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16. 何はなくとも体調管理


 二度目の航海は順調だった。ナディーンの乗る船が、ユールガル海軍の軍艦に護られながらグルバハルとの境界線に到達すると、海上で両国の外交官を交え引き継ぎの会談が持たれた。取り決め通り、ユールガル海軍の半数がユールガルの領海に残り、代わりにグルバハルの軍艦が加わる。海賊への警戒と、両軍間の牽制を兼ねながらグルバハルの港湾に到着した。

 港を所有するガーカム領の主に出迎えを受けた後は、領主邸に数日留まり、船旅の疲れを癒すことになっていた。タイン達第一王女隊にも交代で非番を回されているが、行動制限はある。直ぐにナディーンの元へ駆け付けられるよう、邸の敷地からは出られない。それでも邸には庭園があり、散策で気分転換をするには余りある広さだった。

 タインは南国情緒を感じさせる赤い花が植わっている区画をのんびりと歩む。下船して直ぐはまだ地面が揺れているように感じていたが、それもすっかり治っていた。難といえば暑さである。グルバハル人は頭に日除けの布を巻き、男女問わずゆったりとした貫頭衣を纏っている。素肌との間にゆとり持たせ、通気性を良くすることで暑さを凌いでいるというのだが、ユールガルの騎士達がそれを真似ることはできない。詰襟をくつろげればいくらか違うのかもしれないが、非番でも騎士服を着崩すわけにはいかなかった。幸い、大きく枝を広げる木が幾つも配置されているので、木陰で涼をとることはできる。丁度木陰に隠れるようにベンチがあるのも、噴水が複数あるのも、暑さ対策なのだろう。

 タインは吸い寄せられるように木陰に入る。この邸の衛兵も木陰を移動しているのを見かけた。日差しの強さに適応したかのように浅黒い肌のグルバハル人達は、涼しい顔をしているので慣れているのだろうと思っていたが、暑さは感じているようだ。タインは一度ベンチに腰を下ろすと、もうこの木陰からは出たくないと思う程には暑さに参っていた。制帽を脱いで天辺に触れると、少し歩いただけなのに太陽に熱されていたことが判る。

 ぼんやりと邸の衛兵の動きを観察していると、噴水の向こうから誰かが歩み寄ってくる気配があって、タインは心なしか力の抜けていた背筋を伸ばした。人様に、ましてやグルバハル人に弱っているところを見られるわけにはいかないという条件反射だ。先頭の人物はグルバハル人のように頭布を被っているが、衣服は銀鼠の見慣れた文官服だった。今度は別の意味で緊張する。


「やあタイン。大丈夫かい?」


 近衛騎士を伴ったウィンダムだ。使節団では、ウィンダムを含めた外交官の警護も第一王女隊が担っている。ユールガルでは結局時間が合わず、ウィンダムとは一度も会えていない。今回の渡航ではナディーンとウィンダムの船を別にする措置がとられたので、海上でも会う機会はなかった。何から話すべきか思考を巡らせるタインに、ウィンダムは銀製の杯を差し出した。戸惑いながらも、タインはそれを受け取る。


「ありがとうございます。なんとか」


 タインはそれ程大量に汗を掻く体質ではないが、この暑さでは関係なく、随分と水分が奪われていると感じていた。喉の渇き以上に身体が水分を欲している。水面が赤茶けているから紅茶の類だと思って銀杯に口を付けたのだが、予想外の味に驚いて一口で口を離した。


「ビタという果実水だ。暑さに負けないように、水分と糖分を同時に取るのだそうだよ」

「……ぬるさと甘さが混ざり合っているからですかね、経験したことのない甘さです。とんでもなく甘い」


 タインはなんとも言えない顔で果実水を見つめる。ウィンダムは笑って、騎士を少し先に行かせ、タインの隣に腰を下ろした。


「外を歩くならこれを被るといい」

「え」


 目端を青い色が横切ったと思ったら、タインの頭に布が乗せられていた。布の片端を額側で束ねて捻ると、頭周りをぐるりと一周半する感触がする。


「ウ、ウェン」

「人にやるのは初めてなのだ。動かないでくれるか」


 戸惑う声を上げるものの、ウィンダムの顔が真剣そのものなので、タインは口を噤んで大人しくしていた。後ろで布を捻じ込む際に頭がきつく締まったが、我慢できない程ではないと、矢張り声はあげない。垂れていた布が後ろで広げられると、首を耳から耳まで覆う日除けのようになったのだろうことが窺えた。


「この布が揺れると、風を送ってくれるから首元が涼しくなるのだ」


 ウィンダムは満足そうに、自分の頭布の垂れている部分を摘んで示す。


「ありがとうございます。でも、警護中は流石に」

「うん。此方の暑さはユールガル人には堪えると、事前に提案していたんだけどね。ロチェスター卿には受け入れてもらえなかったよ」

「そうですね。視界を遮りかねませんし、異国の文化ですから」


 タインの脳裏には、王室の守護たる近衛騎士が異国にかぶれるなど、と拒否するロチェスターの姿が容易に浮かんだ。グルバハルに阿ているとも受け取られかねない行動を取るわけにはいかないのだ。


「時には現地人の知恵を拝借することも必要だ。特に気候は努力や根性でどうなるものでもないからね。グルバハルの文化に抵抗感があるのもわからないでもないが、実際体験すればそうも言っていられないだろう。近衛騎士が二人程、倒れたことだしね」

「……私より情報早くないですか」


 同僚が倒れたことなど、タインは初耳だった。


「そういうわけで、今が再提案のしどきなのだ。きっと全隊員にこれを支給させてみせるからね。ああ、それは私から貴女への個人的な贈り物だから、このまま構わず使ってくれると嬉しい。貴女の目の色に合わせて選んだのだ」


 ウィンダムはタインの指先に口付けて立ち去っていった。タインは大事なことを何一つ話す暇がなかった。おそらく時間がない中抜け出してきたからなのだろうとは思うが、思ったが故に、面映ゆい。ウィンダムはタインの体調を気遣う為だけに来たのだ。手の中の杯に目線を落とす。もう一度口を付けると一気に飲み干した。味は馴染みのないものだが、飲んだ先から吸収されているかのようで、如何に身体がそれを欲していたのかを物語っている。


「美味いのか、それ」


 隣の木の裏から歩み寄る気配があって、タインの心臓が跳ねた。こんなに近付かれるまで人の気配に気付かないなど、有り得ないことだった。咄嗟に平静は装ったのだが、思った以上に暑さにやられている。警護中ではなくて良かったとは思えども、能力の低下は由々しき事態だ。


「私はあんまり好きじゃないけど、こっちでは適した飲み物なんじゃないかな。ちょっと元気になった気がするから、クレイグも飲んだらいいと思う」

「ふうん」


 なんなら全員飲んだらいいのではないかと真剣に思って勧めたのだが、ベンチの横で立ち止まったクレイグは生返事だ。


「向こうはベタ惚れなんだな」


 クレイグの視線はウィンダムの去った方向に向けられている。


「ああ……まあ?」


 タインは本人ではないのに頷いたものか迷って、曖昧に肯定した。クレイグは僅かに眉を顰めてタインを見る。


「お前は?」

「え?」

「お前は惚れてるわけじゃないのか」


 少しも茶化す色合いの混じらない強い視線に、タインは怯んだ。これは一体何の確認なのかと戸惑う。


「あー……と、そういうわけではないけど、偶に可愛い人だな、とは思う」


 誤魔化す空気ではないので、タインは正直に答えた。


「は?」


 クレイグの声が低くなった。


「な、なに」

「曖昧な言い方するなよ。女のそういうの、わかんないんだよ。惚れてないけど好感は持ってるってことか?」

「好感は、そりゃ、あるけど……いや、待って、何そんな怒ってんの?」


 結婚相手として考えるなら、申し分のない男なのだと思う。嫌いではないし、共にいて居心地の悪さはない。素直に好意を示されるから応対に困ることもあるが、不快なわけではない。現状が曖昧なのだから、はっきりとした表現を求められても今直ぐには捻り出せない。ウィンダムには明確に答えを要求されていないのに、何故クレイグに求められているのか。タインにはこの状況がよく解らなかった。


「お前が。……お前が男爵に惚れてて、納得ずくの婚約ならちゃんと祝おうと思ってたんだ」

「そ、れは、ありがとう?」

「まだ祝ってない」


 何かしら心配を掛けていたということだと思ってタインは礼を述べたのだが、クレイグは吐き捨てるように弾き返した。


「俺はお前が男に興味ないみたいだから、待ってたんだ」

「……何を?」

「お前が退役する時、結婚を申し込もうと思ってた」


 タインは絶句した。タインは少なくとも、あと五年は退くつもりはなかった。雑談の中で話題になったことがあるから、クレイグも知っている筈だ。


「婚約だけなら、まだ間に合うだろ。大していい印象のない結婚を惚れてない奴とできるんなら、俺とだっていいってことだろ」


 これはあと五年も待てるほど想いを寄せていると言っているのか、何故今言うのか、いつからそうだったのか。様々な疑問が動揺の中で渦巻くが、それを問うことは無意味だとタインは思った。何故ならどの道応えられはしないのだから。


「ごめん、クレイグ。この婚約は、解消できないから」


 気持ちの話は収拾がつかなくなりそうだと、タインは事実を告げるに留める。


「どういうことだ。まさかあいつ、婚前交渉……!」


 クレイグは怒気を漲らせてウィンダムが消えた方向に足を踏み出した。タインは慌てて立ち上がり、クレイグの腕を掴む。


「違う違う! 本当にそれはないから! 他の諸々の事情が絡み合った末のことだから!」

「諸々ってなんだ諸々って!」

「政略とか! ほら侯爵家。あんた忘れてるかもしれないけど、私一応侯爵家の娘だから」

「それなら俺だって伯爵家の息子だよ! 爵位は持ってないけど、英雄の末裔だ、ザムルの血を入れるより安全だろ!」


 クレイグがタインの手首を掴み返した。


「あのー、横からすみません。あまり大きな声で話すことではないかと」


 少し離れた場所から遠慮がちに第三者の声が投げられ、タインははっとして振り向く。そこにいたのは、声を遠くに届けるように口元に両手を宛てがったイーノックだった。


「……そうだな。興奮しすぎた」


 クレイグは瞬間的にイーノックを睨んだが、直ぐに視線を外し、昂った感情を吐き出すように深い呼吸をする。タインの手首を掴む力が緩んで、タインもクレイグの腕から手を離した。


「悪い、あんまり暑いから苛々してるんだ。頭冷やすよ」


 クレイグはウィンダムが向かった方向とは反対側に向けて立ち去ってゆく。タインはその背を茫然と見送った。


「大丈夫でしたか」


 木陰に入ってきたイーノックは、ウィンダムのように文官服に頭布といった出で立ちだ。イーノックに付いている近衛騎士は、気まずいのか距離を置いている。


「……ありがとうございました」

「いえいえ、差し出がましいかとは思ったんですが、僕は局長の味方ですからね」


 苦笑いに近い表情のイーノックから出た単語に、止まっていたタインの思考が動き出した。


「あ。えーと……言います?」

「言わないほうがいいですか?」


 タインは考え込んだ。当事者同士で解決すべきことなのだから言う必要はないような気もするが、婚約者は当事者に含まれるのか。間に入るとややこしくなのではないか。それでも報告はしたほうがいいのか。言うと何が起こるのか。未知の体験故に何が適切かが判らない。判らないから騎士として学んだことを適用することにした。報告漏れは後々大惨事を引き起こす要因になる。


「では、此方で対処するとの報告をお願いします」


 ウィンダムは今、謂わば戦いの場にいるのだ。余計なことで煩わせるわけにはいかない。隊の暑さ対策という、本来の仕事なのか判らないことにも手を出しているようだが、ナディーンの安全は絶対条件であるから、そちらはきっと、余計なことではないだろう。






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