12. 会いたかっただけ
タインは待機日とジョセリンの非番が重なる日、渡り廊下を訪れていた。
政務棟と使用人の作業棟を結ぶ渡り廊下は、地面から一段高くなっているだけで、屋根を支える柱の間に壁はない。練兵場が近くにあり、何かあれば王城騎士団が直ぐに駆け付けられるようになっている。反対側には小規模な庭園があり、使用人達も憩えるようにと、常時開放となっていた。
ジョセリンは非番だというのに、騎士服を着込み制帽を被り、帯剣していた。同様の出で立ちのタインと姿勢良く並び立つ姿に、廊下を使用する者達は例外なくぎょっとして、遠巻きに立ち止まっては恐る恐る通り過ぎてゆく。
「私用だって説明した方がいいかな」
普段近衛騎士が立ち寄ることのない場所だ。緊張のあまり、同じ方向の手足を同時に出して歩いている使用人を目にして、タインは少し気の毒になった。
「誰によ。一人一人に説明なんかしてたら威厳失うわよ」
ジョセリンは素っ気ない。
存在するだけで抑止となることを求められるのはどこを護る騎士も同じだが、近衛ともなれば親しみやすさは完全に不要なものとなる。実戦には特に必要ではない華美な騎士服、優れた容姿は他者の目を楽しませる為のものではない。美とはそれだけで威圧にもなり得るのだ。
緊張感に満ち溢れた廊下に、落ち着いた靴音が割って入る。政務棟の方向から銀鼠色の文官服を来た男が二人、近付いてきていた。
「やあ、これは絵になりますね」
目が合うと、イーノックが細い目を更に細くして、思わずといった風に呟く。
「初めまして、イーノック・ガイルです」
イーノックはタインと軽く挨拶を交わした後、ジョセリンに一礼をした。
「初めまして、ジョセリン・フィギスです。本日はお忙しい中、ありがとうございます」
「いえ、此方こそ。こういった機会はなかなかないので緊張しますね」
イーノックが気恥ずかしげな様子を見せる。ウィンダムが候補に挙げた中からジョセリンが選び、先ずは顔合わせをと、気楽な場を設けたのだ。場所を選んだのはイーノックとのことだが、タインはこれは失敗だったのではと思わないでもない。ジョセリンは先ずは女性騎士への反応を見るべきだと、近衛の出で立ちなのだ。場所からして、この後庭園を散歩の流れになるのだろうが、使用人達が憩えまい。ただ、タインがそこに思考を割いたのは数秒だった。今はそれよりも気にすべきことがある。呑気にジョセリンと挨拶を交わしているウィンダムである。
「ウェン、貴方まで」
タインは予定になかったことに眉を顰めたが、イーノックの目があってそこまでしか言葉にできない。
「貴女に会える機会を逃すはずがないだろう」
ウィンダムがすかさず軌道修正をするので、タインは乗らざるを得なくなる。
「う、れしいですけど、昼食はどうしたんです。休憩時間はあまりないのではなかったんですか」
「そうだな。だから貴女が共に来てくれることを了承してくれたら、私は直ぐに食事にありつける」
タインは更に言いたいことを呑み込む。
「ジョス、イーノックさん、悪いけど私はこれで」
「ええ、こちらは大丈夫よ。ありがとう」
「ご足労ありがとうございました」
タインはイーノックがジョセリンと落ち合う為の目印に過ぎなかったので、別れは速やかに行われた。
「何を気軽に外務局から出ているんですか」
政務棟に入ると、タインは険のある小声をウィンダムに刺す。
「さっき言った通りだが」
「それ通りませんから」
タインの声が一段と冷えた。
「すまない」
押さえ込んでるタインの怒気を感じ取って、ウィンダムが神妙になった。
「だが、今朝貴女は実行犯が見つかったと言っただろう。捜査は進んでいると」
ウィンダムに与えていい情報はまだ制限されている。ロチェスターがウィンダムの心労を慮って情報開示を指示したが、見つかったことだけだ。実行犯は死体で見つかっている。その家族の行方も知れず、そこからの捜査は難航していた。
「それが何か? 危険が去ったと言った覚えはありませんが」
小声での会話とはいえ、誰に聞かれるか判らない。タインはウィンダムのタイを掴んで、ウィンダムの顔を引き寄せる。ウィンダムは突然の乱暴な対処に目を白黒させながら、怒れるタインの目と至近で見つめ合う。
「然しユールガル貴族を疑うのなら、少なくとも身元を辿れぬようにする頭はあるのだ。海上で仕掛けたのだから、王城で事を起こすのは避けたということだろう。私が死ななかったとしても、グルバハルへ疑いの目を向けさせ、渡航の中止を狙ったものと考えられる。グルバハル人だとしたら、尚更王城内は難しいのではないか」
ウィンダムは動揺の滲む声で言い訳じみたことを言い出したが、いよいよ誰が通るか判らない場所で話すことではない。
「失礼、お嬢さん。この辺りで使われていない部屋はないか」
タインは手を離し、遠巻きに足を止めている使用人に声を投げた。使用人は戸惑いながら二つ戻った先の扉を示す。タインはそこにウィンダムを引き摺っていき、室内に人気がないことを素早く確認すると、文字通り引っ張り込んだ。寝台のある部屋だった。長椅子やローテーブルには布が被せられ、少し空気がこもっている。客を入れるなら換気が必要になりそうだった。
「タイン。貴女の不名誉な噂が広まってしまう」
「貴方に責任を取ってもらうので問題ありません」
ウィンダムは慌てて部屋から出ようとするが、タインが扉を背に立ち塞がる。タインの方が目線の位置が多少下であるとはいえ、体術で敵う筈もないと理解しているから、ウィンダムはどうにも手を出しようがない。無意味に手を彷徨かせるに留まり、タインの据わった目と平坦な声音に怯みながらも、口だけを動かす。
「それはそうだがそうじゃないだろう。貴女が淫らな女性だと言わ」
「貴方が! 不用意な発言をするからでしょうが!」
「私が悪かった」
ウィンダムの背筋が伸び、半端に上がっていた両手が背の後ろに仕舞われた。
「貴方の言っていることは全て推測です。推測なら貴方ほど頭の回らない私にだってできます。例えば貴方の生還に驚き焦り、場所を考える余裕がなくなる可能性だって捨てきれないとか、グルバハル人だった場合は街に出た使用人を買収、若しくは脅して手引きさせるとか、それこそ、無限に! だいたい、首謀者が貴方の理解できる思考回路の持ち主であるかどうかだって、今の段階では誰にも言えないんです。その程度の情報量で、推測なんて当てになりますか」
論理的に推測を組み立てられるとそれが当たっているように思えてしまうが、騙されてはいけない。相手が推測する人間と同等の見識の持ち主とは限らないのだ。
「ならない」
全面降伏しているウィンダムに、タインの熱はすっかり冷めて、息を吐き出す。そうして平静を取り戻すと、自分の担当外での行動でこんなに怒る必要があるのかと、我にも返る。らしくないと戸惑ったが、すっかり気落ちした様子のウィンダムを改めて見て、既視感を覚えた。
クォン島でのことだ。タインに内緒で猟の為に罠作りをし、失敗作を隠蔽しようとしていたところを見つけた時。タインは材料を見て、一人で行くなと忠告しておいた場所に行っていたことを見抜いた。当然叱る。ウィンダムはタインを驚かせたかったのだと正直に白状し、気落ちしていた。懐かしいといえば懐かしい。
タインは嗚呼、と今度は得心の息を吐いた。野営訓練の際に、同じ焚火の飯を食うと結束が固くなると教官が言っていたが、まさにそれなのだ。意識はしていなかったが、タインは既にウィンダムを懐に入れている。無人島で共に生き抜いた仲間として。
タインは一度目を閉じて、開いた時には射るように眼差しを強くした。
「貴方の命を脅かす恋なら捨ててください。そんな誰も幸せになれないようなもの、私は受け取りません」
ウィンダムは瞠目し、じわじわと顔が歪んでゆく。恥じ入るような、照れ臭いような、何かに耐えるような、奇妙な顔をした。
「そうだな、私は浮かれ過ぎているんだろう。肝に銘じる」




