14. 往生際が悪い
暫くして海岸沿いの領地を治めていた子爵家が一つ、取り潰しになった。子爵はウィンダムを狙ったと主張し続けていたが、王族を巻き込むことが予測できないわけではなかったので、処刑は免れない。又、仮令王女が同乗していなかったとしても、王命を受けた使節団への妨害行為であるから、同様だ。領地は一旦王領とし、隅々まで調査することになっている。これを以って船の件は一先ずは収束とし、再渡航の準備を進めることになった。
第一王女隊で犯人を挙げられなかったことでロチェスターには悔しさもあったようだが、タインは警護対象者に何事もなく済んだのだから良かったと思っている。
「今日までか」
後にはタインの送迎がなくなることに気を落とすウィンダムが残った。ウィンダムは執務机に両肘を付き、組んだ両手に鼻先を乗せて、気難しさを極めたような硬い表情をしている。
「ごねてないで支度してくださいよ。後はこれを着るだけなんですから」
タインはいつまでも腰を上げないウィンダムに痺れを切らして、ウィンダムの外套を着やすいように広げた。
皆帰ったのか仕事に出ているのか、執務室には他に局員の姿はない。ウィンダムの目線は外套とタインを交互に行き来し、引き剥がすようにして逸れた。
「暫く会えなくなるのだ。少しくらい惜しんでも良いだろう」
「申請してくれれば面会時間をとることもできますから」
「毎日とは言わない、時間が合う時はまた迎えてくれないか。急になくなれば周囲が不審に思う」
ウィンダムは、送迎する程の仲睦まじさでタインの悪評も抑えられていると言うのだが、女性の集うサロンなどに参加する暇のないタインの耳には直接入ることはなかったから、実態は判らない。そもそも夫婦になるのだから、さして気にする必要のある風評とも思えなかった。婚約者相手にふしだらで誰に迷惑をかけるのだと、開き直りの境地である。
「あれを言われるとやる気が出るのだ」
タインの反応が鈍いのを見てとったウィンダムは、方向転換した。
「あれ?」
「送り出す時に必ず言ってくれるだろう」
「……お仕事頑張ってください?」
それに対してウィンダムがタインの指先に口付けるのだ。一度許して以来、口付けるふりに戻ったことはない。人目があってタインは咎めることができず、習慣化してしまったのである。
「日頃やる気がないということではない。張り合いが出るのだ。行ったことに対する成果で達成感は得られる。だが仕事がそこで終わるわけではない。勝ち取った成果も刻一刻と変わる情勢の中の過程でしかなく、相手の都合で如何様にも覆る可能性があるものなのだ。勿論、ユールガルの方針が変われば自ら覆すこともあるのだが、我々は常に」
「わかりました。考えておきます」
長くなるのを察してタインは遮った。もう大分遅い時間だった。此処はいくら語っても時間が有り余る無人島ではないのだ。帰って休み、明日の仕事に備えるべきである。
「考えるだけか」
「……方法を考えておきます」
「ああ、楽しみにしている」
ウィンダムは席を立ち、タインの広げた外套に袖を通す。
「貴女はこういったことをするのは嫌かな。家令くらいは雇おうか」
タインはウィンダムが妙に嬉しそうな理由に気付いた。使用人を雇えない家では妻が夫に外套を着せる役目を負うと聞いたことがある。急に自分の行動が気恥ずかしくなって目が泳いだ。タインにはそんなつもりはなかったが、ウィンダムは結婚後を想像させる親密な行動に感じたのだ。
「いえ、ウェンが必要性を感じていないなら態々雇わなくても」
使用人の数の多さはステータスでもある。中には見栄で財政状況に見合わない数を雇う貴族もいるが、タインはそういったことに興味はない。外套の脱ぎ着の為に雇われる家令というのも気の毒だ。家令には家令の仕事を与えるのが筋であろう。
「そうか」
ウィンダムから気難しげな空気が家出している。この人は直ぐに浮かれるなとタインは思ったが、原因が自分であるのだから指摘は薮蛇になる。口を噤んで室内を横切った。
「ところでイーノックは駄目だったらしいな。私が不在の間、代理を務めていた程仕事のできる男なのだが」
後に続くウィンダムの不可解さの混じる声に、タインは扉を開けようとしていた手を止める。あれからジョセリンはイーノックと何度か会っていたのだが、やっていける気がしないとの結論が出ていた。
「趣味が合わなかったそうです」
「そうか。趣味も言っておいてくれれば絞り込むが」
「あ、いえ」
タインはどう濁したものかと言い淀んだ。
イーノックは端端でタインの情報を得たがったらしい。タインは敬愛する上司の婚約者であるから素行が気になるのだろうと思ったが、ジョセリンは気があるのではないかと言う。他に想う相手がいたとしても、気取られない配慮すらできない男は無理だとのことだった。ただ、イーノックはタインの前ではそんな素振りはないのだ。もしジョセリンの見解が正しかったとしても、ジョセリンとの話を受けたのだから、イーノックは忘れようとしていることになる。何にしても真偽不明のことを吹聴することもないだろうとタインは思う。
「そういったものは当人同士で確認した方がいいので」
「タイン?」
ウィンダムは不審がって、取っ手を握っているタインの手を握り扉を開くのを阻止した。
「当人同士の問題ですから、気になるなら直接イーノックさんに訊いてください」
「職業病かな。秘密の匂いがすると暴きたくなる」
ウィンダムはタインを扉との間に囲うようにして手を着いた。タインは顔だけを振り向かせて胡乱に目を細める。
「本当はそんなに興味ないでしょう」
「……当人同士の問題だからね」
ウィンダムの目が逸れた。
「時間稼ぎしてないで行きますよ」
タインはその隙にウィンダムの手を剥がす。防音性に優れた扉は廊下の気配を読み難くさせるのだから、開ける時に戯れている場合ではないのだ。




