04.
温まった空気が爆ぜる音で目が覚めた。
寝返りを打って視界を動かす、そこに映るのは夜の帳が降りた森の景色だ。
炎に作られた影が不規則に揺れる。
木々の枝葉が邪魔をして星はほぼ見えない。
このクソッタレな状況はやっぱり夢ではなかったんだなぁと微妙に落胆する。
「目は覚めましたか?」
「ええ」
巨熊と戦っていた先程の女性が近くに居るのは目が覚めた時点で分かっていた。
起き上がると湯気の立つカップが差し出される。
「ありがとう、ございます」
礼を言ってカップを受け取り、何時間かぶりの水分を摂取する。
欲を言えば熱くない方が嬉しかったのだが折角の好意を無駄には出来ないし、熱くても水分の補給は出来る。
カップに息を吹きかけながらはす向かいに座る相手を盗み見る。
年は十六、七くらいか。透き通った湖水のような青い目と、背中に届く金糸の髪を無造作に一つで束ねている。
無言でこちらが一息入れるのを待っている様は理知的で落ち着いた様子を窺わせた。
だが単身で巨熊と戦えるだけの技量と胆力を持った武人でもあることから、見た目だけでそうと判断するのは早計だ。
見ているだけでは分からない事は山ほどある。
人間関係の基本はあいさつからだなとアバウトな指針を決めてこちらから口を開く。
「どうも介抱して頂いたみたいで。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ助けて下さったようで」
応答に曖昧な笑みを浮かべる。
助けた、と言うには語弊がある気がする。もしかしたらという仮定で、もっと早く介入していれば目の前の女性は熊からの一撃を貰わずに済んだかもしれない。
そもそも激しい頭痛の後、どうなったのかは正確には分からない。
熊を倒した所までは確実なのだが、その後の状況は全くの不明なのだ。熊の死体はどうしたのか綺麗さっぱり消えている。重量物を引きずった後も無い。
まぁ状況的には大団円で済ませて問題無さそうだが。
「名前を聞いても?」
問いに、固まる。
大絶賛記憶喪失継続中の身には答え難い質問だ。
激しい痛みのショックで都合良く思い出したりしないもんかと現実の世知辛さに泣きたくなる。
「えーっと、ですね…………」
正直に記憶喪失であることを告白するのを躊躇う。
相手が悪党なら気を失っている間に、状況はもっと悪い方に転がっている。
そうでないのだから悪い人では無いだろうと感情は判断する。だが臆病な理性がこれからどう転ぶかは分からないと囁く。
相手の弱みに付け込んで、なんて話は古今東西枚挙に遑がないのだから。
かと言って隠し通せるとも思わない。知らなかったで済ますには分からないことが多すぎる。そして虚偽は不審を生み不信となる。
メリットとデメリットを考慮した上で感情の判断を優先させる。
「それについてなんですが、ッ!?」
「?」
いきなり。
唐突に。
なんの脈絡も無く。
頭痛に襲われ、そして一瞬で去って行った。
まるでコレ以外の返答は許さないとでも言うかのように。
都合のいい脳味噌に辟易する。
「――――シュウ、です」
「? シュウですか?」
「あ、はい。何か?」
「いえ、――――不思議な響きだなと思っただけです」
苦笑。
「改めてシュウさん、助けて下さってありありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「それはこちらを介抱して下さった件でお相子にしませんか?」
「シュウさんがそれで良ければ」
「ではそれで。ついでに名前を窺っても?」
「失礼しました。私はセリスです。見ての通り冒険者です」
「…………せりすサンハぼーけんしゃ、デスカ?」
「え? ええ、はい」
何か不思議な事でも、とその顔に書いてある。聞き間違いではないらしい。
ホワイ?
なんぞ、それ?
いや、意味は分かる。言葉通りの意味だろう。冒険をする者。
じゃぁ『見ての通り』とはどういう意味だ?
それが一般的に見て分かる、という事だ。
「――――」
これは大分マズイのでは?
今まで何とかなるさと言い聞かせてやってきたがそろそろ限界が近い。
倫理や道徳などの知識は残っているようだが、常識を忘れているのは相当にマズイ。
感情を信じて早い段階で打ち明けた方が得策だろう。
「あのセリスさん?」
「その前に少し」
「あ、はい、何でしょう?」
いきなり出鼻を挫かれました。
「差支えなければで構いません。シュウさん、年は幾つですか? ちなみに私は十七になったばかりです」
さっきも同じ単語をつかったなと思いつつ
「えーっと、ですね、それについてもなんですが、ちょっとややこしいと言うか困ったことがあってですね、その説明を先にさせて貰っていいでしょうか?」
「? ええ、どうぞ」
「それでは――――」
もの凄くざっくりと説明する。というかざっくりとしか説明のしようが無い。
目が覚めたらいきなり森の中に倒れていて記憶喪失。思い出せたのは名前のみ。当ても無く歩いていたらセリスさんを見つけて今に至る。
「…………」
「――――」
沈黙が痛い。
それもそうだろうなと思いはする。いきなり記憶喪失だと言われてもリアクションのしようがない。
「…………何となく事情は分かりました。それを踏まえた上で質問をいいでしょうか?」
真直ぐな曇りの無い目で見つめてくる。
おや、随分と物分りのいい御嬢さんだ。
もちろん言ったこと全てを鵜呑みにした訳では無いだろうが。
「答えられることなら」
言外に分かることはほとんどないと匂わせる。
「では。――――いきなりで不躾ですがシュウさん、レベルは幾つですか?」
「れ、れべる?」
聞き返すと少しだけ場の空気が硬くなった、気がした。
「すみません。警戒するのは分かります。冒険者にとっても言わば生命線のようなものですから。ですが貴方の話が本当だとすると何の記憶も無いままサベージベアーを倒したとうことになります。それは…………信じ難いことですから」
信じ難いのではなく信じられない類の事なのだろうなと、ぼんやりと思考の隅の方で考える。
それでいて無駄に警戒されているのが雰囲気で分かる。
無駄な誤解を解く為に問い直す。
「レベルというのは、『あの』レベルですか?」
「この場合では一つしか考えられないはずですが?」
絶望的に、と言う程ではないが話が噛み合わない。
むしろ噛み合って欲しくない自分がここに居る。
「それはモンスターを倒して経験値を積んでレベルアップ~的な?」
「それ以外に何があると?」
断言された瞬間観念した。手と膝が地面について頭を垂れている。
リアルに挫折のポーズをとる日が来ようとは人生侮りがたし。
いや、記憶喪失の方が稀有な体験だろうけれども。
いやいや、そもそも記憶喪失前にも挫折のポーズとったことがあるかもしれないし!!
「何をしているのですか?」
いきなりの奇行に対して、戸惑ったような労わりの声が掛かる。
それが余計に涙を誘う。
アカン、ここファンタジー世界や。