。
「ユールガルまで伸ばせる手もないというのに、隠せると思う方がどうかしている」
「処理は終わっている。蒸し返すな」
冷ややかなウィンダムの目から視線を外し、ゴーウーボーは苦々しく繰り返すばかりになった。
「処したことならグルバハルの法の下のことだ、何も言う権利はないがね。それを正直に報告すべきだった。ただでさえグルバハルの印象は悪いのだ。この上更に簡単に嘘をつく卑劣な国との認識を与えたわけだが───この話を壊したいのはグルバハルの方では?」
「……私の、独断だ」
「苦しいな。神王陛下は我が国を随分と侮っておいでのようだ」
ウィンダムは鼻で笑った。ゴーウーボーに、そこまでの権限があるわけがない。
「違う、そうではない!」
声を荒げたゴーウーボーは、ウィンダムの見透かすような目に行き当たって勢いを呑み込んだ。
「そうではないのだ」
言い訳も組み立てられない様子から、歯痒さが垣間見える。海の向こうの世界を知るゴーウーボーの知見を、神王が適切に活かせていないのだろう。神王が愚鈍であるのか、ゴーウーボーが然程信用されていないのかは判らない。何れにしても、ゴーウーボーはこの件を報告すべく王都へ使いを走らせ、ユールガルの機嫌を取るべく便宜を図ることになるだろう。
「取り繕う時間を差し上げよう。幸い、王都はまだ遠い」
ウィンダムはまるで慈悲深いような顔をした。




