20. 実用性はまだ銃より高い
体調を整えたユールガル使節団は、王都へ向けて南下する。窓硝子の代わりに簾を使った馬車にナディーンを乗せ、侍女達や文官達も馬車で続く。第一王女隊が騎馬でそれを囲み、更にその周りをグルバハルの騎馬隊が囲んでの行進である。
一行を受け入れられる規模の邸に泊まっては進む行程は国内移動の際と変わらないが、暑さの分、余裕を持った移動になる。途中で街があれば、休憩を挟むのだ。その度に案内役のゴーウーボーがナディーンの接待に出てきて、ウィンダムが間に立つように付き添う。そこに通訳のヌースラも加わるので、近衛騎士達は光らせる目を分散させなければならない。
ヌースラはユールガルから連れてきているが、その浅黒い肌が示す通り、グルバハル人である。国交反対から意見を翻した伯爵の愛人なのだが、仮令現伯爵夫人が死しても、妻になれるわけではない。どれだけ愛されていてもずっと愛人なのである。更には元は娼婦であったとのことだから、近衛騎士達の中でヌースラをナディーンに近付けることに、抵抗感のない者はいなかった。どんな悪影響があるか判らないし又、現在がどうあれ、グルバハル人なのだ。間諜である可能性を誰も否定できないのである。
自分がどう見られているのかよく解っているのか、今までヌースラは、ナディーンの通訳として逸脱した行動をとったことはなかった。目立たないように控え目に、ただ与えられた役目を果たすためにここにいる。そういう態度であったのだが、街に出るようになってヌースラの様子に変化が表れた。
グルバハル語を解するウィンダムがいて、ゴーウーボーもユールガルやザムルで通じる北大陸語が話せるのだから、本来ならば通訳は必要ない。ヌースラは部族間の交易が盛んな町の生まれで、各部族の人間が行き交う場所で育った為、他部族の言語にも多少は明るかった。物資補給などの所用で使いに出される侍女や騎士に同行する為にヌースラが控えている。そういう名目である筈なのに、用がないはずのウィンダムに親しげに擦り寄るのだ。不自然にならない機会を狙いすましているかのようだから、ウィンダムの動向を注視していると見受けられた。
それだけであるからユールガルに害なす不審な動きとは言えないが、隊内では議題になった。色目を使っている、ハニートラップでも仕掛ける気なのではないかと。だがウィンダムの対処にはそつがなく、今のところは騎士が動くようなことではない。それでも捨て置くには微妙なところであるから、タインが指示を受けた。ウィンダムをしっかり掴まえておくようにと。
タインは無茶なと思った。具体的にどうすると言えない状況であるから仕方がないのだが、丸投げはタインも困る。大体にして、内容が騎士業務ではない。警護中に割って入るわけにもいかないものを、どうしろというのか。
それ以来立哨で共になったり、騎馬で隣り合ったりすると男達に声をかけられる。
「男がぐっとくる誘惑方法教えようか」
「ただ攻めるんじゃ駄目だ、男爵の性癖知ってるか? そこを攻めなきゃ意味がない」
彼らは心配なのだ。何故なら彼らにとってヌースラは、豊満な肉体と色気を兼ね備えた魅力的な女性なのである。世の大半の男が落ちると見立てているのだ。
街で一番大きな商会の邸に落ち着き、深夜になると、タインは立哨の交代に出向いた。常ならば速やかに交代がなされる。その日も異常無しと、引き継ぎの言葉は一言であったのに、その後が長かった。
「いいか、色気ってのはな、滲み出てくるもんなんだ。作るものじゃない。今まで色気のいの字もなかった女が急に出そうったって、きも…いや、態とらしくなるだけだ。ただまあ、持って産まれていない場合でも、経験するうちに滲み出て……あっ、そうだよそんなの、それこそ婚約者なんだから男爵に引き出してもらばあ゛ッ!?」
じわじわと苛立ちを溜め込んでいたタインは、親切に教授しようとするノックスの鳩尾に肘を入れた。ミスティーがくの字になっているノックスを、汚物を見るような目で見ながら引きずってゆく。一度振り返ったミスティーの目は後は任せろと言っており、タインと共に立哨に入った男は、固く口を引き結ぶことを選んだ。
タインは自分に男好みの色気がないことは理解している。散々言われてきたのだ。だから苛立ちの正体は、ことあるごとに似たような心配をされることだと思っていた。真剣なだけに質が悪く、いつもの倍煩わしいのだ。だが、日に日にウィンダムとの距離が近くなってゆくヌースラを見るにつけ、それだけではないと気付く。
今日もタインの目の前で、話しかけるついでとでもいうように腕にそっと添えられるヌースラの手を、ウィンダムがさりげなく外すという静かなる攻防が繰り広げられている。その際の残念そうなヌースラの目の使い方に、確かに色目を使っているな、と思った時だった。不快感がじんわりと胸の奥底に留まったのだ。戸惑いは覚えなかった。ウィンダムは自分の夫になる男なのだ。それはもう十分受け入れていて、一夫多妻制のグルバハルとは違い、夫を誰かと共有することを良しとする価値観はないのだから、当然である。だがウィンダムにヌースラの誘惑に応える気が見られない以上、タインは何もする必要はないと思っている。それでも気持ちの良い光景ではないから、もやもやしたものは溜まる一方だった。
「非番の時に会いに行ってあげてくれませんか」
さりげなくタインの隣に立ったイーノックが、小声で話しかけてきた。警護中に大っぴらに私的な会話に興じるわけにもいかないから、タインは疑問を目で示した。
「局長、ヌースラさんの件で不安にさせてないか、気になってるんですよ。でも自分から触れると疾しいところがあるみたいじゃないですか。切り出し難いみたいです」
このもやもやは不安から来るものなのかとタインは自問する。否、純粋に苛立ちである、と直ぐに結論が出た。ヌースラの行動が気に入らないだけだ。ウィンダム自身の振る舞いでウィンダムの気持ちは疑いようがない。イーノックの言からもそれは十分察せられる。であるならば、ウィンダムに何を説明されたところで、収まるものではないように思えた。
「ウェンに大丈夫だと伝えていただけますか」
だからそれで十分だと判断して、タインは小声を返した。
「え、いやあ……それはそれで誤解を生みそうなんで、直接話してあげてくれませんか。部屋に行くのは抵抗感があるようでしたら、僕、呼び出しに協力しますよ。こっちに来てから貴女から会いに行ったことないでしょう。きっと喜びます」
そう言われてみれば、手紙にしろ、グルバハルに入ってからの時間にしろ、全てウィンダムからの働きかけだ。こういったことに公平も不公平もないとは思うが、タインは少しばかり据わりが悪くなった。ただ、ウィンダムの部屋の前でも同僚が立哨に入る。非番だとて、寧ろ非番の時こそ部屋は訪ね難い。今の心配されている状況では尚更だ。イーノックの申し出は実にありがたかった。
「そうですね。では、後程よろしくお願いします」
タインは本日宿泊予定の邸に落ち着いてからと思ったのだが、イーノックがさっと紙片とペンを出した。ウィンダムの予定とタインの非番の擦り合わせが瞬く間に行われ、ウィンダムへの呼び出しのメモが出来上がる。警護中であることを慮ってのことだろう、タインはそこに自分のサインを書くだけだった。手際が良すぎて、ウィンダムに仕事のできる男と言わしめた片鱗を見た気がした。
イーノックはそのままタインから離れ、ウィンダムとヌースラの間に入り込んでいった。タインはいつかのジョセリンのイーノックに対する推測は、矢張り邪推だと認識を深め、意識を周辺警戒へと切り替える。
直後。ナディーンの背後を護っていたタインは刺さるような視線を感じて、顔を上げた。少し離れた屋根の上に、此方を狙う矢尻が見える。
「殿下伏せてください! 八時方向、屋根の上だ!」
タインはナディーンと周囲に声を放ち、蹲み込んだナディーンに覆い被さった。矢はタインの肩を掠め、ウィンダムを庇うようにしたクレイグの足元の地面に刺さる。直ぐ様侍女達が日傘でナディーンを隠し、騎士達が密集するようにそれを囲む。二射目はない。屋根から射手の姿も消えた。一部の騎士とグルバハル兵が、射手を捕らえるべく人波を掻き分け駆けてゆく。突然の統率の取れた行動に驚いた人々が、何が何だか判らないまでも逃げたり立ち竦んだりと、場は混乱した。
「殿下、お怪我は」
「ないわ」
タインはナディーンを立たせる。一行はグルバハル兵が人々を恫喝しながら作った道を行き、馬車に戻った。




