17. 報告は正しく受け取った
翌日には騎士服に合わせた濃紺の頭布が全隊員に支給された。頭布用の布はユールガルで作り持ち込んだもので、現地の人間にはグルバハルでは出せない色だと一目で判るらしく、ユールガルの紋章も刺繍されていて、全面的に阿ているとは受け取られないとのことだった。
それらの説明と巻き方講座の後、クレイグはウィンダムに割り当てられた客室に呼び出された。先日、タインとの言い争いに止めに入ったのが外務局の人間であったから、ウィンダムにも話がいっていたのだろうと、クレイグに驚きはなかった。書き物机を挟んで、ウィンダムの正面に立つ。
「不特定多数の人間に見られるような場所で、タインに迫っていたそうだね」
ウィンダムは挨拶もなく静かに切りだした。内容は予測できていたが切り口が予想外で、クレイグは引っ掛かりを覚えた。
「不可抗力だが、身持ちの悪い令嬢と悪評が立ってしまったのは知っているだろう。それが今は殆ど消えかけているというのに、君はそれを再燃させたいのかね」
「……配慮は足りませんでした」
その点に関してはクレイグはぐうの音も出ない。海を隔てていてるとはいえ、同僚にも目撃されてしまっている。軽率な人間と見做されたのだ。帰ってからも似たようなことをされては敵わないと、釘を刺したくなる気持ちは解る。これは素直に反省すべきことだ。だが婚約者として先ず抗議すべき点はそこではないのではないかと思う。これでは、誰にも見られない場所なら手を出してもいいと受け取れてしまう。先日の光景はなんだったのか、ウィンダムはタインにベタ惚れではなかったのかと疑念が湧いて、クレイグは思わず確認の口を開いていた。
「貴方はタインに惚れているんですよね」
ウィンダムはそれが何か、とでもいうような眼差しで見返した。それにクレイグは苛立ちを覚えた。惚れた女に手を出した相手と解っていて平然とした態度で対峙できるなど、クレイグなど眼中にないと言っているようなものだ。抗議の内容も、タインが相手にするわけがないと思っているからこそというのなら、納得がいく。
「でもタインは貴方程、貴方に好意があるわけじゃない」
ウィンダムが泰然と構えているのが気に入らなくて、クレイグは一矢報いたくなった。
「知っているよ」
これまた平然と返されて、クレイグは眉を顰める。
「なら、開放してくれませんか」
「何故」
一向に感情の起伏が見られないウィンダムの問いに不気味なものを感じて、クレイグはたじろいだ。
「な、ぜもなにも。心の底からタインを想っているのなら、タインの意思を尊重するべきでしょう。タインの人生設計に結婚はなかった。それを強引に必要のない政略で縛るなんて、卑怯だとは思いませんか」
近衛騎士にすると決められた娘は、死や怪我の可能性を見越して、親が政略結婚の数には入れていないものなのだ。王家に捧げたものという建前で、貴族との結婚は初めから予定されていない。そもそも無事採用されれば婚期を逃すのだから、予定しようもないのだ。
「必要のない政略はないよ。エグランデ侯爵にとって利のあることだ。勿論私にもね。それを詳しく君に説明する義理はないわけだが、君が引っかかっているのはザムルの血か」
「……いえ」
勢いで貶めるような発言をしてしまったが、それは気に入らない理由を後付けしただけだ。己の稚拙さに恥じ入る気持ちがクレイグの言葉を詰まらせた。
「では、狙っていた獲物を横からかっさらわれた恨み言ということでいいかな」
確かにそうだと思ってしまったから、クレイグは息を呑んだ。だが納得のいかない気持ちまで呑み込むことはできなかった。挑むように眼差しを強くする。
「恨み言ではあるかもしれません。俺の方がタインを知っているんです。剣技の劣る相手に力で負けて泣いたことも、初めて兎を捌いた日、その肉が飲み込めなくて吐いて、怒られながら食べたことも、初めての実戦で賊を殺せなくて落ち込んだことも、全部。あいつが近衛になる為にどれだけ努力してきたか、俺は全部見てきた」
それで、と目で話を促すウィンダムには心を動かされた様子もない。悔しさでクレイグの目つきが尚のこと険しくなった。
「俺はただ伯爵家の息子というだけですから、余計な悪意に巻き込んで苦労をさせることはありません。その代わり社交界での立場を与えてやることもできませんが、あいつはそんなことは望んでいない。あいつが望んでいるのはこの先体力が許す限り騎士でいることで、女官になることです。俺は退役する時まで待てるし、気持ちのない結婚を強要することもありません。本当に惚れているのなら、タインの気持ちを思いやってください。それができないなら、引いてくれませんか」
「君は夢想家だな」
ウィンダムの言葉には単なる感想以上のものは含まれていないのに、クレイグは馬鹿にされた気分になって、心がささくれた。
「どういう意味ですか」
「要は、タインの気持ちが伴っていないから納得できないと言っているんだろう」
「ええ」
宜しい、とでも言うようにウィンダムは頷いた。
「私は奇跡は信じていないのだ」
クレイグは話が飛んだのかと思って一瞬気がそがれたが、そうではなかった。
「同じ熱量で愛し合える夫婦が、この世にどれだけいるのだろうね。それは奇跡のような確率なのではないかな。結果的に奇跡だった、ということはあるだろう。だが何故それが自分に起こると思えるのか、私は不思議でならない。起こってもいないうちからそれを当てにするのは実に非合理的で、危険なことだと思わないか」
「……それは。タインの気持ちは欲していないということですか」
「過度の期待はしていないということだよ。夫婦として暮らしていく中で、いつか心を寄せてくれたら私は嬉しい。それはそんなに、許し難いことかな」
クレイグは口を噤んだ。
クレイグは想う気持ちの分、タインからの気持ちを求めている。同じものを返してもらえたらそれが恋愛成就で、幸せな結婚ができるのだと思っていた。自分達の間には政略は必要ない。だからこそ、自由にそれを求めていいのだと思っていた。求めたいのだ。ウィンダムがそうではないからといって、順番が違うからといって、少なくとも許せない理由にはならない。ウィンダムの言っていることは寧ろ、ごく一般的な貴族の結婚だ。何もおかしいことなどない。それでも許したくないのは、タインを想う気持ちがあるからだ。せめてタインが好いた男でなければ、どの道許せそうになかった。どんなに言葉を飾っても、そこに帰結している。
そして淡々と語るウィンダムが、クレイグに許しなど求めていないことも解る。ただクレイグがどう思っているのかを聞き出しているだけだ。クレイグは今まで、良き理解者としてタインを助け、見守っているつもりでいた。タインと一番近しい男は自分であると、自負している。だが他者にしてみれば、手を拱いていたくせに後から権利を主張して、駄々を捏ねているに過ぎないのだ。
「………タインが。タインがそれでいいなら、俺には何も言うことができません」
恥じ入る気持ちもあるが、それでも長年想いを寄せてきた人を奪われるのは悔しい。クレイグはそう言葉にするのが精一杯だった。
「そうだね。君が物の道理を理解できる人間で良かったよ」
ウィンダムは薄く笑った。目の笑わないその表情に、クレイグは薄ら寒さを感じる。そうでなかったらどうしていたのかと、不安を呼び起こさせる笑みだった。




