18. 結果、燃料になった
領主邸への滞在期間は、身体を暑さに適応させる期間でもある。交代時間や水分補給、食事の摂り方を試行錯誤し、警護を正常に機能させる為の最適解を導き出す。その際に、二つある水筒のうちの一つは中身がビタになっている。作り方が簡単なこともあり、隊で消費するビタは自分達で作ることになった。味が濃くて、何かしらの薬物を入れられても気付きにくいからだ。
タインが担当の日の早朝、ビタを作る為に隊に開放されている厨房へ行くと、クレイグが既に作り終えていて、あとは各人に配るだけとなっていた。
「いくらなんでも早すぎない?」
硬い皮を剥き果肉をすり潰す作業は、簡単でも量があれば相応に時間がかかるのだ。全員の分を作らねばならないから、三人一組で作る筈のものだった。もう一人の担当者がいるわけでもない。
「ちょっとお前と落ち着いて話したくてさ。ノックスには先に出てもらった」
クレイグは一度廊下に人通りがないか確かめ、厨房の扉を閉める。
「なあタイン。お前本当にあの人で大丈夫か」
クレイグは不服と不安の入り混じった表情でタインを見た。
「あの人?」
「ラザフォード卿」
タインは内心身構える。クレイグは頭を冷やすと言っただけであるから、納得はしていないとは思っていた。
「どういう意味?」
「いや………俺、多分脅されたんだ、あれ」
「え? どれ? あんたウェンのところに押しかけたの?」
言いにくそうにしているクレイグに、忙しい人になんてことをと、タインは目を剥いた。
「違う。呼び出された」
「えっ」
タインはもう一段階目を剥いた。忙しい人がなにをやっているのか。
「あの人、怖くないか」
クレイグは真顔だ。
「どんな脅され方したのよ…」
タインは現場を見ていないから、頷きようがない。
「なんていうか……気がついたら追い詰められてて……違うな、俺が勝手に自滅した…いや、もしかして自滅させられたのか……?」
要領を得ないので、タインは結論が出るまで黙って待つ。
「なんか、こう……色々あって、怖かったんだよ。笑顔が。そこでその顔かよっていう」
「うん、ぜんっぜん解んない」
タインも真顔になった。クレイグは短く簡潔に事実のみ述べよ、という報告の基本が、綺麗さっぱり頭から抜け落ちているようである。
「そうだあれは………どう処するべきか丹念に調べて結論を下す監察官みたいなことだよ! あんな冷静に恋敵を対処するか普通!? あれどういう気持ちなんだよ、どこに感情の切り替えあるんだあの人!」
「え、いや落ち着いて!? あの人普通に感情豊かだよ!?」
「なんだそれ惚気か!?」
「なにが!?」
驚愕するタインを見て、クレイグは我に返った。眉尻を下げるようにして息を吐き出す。
「あー、悪い。だからさ。俺はお前が好きだから、心配だし、納得できない」
「あ、うん。だからそれはごめん」
「待て、早い。まだ話は終わってない」
「ごめん。期待持たせるようなことはできないから」
「でもお前、あの人に惚れてないだろ。それだけで十分期待する要素だよ」
クレイグは弱ったような苦いような、複雑な笑み方をした。
「それは、」
それを言われるとタインは辛い。嘘でも惚れていると言えば納得してもらえるのか、だが真剣な相手に対してそんな不誠実な対応もないだろうと、言葉に迷う。
「ごめん、困らせたいわけじゃない。でももし、あの人から逃げたくなったら俺を思い出してくれ。婚約解消できないなら、できる道を探すのも手伝うし、それ以外だって俺はできるよ」
「……それ以外って何?」
濁された部分に不穏なものを感じ取って、タインは問わずにいられなかった。
「駆け落ちとかさ。でもタインはそういうこと、したくないだろ。だから俺にはそれくらいの気概があるってだけの話」
軽い口調だったが、タインはその想いの強さに怯んだ。クレイグとて、近衛騎士になるまでの過程が簡単であったわけではない。苦労して得たその立場と信頼を捨ててもいい程、タインとの未来を欲していると言っているのだ。恋心を抱きかけていた十代の頃であったら、受け入れることができたのだろうかとちらりと思ったが、それこそ無意味な想像だ。ただ、そこまで想いを寄せてくれる人間は、そういるものではないということは判る。ウィンダムとて、全てを捨ててとはいかないのではないかと思う。
「……ありがとう」
タインは呟いた。心配する気持ちが言わせたのだろうから、言葉は受け止めたい。だからといって、同じ気持ちを返せはしない。クレイグへの気持ちは既に落ち着いてしまっている。複数の人間の人生が狂うようなことを、受け入れられもしない。
「でもごめん」
だからタインは同じ言葉を繰り返す。
「まだ謝罪は受け取らない」
クレイグは弱ったように微笑んだ。




